日常

居川晶子さん御家族

2015-11-03 10:47:48 | 
自分に絵をプレゼントしていただけるとのことで、居川晶子さん御家族が遥々神戸から東京まで遊びにこられました。
その時に、色々な絵を見せて頂いた。試作品のカレンダーまで頂いてしまった。感動!(自分は、このカレンダーをスケジュール帳として使いたい)

いかわあきこ (居川晶子) カラフルアート - Yahoo!ブログ

居川晶子さんはダウン症なので、お母さんもお父さんも、幼少時は色々と悩まれたようだ。
自分も外来で先天性の病気の子を数多く診ているので、ダウン症のお子さんもたくさん診ている。本人自身は心配も憂いもないように見えるが、ご家族の方がいつも辛そうに見える。

おそらく、彼らは自然そのものの子だから、この文明社会の中では窮屈なのだろう。
既存社会の中に生きなければいけない一般人の尺度に合わせると、彼らははみ出しもののように見えるが、大きな自然界のVisionから見ると、どちらが<自然法則>からはみ出ているのか、再考する必要がある。


居川晶子さんは、子どもの時にも美術に触れたようだが、当時の彼女の魂を揺さぶるものではなかった。
やはり人間には時期やタイミングというものがある。
自然界に四季があるように、人の心の中にも四季がある。四季が移ろい、春には春の、夏には夏の、それぞれの旬というものがあるのだ。



彼女は、ある日突然お地蔵さんを描き始める。

それは「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉を予感させるものだ。
それは、鳥が生命を生み出す瞬間の情景の表現。

「そつ」は、子どものひな鳥が、内側からたまごの殻をつつくこと。
「たく」は、親鳥が外側からたまごの殻をつつくこと。

ひな鳥も、親鳥も、それぞれが自分のペースで殻をつつき続ける。
そのタイミングがピタリと1つになりあわさったときに生命が生まれる、という意味でもある。

「啐啄同時(そったくどうじ)」は禅語だが、自然や周囲の環境と自分とが互いに意気が相互相入し合い一体不離になった瞬間こそ、何かが生まれる、と広い意味にも解釈できる。それは共時的な瞬間。


ある日、晶子さんの中で「啐啄同時(そったくどうじ)」が起こり、お地蔵さんを描き始めた。
そこから魂のプロセスが動き出す事になる。
ただただ無心に描き続けた。

ある日、孔雀が目の前で羽を広げる光景に出会う。
その情景は彼女の魂をつかみ、その「啐啄同時」はまた別の扉を開け、彼女の魂と孔雀の魂とが同期するように孔雀を描き続けることになった。

彼女の孔雀の絵は、何の自我も主張もなく、ただそこに花が咲いているように、ただそこに孔雀がいるようだ。孔雀の動と静とが入り混じった総合的な孔雀を描く。

今年の7月に自分が姫路で講演をしたとき、山本えりさん(あい☆えがお 代表)が晶子さん御家族をお誘い頂き、その時に絵を見させてもらった。むしろ、絵に囲まれた空間で話す機会を頂いた。その瞬間に自分の中にイナヅマが走ったことを昨日のように思いだす。

そのとき、絵の中の孔雀は、確かに自分の中に飛び込んできたのだった。



晶子さんと御家族と、長い時間の会食をした。楽しい時間だった。子供に帰るような。
なぜなら、子どもの時のように、言葉は最小限のものだけで豊かな交流が行われるからだ。

晶子さんから投げかけられて、自分も返した言葉は極めてシンプルなものだった。
「ありがとう」「かわいいね」「やさしいね」「うれしいね」

食事をするテーブルには「笑う門には福来る」と、予言的な言葉が書かれていたのだった。



アドラーという心理学者がいます。
彼は、対人関係のゴールは共同体感覚(social interest)だと言いました。

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ドライカース(「アドラー心理学の基礎」より)
「共同体感覚というのは、ある集団や階級への単なる所属感とか、民族全体への奉仕を意味するのではありません。
<中略> 共同体感覚には固定化された目的はありません。
それは、人生への態度を創り出すこと、何らかの方法 で他の人々と協力したいと望むこと、人生の諸状況に精通することであると言った方が、より真実に近いかもしれません。
共同体感覚は、相互協力に対する私たちの受容力の表現法なのです。」
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アドラー心理学では、技法面での「勇気づけ」を重視します。
そして、「共同体感覚」という価値観を大切にします。

「共同体感覚」は、共同体への所属感・共感・信頼感・貢献感を総称したもの。目指すべき教育の目標とされ、精神的な健康のバロメーターとみなされます。

アドラーおいて、目的論や勇気づけが表看板なら、共同体感覚は裏看板のようなもの。


他者を仲間とみなし、そこに自分の居場所があると感じられることを共同体感覚(social interest)と呼んだのです。
そこでは、自己への執着(self interest)を他者・共同体への関心(social intererst)に切り替えることが重視されます。


アドラーは、未来の社会は<たての関係>から<よこの関係>へと社会構造が変化していくだろうと述べています。
<たての関係>は、対人関係を縦のヒエラルキー構造で見ます。他者の人生へ勝手に介入し、ズカズカ土足で踏み込み、自分の意図通りに操作していくことが主目的になります。そこでは、他者の価値観にあわせた生き方を選ばざるをえません。

ただ、遅かれ早かれ、未来の社会は<よこの関係>へとスライドしていくでしょう。
そこでは、誰もが同じでないけれど、誰もが人や生命として対等である、という前提があります。
相手の人生の介入になりすぎない最小限の援助を相互に行います。
よこの関係に基づく援助こそを、アドラーは「勇気づけ」と呼んだのです。


未来での<よこの関係>が実現された社会では、
・「ありがとう」という感謝の言葉。
・「うれしい」と素直な喜び。
・「助かったよ」というお礼の言葉。
が主旋律になります。
そこでは他者を評価せず、素直な感動や尊敬、喜びの言葉が響き合う社会です。


自己受容、他者信頼、他者貢献。この3つのKeyWordの中で、社会は循環して行きます。
自己受容は、自己肯定ではありません。自己肯定には無理やりさがあります。自己受容は「肯定的にあきらめること」です。I'm OKということです。
他者信頼は、you are OK.ということです。
他者貢献は、できる範囲で、互いに介入しすぎないよう援助し合う。ということです。



居川晶子さんとお話ししていると、こういう未来の社会を先取りして生まれてきている人たちなのだな、と思うのです。未来の社会からやってきている人たちなのだな、と思うのです。


「ありがとう」「かわいいね」「やさしいね」「うれしいね」という言葉を主旋律にしただけで、4時間以上の楽しい会話は終わりなく続きました。


現在には、少しだけ過去が侵入していて、少しだけ未来が侵入していて、そのあわいのなかで現在は生成消滅し続けているようです。
それは、炎のようなもの。炎をよく見ると、小さい無数の火が、生まれては消えて生まれては消えて、1つの炎として存在しています。
過去には死者がいます。未来には未来人がいます。
その中間地点に、現在のわたしたちは生きています。

この自然や宇宙は、そうして少しずつ少しずつ、未来のVisionを部分的に教えてくれていて、ヒントを教えてくれているようです。
そのヒントを受け取り、結果的に解答へと導くのは、常にこの世代の役割なのだと思います。
そうしたら、やっと次の設問へと課題は移ることでしょう。



■アルフレッド・アドラー(Alfred Adler、1870- 1937年)
「どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを、毎日考えるようにしなさい。そうすれば憂鬱な気持など、吹き飛んでしまいます。
反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいますよ」
■アルフレッド・アドラー
「憂鬱?この処方の通りにしたら、きっと2週間で全快しますよ。それは、どうしたら他人を喜ばすことができるか、ということを毎日考えてみることです。
不幸に陥る人は、自分のことだけを考えている人です」
































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