親愛なる日記

僕が 日々見つめていたいもの。詩・感情の機微等。言葉は装い。音楽遊泳。時よ、止まれ!

二度見するオペラ

2009年02月28日 | 音の景色



今日は一応お休み日なので、好き勝手なことをもう一つご紹介。

自分の解体月間と称して、たんにいろいろなことに飽き始めて、これまで聴かないようなものも聴こう、としているのだけど、

このパトリシア・プティボンはそんな僕のヘンなアンテナに引っかかった。

オペラに対する敷居の高さをあざ笑うかのように、変。

変なのに、うまい。

うまいけど、CDが欲しいと思うよりも、観てみたい。

そんな不思議な人です。

タイトルは、検索用語風にしてみました。

おいしい水-愛は水の如くに

2009年02月28日 | 男と女



『おいしい水』の歌詞をよく知らずにいたのだけれど、ふと気になって調べてみた。

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あなたを愛したいと思うけど、怖かった。

そうなの、心を守ろうとしていたんだ。 と思う

でもそんな愛が、私にある秘密を教えてくれる。

怖がってばかりだと 心が死んでしまう って。


Água de beber, Água de beber camará


初めて正しいことをしてしまったような気がする。

今はもう全てが許されている。

私の家はもう開けっぱなし。

そう、心の扉もすべて開け放しちゃったのよ。


Água de beber, Água de beber camará  


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以上、ボッサレコーズのコラム『ラジオ第一回目(Sep.2007)』参照です。




何だか奥ゆかしい恋と決意がにじみでていて、いいと思う。

ところが、、

シナトラが英語で唄う「おいしい水」英語訳→日本語の方はというと、

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君の愛は雨、私の心は花 愛がなければ死ぬさだめ

私の命は君が握っている 枯れ果てるか、花開くか


飲むための水を 乾いた花に施しておくれ

飲むための水を 乾いた花に施しておくれ


雨は遠き砂漠に降るのか 海に降るか、花に降るか

いずれ降るべきものなら 私のもとに降っておくれ


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演歌ですか!?

まあ、ポルトガル語→英語→日本語ですから、原型留めるのも難しいですけど。

「上を向いて歩こう」が「スキヤキ」になっちゃうみたいなもので、文化が国境を越える時には大きな変質ってけっこうありますよね。

最近になって、たまたま『あなたになら言える秘密のこと』という映画を観たんですが、この映画にしても、タイトルだけならゼッタイに観なかったと思う。。センスゼロだし。


原題は『The Secret Life of Words』

そのままでいいじゃん。


イザベル・コイシェは『死ぬまでにしたい10のこと』で一躍有名になった監督ですよね。

彼女は映画の中で結構古いロックを使用してくれて、僕としては嬉しい。

『死ぬまでにしたい…』ではビーチボーイズ『God only knows』を主演サラ・ポーリーが口ずさむシーンがあったそうだし。(僕は観たけど覚えていなかったけど、村上春樹の『村上ソングズ』によるとそのようです。)

今回はディープ・パープル、キンクス、トム・ウェイツ、エンドロールはデヴィッド・バーンと素晴らしいラインナップ。

この辺りが彼女の趣味なんだとすれば、これはなかなか好感がもてるな、と思うのです。

で、何の話でしたっけ?

ああ、タイトルの訳が変だよね、歌詞の訳も変だよね、という話。

え~と、どうでもよくなってきちゃいました。。

とりあえず、モノゴトの多くには多様な意味合いがあるので、なるべく偏見をもたずに好きなものを知っていけたら良いなあ、ということでしょうか。


嫌いな人の良い面を見ると、とたんに好きになったり。

駄目だなあ、と思っていた映画がふといいと思うようになったり。

イメージで食わず嫌いしていたジャニーズの嵐が結構いいな、と思えてきたり。

まあ、なにかと変節ってあるものです。

角がとれてきたのか、というと、そうかもしれないし、おっさん化してきたのか、というと、そうかもしれないが。

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無伴奏は思うにing

2009年02月27日 | 音の景色


朝はNHKラジオでクラッシックを聴くのが定番になっている。

と、いっても台所にかすかに聴こえる音を時々意識の端で追いかけるくらいだけど。

クラッシックって、曲名が長くて覚えられない上に、せっかく覚えても誰の演奏だかわからないと、ずばりその曲にたどり着くこともできず困る。

何度か耳にしているうちにようやく覚えたカザルスのバッハ無伴奏チェロなんたらは、朝、台所で一人珈琲を入れるのにふさわしい音楽だと思います。

最初のスローなリズムから始まり、だんだんと後半にかけて音の振れ幅が広がっていくにつれ眠りがすっとひいていく。このすっとひいていく感じと、蒸された珈琲豆の香りが寒い台所で重なる瞬間が僕は好きだ。

タイトルについては深く考えないで欲しい。




アワイキタイ

2009年02月26日 | 音の景色
ぐぐぐと重くのしかかる気分を跳ね除け、今日もがんばろう。

何せ、神は自らたすくる者をたすく。

「God bless the child that's got his own」

つまり、実質何もしてくれないからだ。

昔の人はなんとも都合のいいことを考えるものだ。

どこかの宗教も男女で差別があったりする。

宗教って、ある意味自発的に民衆を押さえ込み、地味に生きてもらうための装置として働いてはいませんか?

なんて、どうでもいいけど。

今日の一曲はアズール・レイ。

彼女はいつでも淡い気体に包まれている。





水の音

2009年02月25日 | 音の景色


しっかりと雨水が地面に飲み込まれてゆく。しゅくしゅくと音がする。

雨をみていると、僕は頭のなかで安藤広重の『あたけの夕立』を思う。

エリック・サティーを思う。

雨に唄えばを思う。

雨に唄えばを何度も見返した自分を思う。

スチュアート・ダイベックの『シカゴ育ち』を思う。

雨そのものよりも、この音、あるいは匂いが記憶に触れるのか。わからんけど。


今日の一曲は、「Gymnopédies」。

ジムノペディーという語感が好き。

熊野古道(くまのこどう)も語感が好き。

クマの鼓動。

そう考えるとまるで冬眠中の小熊が土の中ですやすやと眠っている様子が思い浮かんで、ほっこりとした心持ちになるではないですか。

クマの子どう?

だと、いや、どう?って言われても…。って感じですけど。

クマ。

クマが象徴するイメージが好きだ。

ツキノワグマの首すじの月は、画にしてみるとどこか間のぬけた笑い顔のようで、薬局の店先にでも立っていたらついつい頭を撫でてしまいそうだ。

ふと見かけたイラストの対談集を読んで、僕はそんなことを思った。




パートナーズ
安西 水丸,和田 誠
文藝春秋

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表紙はうたう

2009年02月25日 | 好きな映画や本など
表紙はうたう―和田誠・「週刊文春」のカヴァー・イラストレーション
和田 誠
文藝春秋

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和田誠さんという人柄、言葉、タイトルセンス、どこをとってもとても好きだ。

この『表紙はうたう』は週刊文春の50周年を記念した表紙のイラスト集です。

ただ、困ったことにこういう種類の本は一度見て、もういいやという風にはならず、いつでも手元に置いておいて眺めたくなるのです。

それぞれのイラストのタイトルは曲のタイトルにもなっているのがにくい。

ああそうか、だから表紙はうたう、なんだ。

でも高いなあ、イチマンエンか。

雨の沈没船

2009年02月23日 | 音の景色


僕は2tトラックを運転中にラジオから流れるこの曲の調べにうっとりとしたのが最初。

ドッグ・カフェのBGMで二度目。

三度目は自分で調べた。

今日の一曲は原曲とも、ビル・エヴァンスのものとも違う、akikoさんなる人によるもの。

夏木マリ風だと思っていたら、案の定コニシ・プロデュース。ちょ。

タイトルは完全なる思いつきです。

言葉が眠りについてきた。



月に関するささいな発見

2009年02月22日 | ささいなこと
1月:Januaryは、ローマ神話の入り口とドアの神ヤヌス。

 ヤーヌスは前後2つの顔を持つのが特徴である。表現上、左右に別々の顔を持つように描く場合もある。物事の内なるものと外なるものを同時に見ることができると言われ、あなたがご存知かどうかは知りませんが、『ヤヌスの鏡』というドラマのモチーフにもなっている。


2月:Februaryはローマ神話のフェブルウス (Februus) を祭る式から取ったと言われている。


3月:Marchはローマ神話のマルス (Mars) の月を意味するMartiusから。軍神と呼ばれる。

 マールスは「武勇」「男性」「火星」の象徴として用いられる事も多く、性別記号で男性は「♂」と表記されるが、本来はマールスを意味する記号だとか…。

 これは蛇足ですが、日本において、男根を「マラ」と呼ぶのもここに関連しているのではないかと僕は推測しています。意外な程に日本語の語源が大陸から伝わっていることは諸説あるところです。真偽は保証しません。


4月:Aprilはローマ神話の美の女神ウェヌス(ヴィーナス)に相当するラテン語のAprilis。

 本来は囲まれた菜園を司る神でしたが、後にギリシア神話におけるアフロディテと同一視され、愛と美の女神と考えられるようになったそうです。ウェヌスは固有の神話が残っておらず、ローマ神話でウェヌスに帰せられる神話は本来アフロディテのもの。これくらいは僕も知ってる。


5月:Mayはローマ神話で豊穣を司る女神マイア(Maia)の名に因むと言われている。

 マイアの祭日である5月1日は供物が捧げられた。これがメーデーの起源であるらしい。


6月:Juneはローマ神話のユピテル(ジュピター)の妻ユノ(ジュノー)から取られた。

 ユノが結婚生活の守護神であることから、6月に結婚式を挙げる花嫁を「ジューン・ブライド」(6月の花嫁)と呼び、この月に結婚をすると幸せになれるんだって。-真偽の程は神のみぞ知る-


7月:Julyは、ユリウス暦を創った共和政ローマ末期の政治家、ユリウス・カエサルにちなむ。

 カエサルは紀元前45年にユリウス暦を採用するのと同時に、7月の名称を自分の家門名に変更した。変更する以前は、ラテン語で「第5の」という意味の「quintus」。


8月:Augustは、ローマ皇帝Augustus(アウグストゥス)に由来する。

 アウグストゥスは紀元前1世紀、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正するとともに8月の名称を自分の名に変更してしまう。また、同時にそれまで30日であった8月の日数を31日に変更する。足りない日を2月の日数から減らしたので、2月の日数が28日となってしまった。


9月:Septemberはラテン語で「7」という意味の「septem」の語に由来。

 ここで、不一致が生じているのは、紀元前153年に、それまで3月を年の始めとしていたのを1月を年の始めとすると改めたにもかかわらず、名称を変えなかったせいです。

 7月がガイウス・ユリウス・カエサルによって「Julius」に改める以前の名称からもそれがうかがい知る事ができる。


10月:Octoberはラテン語で「8」、すなわちoctoの語に由来。

11月:Novemberは、「9」の意味。

12月:Decemberは、「10」の意味。

                [以上、wiki 各月の欄より抜粋・および参照]


つまり僕が何が言いたいかというと、9月~12月までのネーミング、もうちょっとがんばろうよ!神話とかさ、絡めようよ。ということです。


初めて英語を習ったとき、僅かながらセプテンバーからの響きに違和感を感じていた僕ですが、それがこのような原因にあるのかと、最近になって気づいたのであります。






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このドラマは確か人間の二面性を詠ったどろどろな感じのやつ。小さい頃夕方に放送してたな。

2004年のカレンダー・ガール

2009年02月21日 | 音の景色


タイトルにニヤリとされた方は、まさにその通り。

僕はスターズにブライアン・ウィルソンを思うわけなんです。

ただ、ビーチボーイズをビーチボーイズたらしめていた時代はもう半世紀ちかく前に終わりを告げてしまったので、僕はこのスターズをして、時代を捉えた音楽だと思っているわけではありません。

ただし、たとえ今の世に受け入れられないにせよ、時代を反映してはいないにせよ、スターズとブライアンを同時並行的に好きだと言えてしまうのが、ある意味現代的なのかもな、と思ってしまうのです。

影響を受けているとか、パクリじゃないか、というのではなく、現代のポピュラーミュージックというのはあまたある音楽の中で何をとり、何をとらないか、という選択のセンスに負うところが大きいと常々思うのです。

そんな訳で、僕はスターズのセンスが好きなんですね、とても。


Set Yourself on Fire

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春の土曜くらい踊ってたっていいじゃない

2009年02月21日 | 音の景色



アニマルコレクティブが、如何に素晴らしいか、について長々説明することは虚しくなるからやめておく。

そもそもこの日記を開くあなたにもおわかりの通り、僕にはこれとした音楽に対する一貫性など持ち合わせてはおらないわけでして、その都度、僕の気分にあったものをぽこぽこと紹介しているだけなのです。

まあ、そんな訳でその日その日の僕の何がしかの気分が現れているような、いないようなそんな選択の結果です。

ぶつぶつ。

今日は気持ちよく晴れた2月の土曜日でありまして、一般的にはニッパチ(2月.8月)は一年を通してわりに穏やかといいますか、暇、といいますか、すなわち頭のネジが少し緩む期間ということとなっておるわけです。

もちろん、この複雑化した現代社会にあって、そんな一般風習は崩れさしものあなたも-この穏やかな土曜日に-慌しく会社へ向かわなくてはならない、ということもあるでしょう。

あるいは、そんな隙間に乗じて仕組まれた各種のイベントごとに参加し、まったりするとはいいがたい休日を迎えることもあるでしょう。

そんなこんなであなたも大変なわけでしょうが、

僕は鼻炎の薬と春の陽気もあいまって、踊りだしたい今日この頃。

Ipodのコマーシャルのように、春の芝生で踊っている人を見かけたら、それは僕か僕に類する人だと思って下さい。

春は魔物。

春は修羅。

いろいろ言われても、春は春。そんな土曜くらい踊っていたっていいじゃない?

Blossom Dearie 追悼

2009年02月20日 | 音の景色


ブロッサムが、今月7日に亡くなったということを今になって知りました。

素敵な歌声がまた一つこの世から消えたことは哀しいことです。

心よりご冥福をお祈りいたします。

ブロッサム。僕も好きだよ、雨のロンドン。







敬愛の意を称して、というか乗じてというべきか、2曲目。

ちなみにここで歌われているジョージ・フェイムも60年代好きには避けて通れないと言われるポップスターでございます。ブロッサムが歌ってしまうのもしょうがないくらいのイケメンですね。

教えていただいたのはここ最近ですが、愛聴させて頂いております。








20 Beat Classics

Universal

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物語を紡ぐ声-そして幻想-

2009年02月19日 | 音の景色


ビョークはあまり好きではない、というかほとんど聴いてもピンとこない。

でもジョアンナ・ニューサムの魅力にはとりつかれる。なぜだろう。

彼女にあって、ビョークにないもの。

それがまだよくわからないのだけれど。


最近ひしひしと物語の必要性を感じる。

メルヘンもしかり。メルヘンはメルヒェン-すなわち物語のこと。

今のご時世見向きもされないけれど。

物語を失うと、人は力を失う。

生きる力は、その多くを幻想の中に宿しているのに。


これについてはまたいずれ。

春めいて鈴木茂

2009年02月18日 | ことばの避難所
春めいたことをのんきに歌っていたら、鈴木茂氏大麻で逮捕か。

なんだか最近大麻絡みのニュース多い。

そして、見るたび思うんですが、、


大麻ごときでぐたぐた言うなよ

ウップス。。

文字化けです。

大麻ごと火でぐたぐた煮ようよ!(苦しい!!)

と、言いたかっただけです…。



音楽業界も右へならえの出荷停止ねえ、へえ~。

消えちゃう前に載せとこう。

みんな妙に怒りっぽい、ですね。まったく。


三寒四温

2009年02月17日 | ささいなこと



暖かい日が続いたかと思うと一転して寒い今日。週末にはまた暖かくなる。

そんな三寒四温の今日この頃。

本日の一曲は時代遅れかもしれませんが、偉大なるカナダのブルーズシンガー

ブルースコバーンでござ~い。ドンドンドン♪

君の部屋にもこんな風に音符が降ってくるとよいのですが…。

とにかくこんな時期には風邪などひかぬよう気をつけて下さいね。

あともう少しで春ですよ。





小さな声に耳をすませば 追記

2009年02月17日 | 出来事
親愛なる村上春樹氏が危険を承知で発信したメッセージです。 空爆を命じた当の本人であるペレス首相の目の前でのスピーチということです。。ひえ~。

日本の新聞ではよくわからなかったので、比較的長めのスピーチを見つけたのでご紹介します。

(追記)全文を掲載したサイトを発見したので最後にURL貼りました。
よろしければそちらもどうぞ。

So I have come to Jerusalem. I have a come as a novelist, that is - a spinner of lies.

そんな訳で、イスラエルまでやって来ました。僕は作家としてやって来ました。つまり、嘘の紡ぎ手としてです。

Novelists aren't the only ones who tell lies - politicians do (sorry, Mr. President) - and diplomats, too. But something distinguishes the novelists from the others. We aren't prosecuted for our lies: we are praised. And the bigger the lie, the more praise we get.

嘘をつくのは作家だけではありません-政治家(失礼、大統領閣下)や外交官も嘘をつきます。しかし、作家には他の人々とは違う点があります。作家は嘘をついた角で訴えられることはないですし、むしろ賞賛されます。しかも、嘘が大きければ大きいほど賞賛も大きくなるのです。

The difference between our lies and their lies is that our lies help bring out the truth. It's hard to grasp the truth in its entirety - so we transfer it to the fictional realm. But first, we have to clarify where the truth lies within ourselves.

僕たち作家の嘘が他の嘘と異なるのは、その嘘が真実を導き出す助けになることです。真実全体を把握することは容易ではありません。だから僕らはそれを一度フィクションの領域に翻訳するのです。しかし、そのためにはまず僕たちの中のどこに『真実』があるのかを明らかにしなくてはなりません。

Today, I will tell the truth. There are only a few days a year when I do not engage in telling lies. Today is one of them.

今日、僕は真実を話そうと思います。僕が嘘紡ぎにいそしまない日は年に数日しかないのですが、今日はそのうちの一日ということです。

When I was asked to accept this award, I was warned from coming here because of the fighting in Gaza. I asked myself: Is visiting Israel the proper thing to do? Will I be supporting one side?

僕が受賞の知らせを受けたとき、ガザで戦闘が続いていたこともあり、この地を訪れることを警告されていました。僕は自問しました。イスラエルを訪れることは適切なのだろうか?どちらか一方の側に味方する行為にならないだろうか?

I gave it some thought. And I decided to come. Like most novelists, I like to do exactly the opposite of what I'm told. It's in my nature as a novelist. Novelists can't trust anything they haven't seen with their own eyes or touched with their own hands. So I chose to see. I chose to speak here rather than say nothing.
So here is what I have come to say.

しばらく考えました。そして決心をしたのです。ここへ来ることを。多くの作家がそうであるように、僕も人に言われたことと逆のことをするのが好きなのです。これは、作家としての習性です。作家は自分の目で見て、自分の手で触れたもの以外を信用することができません。だから僕は見る方を選びました。口を塞いでしまうことよりも、ここで話すことを選びました。そして僕が話したいのはこんなことです。


If there is a hard, high wall and an egg that breaks against it, no matter how right the wall or how wrong the egg, I will stand on the side of the egg.

もしそこに硬く高い壁があって、そこに卵が投げつけられていたら -その壁がいかに正しくどれほど卵が間違っていたとしても- 僕は卵の側に立とう、と。

Why? Because each of us is an egg, a unique soul enclosed in a fragile egg. Each of us is confronting a high wall. The high wall is the system which forces us to do the things we would not ordinarily see fit to do as individuals.

何故か?僕らはそれぞれがみな卵だからです。かけがえのない魂を脆い殻のなかに宿した卵なのです。僕らはそれぞれがみな高い壁に立ち向かっています。高い壁とは、通常なら個人で考えもしないようなことまでやらせようと仕向けるシステムのことです。

I have only one purpose in writing novels, that is to draw out the unique divinity of the individual. To gratify uniqueness. To keep the system from tangling us. So - I write stories of life, love. Make people laugh and cry.

僕が小説を書く目的は一つしかありません。それは、個人が持つかけがえのない神々しさを描き出すことです。かけがえなくあることを喜ぶために。そしてまた、システムが僕らを汲み取ってしまわぬように。だから、僕は人生と愛についての物語を書くのです。人々に泣き笑いしてもらえるように。

We are all human beings, individuals, fragile eggs. We have no hope against the wall: it's too high, too dark, too cold. To fight the wall, we must join our souls together for warmth, strength. We must not let the system control us - create who we are. It is we who created the system.

僕らはみな同じ人間であり、個人であり、脆い卵なのです。壁と戦っても勝ち目はありません。壁はあまりに高く、暗くて、冷ややかなのです。僕らはぬくもりと強さを求めて心を一つにする、そうやって壁と戦うよりほかにないのです。僕らは自ら創りあげたシステムにコントロールされてはなりません。それを創りだしたのは他ならぬ僕らなのですから。

I am grateful to you, Israelis, for reading my books. I hope we are sharing something meaningful. You are the biggest reason why I am here.

みなさんに、僕の本を読んでくれたイスラエルの人々に感謝致します。僕はなにか有意義なものをみなさんと分かち合えることを願っております。僕がこの場に来れたのも、ひとえにみなさんのおかげなのですから。


物語る人として、戦い続ける彼の小さな声が一人でも多くの人に届くことを願ってやみません。

新作が既に完成済みとのことですが、待ち遠しくてしょうがない私であります。


追記:全文発見しました!

http://www.47news.jp/47topics/e/93879.php

僕が載せた文章に欠けている部分は、おそらく現地の新聞に意図的に隠されたものでしょうね。