乱鳥の書きなぐり

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109: 『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』中野幸一 編  勉誠出版 2010年 (7枚)

2012-07-18 | 絵巻物、縁起絵巻、巻物、絵解き掛け軸




  109: 『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』中野幸一 編 勉誠出版 2010年  (7枚)






『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』

 冷泉為恭復元模写 (れいぜいためちか)

 中野幸一 編

 勉誠出版 

 2010年12月

 112 頁 定価 8,400円円 (本体8,000円)


 勉誠出版 データーベースより ▼

 『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』

国宝の『伴大納言絵詞』は、『源氏物語絵巻』などと共に、日本の四大絵巻の一つとして著名なこと今更いうまでもないが、八百余年の星霜を経た絵巻だけに、残念ながら剥落や損傷も少なくない。
この度公刊する冷泉為恭模写の『伴大納言絵巻』三巻は、復古大和絵派の絵師として、歴史画を得意とし、有職故実に詳しい為恭の模写というばかりでなく、国宝の絵巻の剥落欠損の部分をすべて復元している点、きわめて珍らしく、価値の高い絵巻と考えられる。
通常絵巻の模写は、剥落損傷や虫損の部分までも細密に写し取る、いわゆる剥落写であるが、為恭の模写は、できるだけ原絵巻の当初の姿の復元を目ざしたもので、剥落損傷部分はもとより、彩色紋様に至るまで鮮明に復元している。
とりわけ注目すべきは、国宝の絵巻が大きな損傷のためにほとんど欠けてしまっている騎馬の人物や、火炎を見上げる群衆の剥落した姿が、全く違和感なく見事に復元されていることである。しかも驚くべきことには、国宝の絵巻を見る限りその存在すらも知られなかった人物がはっきりと描かれており、国宝の絵巻の当初の姿を伝えるものとして、その資料的価値はきわめて高いと思われる。
さらに為恭は、この絵巻の模写のために、幕末の世情不穏な時期に、原絵巻の所蔵者酒井若狭守の京都所司代邸にしばしば出入りしたために、勤皇の志士につけ狙われ、大和丹波市まで逃れたが、そこで四十二歳の命を落としている。その点この模写絵巻は、まさに為恭が命をかけて写したという、悲惨な歴史的背景をもった作品としても興味深い。
このたび、この冷泉為恭の復元模写『伴大納言絵巻』三巻を、絵巻出版では技術的にも定評のある勉誠出版から、美しいカラー版で公刊することになった。国宝の『伴大納言絵詞』をさらに深く鑑賞するためにも、またもとの姿を推量しうる新しい研究資料としても、この復元絵巻が多くの方々に迎えられ、お役に立つことができれば幸いである。



 冷泉 為恭  
 ウィキより ▼
冷泉 為恭(れいぜい ためちか、文政6年9月17日(1823年10月20日) - 元治元年5月5日(1864年6月8日))は、幕末期の公家召抱えの復古大和絵の絵師。幼名は晋三。通称は永恭のち為恭に改める。別名は岡田為恭。号は心蓮。冷泉の姓は自らが冷泉家に無断で名乗ったもので、公家の出自ではない。
画家としての才能は優れており、障壁画や仏画に当時としては傑作といわれるほどの名画を残している。2010年、彼の手になるとされる伴大納言絵詞の模写の存在が公にされた(当時、伴大納言絵詞は酒井忠義が所有していた)。

 
 美術人名辞典より ▼ 
江戸後期・幕末の復古大和絵画家。狩野永泰の子。幼少より画を好み、古社寺の古画を研究、また知恩院の法然上人絵伝を三度臨写して土佐派を修得する。田中訥言・浮田一�を慕い、有職故実に精しく、設色緻密の殿上人を能く描く。書も上代様を能くする。のち蔵人所岡田氏を嗣ぎ従五位下、近江守に任じられた。元治元年(1864)歿、42才。





 『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』上巻



 日本美術の三大火炎のひとつ  写真は一部分
    『平治物語絵巻』三条殿夜討の火災
     青蓮院の「不動明王二童子像」
    『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』応天門



 逃げ惑う人、驚く人、眺める人、噂する人
 表情豊かに描かれている
 元の絵巻物はずいぶん見づらいとのことで蘇られさせられたとのこと

『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』上巻には詞書は無い。
 だが『宇治拾遺物語』巻第十の相当するという。
『宇治拾遺物語』…未読のものが多い。読解力と時間が欲しい。 



 『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』中巻

(*この前にも詞書あり)







この場面は絵巻物の解説本に使われているが多い

 伴大納言家の出納の子と舎人の子との喧嘩
 伴大納言家の出納の子の父親が出てきて,死なんばかりに舎人の子を踏みつける。
 舎人の子の父親「こども同士の喧嘩になぜそこまで…」
 出納「舎人ごときでがたがた言うな…伴大納言家がついている」
 舎人「なら、本当(火事)のことを言ってやろうか」
 出納、慌てて家に入る(母親、子を家に入れる→ 
             三場が一枚に同時に描かれている。わたしの記録には母親の姿の場面は無い

 出納、舎人のは無っ詩を聴いていた民衆が噂し,火事の原因、伴大納言家の陰謀が広まる。


 
 『伴大納言絵巻 冷泉為恭復元模写』下巻



 噂が広がり、衛門符内の使庁で舎人が尋問される。
 おとがめから間のがれるため、真実を打ち明ける。
 伴大納言 刀切の刑はまのがれたものの、放火の罪で配流される。
 この後美しい絵や詞が長く続く。

 こどもの喧嘩から 伴大納言の配流される間でのおおごとに至った。
 素晴らしい絵巻ものを楽しませていただいた。
『伴大納言絵巻』も今後ももう一度しっかりと読みたいし,絵も楽しみたい。


 



 中野幸一先生  ウィキより ▼

 中野 幸一(なかの こういち、1932年 - )は、日本の国文学者、早稲田大学名誉教授。
 神奈川県生まれ。早稲田大学国文科卒。同教育学部助教授、教授。
 2002年、定年退任、名誉教授。
 1979年、「うつほ物語の研究」で早稲田大学文学博士。王朝物語が専門。

     『物語文学論攷』教育出版センター、1971
     『うつほ物語の研究』武蔵野書院、1981
     『源氏物語の享受資料 調査と発掘』武蔵野書院、1997
     『源氏物語みちしるべ』小学館、1997








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