山本馬骨の くるま旅くらしノオト

「くるま旅くらしという新しい旅のスタイルを」提唱します。その思いや出来事などを綴ってみることにしました。

越後・信濃路の旅:旅に出る前に

2016-11-03 03:42:43 | くるま旅くらしの話

 今日から何回かに分け、先月15日から1週間ほどかけて回った、越後路と信濃路の旅の記録を紹介いたします。今回は、旅の記録を日記ではなく、その日に感じた幾つかのテーマごとにエッセー風にまとめて残すことにしました。旅の間中に毎日の状況をブログに載せるのは、いろいろ難しい問題もあるので、これからは、旅の際には、その日の予定などを簡単にお知らせするに止めることにしたいと思っています。

 <旅に出る前に>

 なかなか旅に出る機会が無くて、じれったい気持が積り続けていたのだが、ようやく短い期間だけど、雑事の合間を縫って1週間ばかりの旅を計画した。名付けて「越後・信濃路の旅」である。動機は簡単で、最大のものは孫たちに信州のリンゴを買って来るということだろうか。勿論これは伏線で、本当のところは、信越地方の街道に沿った古い昔の残っている場所を訪ねたいという、この頃の旅の目的を少しでも満たしたいということなのである。越後路にはその昔の三国街道や北国街道と呼ばれた幾つかの宿場を持つ道があり、又信濃路にも同様に北国街道が通っていた。これらの道を往時の旅人たちはどのような気持で、今頃の季節を味わいながら、或いはそれどころではない急用などで走り急ぎながら旅をしていたのだろうか。そのようなことを想い浮かべながら、車の旅ではあるけど、少しでもその名残を訪ねながら味わってみたいと考えたのである。

この頃は季節感というものが、暦からズレ落ちてしまっているようで、9月に秋を感じるのが難しくなりつつあり、10月になっても夏日が逆戻りしたり、長雨が続いたりして、何だかその昔からの季節感が狂い出しているようだ。それらの根本要因は、大自然の気まぐれなどではなくて、どうやらここ数十年間の人間の暮らしぶりにあるような気がしてならない。明らかに生産過剰と思われる様々な産物に誘われての、浪費とも言える人間の消費生活は、前向きに考えればそれだけ暮らしが豊かになったということなのであろうが、振り返って負の部分を見て見れば、大自然にとっては破壊を伴うほどのアンバランスな遺物を生み出しているように思える。例えば原発などはその良い例で、エネルギー供給の側面からは人類には好都合なのだけれど、負の遺産としての放射能処理などは未解決のままに、大自然を汚染もしくは汚染の巨大な卵を温め続けている。ことほど左様に、人々の暮らしのあらゆる面で進歩とは思えないような乱れを生み出している。江戸の昔と比べて、人々の暮らしが本当に豊かになっているとは思えず、心の世界では、むしろ豊かさや謙虚さが失われつつあるようにも思えるのである。今度の旅の中から、何か一つでも今に残る安心できるようなものを確認出来たらいいなと思っている。

 

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