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古事記36 磐長姫ゆかりの貴船神社での大友敏美さん

2013年11月26日 | 大友敏美 織田彩加 人見音

 明治以降に貴船神社と改められた貴布禰神社は、古来より木船・黄船などさまざまに伝わっており、貴船神社が発行している要誌では、「境内にある御神木桂の木の姿に象徴されるように。生命の気が龍の如く立ち昇るところ、気の生まれる峰、気生根とよばれるようになった」 とある。しかしながらこれらの記述は古事記にはない。貴船神社の本殿の前には神木の桂の大木がある。中国でつくられた鏡で月宮鏡には桂の大木が中央に描かれ、桂離宮は桂の里にある。湯津桂つまり聖なる桂の樹に月読命が降臨したという伝説からきている。平安時代には藤原道長は桂の院という別邸をもち、その神聖なる思いを馳せた。貴船神社には中宮にも桂の大木があり、磐長姫を祀っている。磐長姫は日本書紀の神話に登場する大山津見神の娘である。天孫の邇邇芸命(神武天皇の祖父・山幸彦の父にあたる) が木花之佐久夜毘売という美女にであった。姫はコノハナチルヤ姫という姉がいることを告げ、二人を娶ってほしいというが、コノハナチルヤ姫の容姿は美しいといえるものではなく、邇邇芸命は退けたのである。このコノハナチルヤ姫が磐長姫である。また和泉式部が夫の愛情が遠のいたとき、貴布禰神社で敬愛の秘儀をおこなおうとした。巫女のとりしきりによって執行する露骨な秘儀である。江戸時代には夫婦いもせの御神として信仰を集めたという。

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