唐草文様
『均整唐草文軒平瓦』 姫路城にて
先日 娘と姫路城に行った。
姫路城では興味深い物がいくつもあった。
その一つとして興味をひかれた物の中に、唐草文様の瓦があった。
唐草文様について以前から何度も取り上げているが、植物文様の一つ。
西の文化の影響をもろに受けていると考えると、心は弾む。
(A)の瓦を見つけたときには、目を疑った。
私は何も知らなかったので、姫路城や黒田氏とのキリシタンとの関係を知らずにいた。
(A)を見ると真ん中に十字架が顕著に記されている・・・と思った。
ところが、説明を読んでみると、やはり私と同様に考えられている人もいるらしいが、関係は考えなくて良いような事も書かれていた。 (B)
(B)
(B)説明の均整唐草文軒平瓦(きんせいからくさもんのきひらがわら)は日本の瓦の代表的な物の一つとも言える。
瓦当厚5.5㎝位の物も多い。
こういった瓦は姫路城に限らず、京都の 『教王護国寺跡」』(東寺・京都府京都市)にも残されている。
こちらの瓦は 姫路の十字架ではなく、ハート状の飾りを中心に左右対称にして巻き草状の唐草が伸びている。
つまり均整唐草文軒平瓦とは、中心とした文様から左右に唐草文様が延びているのが特徴。
姫路城は『姥ケ石』がきっかけとなり、城の石垣を積み上げることができた。
『姥ケ石』とは、なんとドラマ性を感じる名前だろう・・・。
うっとりとする。
(C)
そして 黒田孝高は一時キリシタンの洗礼を受けシメオンと名乗り、自らが姫路城改築に一役かった。
場内にはこのことを後世に残すための 一枚の十字架の瓦が今も残されている。
姫路城を近世城郭にした池田輝政はこの十字架瓦を黙認し、今に残されると行った重要性を感じる。
日本全国に多くの城はあるがキリシタン禁制の時代を経て、十字架の瓦が残るのは姫路城とのこと。
そんな背景の中で、 (A)の十字架文様は一体何なのか・・・。
本当にキリシタンとは無関係なのか?
そう思うと、(B)を手放しに信じる事はできない私である。
確信は持てないが、何かに関連性を求めたいという、ド素人一主婦の希望的観測。
全くの無関係とするには、私には参考文献と知識を持ち合わせてはいない。
どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、どのようなことでもお教えいただけましたら嬉しいです。
やはり見るところが違っていた。
非常に勉強になりました。
実は、この唐草文様の瓦、姥が石、十字架瓦については知りませんでした。
特に、唐草については、非常に好きで、古伊万里で、「蛸唐草文様」「菊唐草文様」の皿を手に入れることが出来ました。(あの震災でも無事でした)
キリシタンとの関係は、良く知りません。
実は、茨木城もキリシタンとの関係ありといわれていますから乱鳥さんの想像があたりかも。
姫路城は、これからも行きたいと思っていますから、いろいろと教えてください。
ありがとうございました。
とても嬉しいです。
実は写真の文様は忍冬文様とも言いますよね^^
イランでも非常に多くみることのできる文様の一つです。
「菊唐草文様」などのロゼット型植物文も、かなりの種類が認められます。
ところで・・・
古伊万里で、「蛸唐草文様」とは!!
羨ましいです。
私は大学時代に買った手頃な蕎麦猪口の中に2、3 「蛸唐草文様」を持っています。
「蛸唐草文様」も非常に楽しい文様で、明るい気持ちになりますね!
深堀大三郎さんは小出しに楽しませて下さいますね。
引き出しが多くいらっしゃって、驚いています★^^★
深堀大三郎さん、コメントをありがとうございます。
感謝感激!です
お城は美しくて、写真を撮ってきましたので、いつかUPしたいと思います。
よろしければ、また見て下さいね^^
綾子さん、いつもコメントをありがとうございます。
感謝感激!です
緊張なさるなんて事は不要ですよ^^
記録に関係ないことでも、何でも嬉しいです。
いつでも気軽にコメントを下さいましたら、嬉しいです。
いろいろお話させていただければ嬉しいです。
これからもよろしくおねがいいたします。
感謝感激!です。
京都は無いのかな?
知らないのですよ。
ごめんなさい。
おわかりになられたら、教えて下さいね^^