今日も朝から暑いです。
昨日、うちのあたりの日中気温は35度を超えて猛暑日となったようですが、今日もきっとそうなんだろ~な~(笑)。
本も暑さをぬって、隙間時間で読み散らかしています。
最近は、平安寿子さんの29年前のパリの3ヶ月間の語学学校での体験を元にしたエッセイ
「セ・シ・ボン」(フランス語で「そりゃもう、素敵」の意)を読みました。
作者の平さんは、当時26歳。
仕事を辞め、結婚願望もない。
「したいことがない。できそうなことも、ない。でも、フランス語はちょっとだけ、できた。パリで三カ月勉強するぐらいの貯金もあった。それに、バリで暮らすなんて、かっこいいじゃない。
友達に言ったら『わー、すごい』と感心してもらえる」
ぐらいの軽いノリで、パリに飛んだ平さん。
しかし、ホームステイ先は花の都の中心地ではなく
「パリの端っこで花の都の面影がかけらもない、だから景観保護のための建築制限がまっくたない十九区に作られた集合住宅地にあった。スーパーマーケットとちょっとした公園がある広場を高層マンションが取り囲むそのありさまは、国土の狭い日本でよく見る郊外型の宅地開発そのもので、古き佳きパリのアパルトマンを想像していたわたしは相当ガッカリした」。
しかも心ときめく出会いもない。
「パリに着いた翌日と翌々日、二日にわたってわたしは下宿周辺を散歩した。子供はみんな天使のように可愛かった。女性たちもきれいだった、でも、男はろくなのがいない。みんな、ジャガイモみたいだ。やたら鼻が大きく、ゴツゴツして美しくない」。
個性的な下宿先の夫婦、国籍も違えば、性格もそれぞれな語学学校の学友たち、あやしげな稼業の日本女性のクラスメート。
毎日が楽しいドタバタの連続ながらも、平さんのパリでの3ヶ月はあっという間に過ぎ、語学学校も終了し、彼女は帰国します。
帰国して、彼女が感じたのは
「パリに三カ月もいたのに、わたしはカルティエがどこにあるかも知らない。ベルサイユにも、モンサンミッシェルにも、サクレクールにさえ行かなかった。
わたしはサンジェルマン周辺と、十九区をうろうろしただけだ。
行くべき場所、できることが山ほどあったのに、わたしは何もしなかった。できなかったんじゃない。しなかったんだ」。
「わたしは臆病で、そのうえ面倒くさがりだ。要するに、バイタリティがない。こんな弱虫の甘えん坊で、これから先、どうしたらいいか。
そのとき初めて、涙があふれた。ぼろぼろ、ぼろぼろ、水道管が壊れたみたいに涙が止まらない」。
「手ぶらで帰ってきてしまった。何も見つけられなかった」
という苦い思いゆえ、パリ時代の記憶は彼女の中でしばらく封印され、パリ滞在のことを人に話すことはなかった、とあります。
パリでの友人たちや下宿先の夫婦との連絡も「みんな、自分の人生を生きるのに忙しい」らしく、すぐに途絶えます。
その後、小説家の仕事が軌道にのった平さんは、90年代にパリに観光旅行で観光地を訪れますが、語学学校時代の場所を再訪するのは、そのときのことを仕事で書く必要が生じた2006年に入ってからです。
本編のあとに、あとがきとともに添えられた↑の再訪時のことを述べた「思い出はセ・シ・ボン」の章があるゆえに、この本は素敵な輝きを帯びています。
華やかさはないけれど、誰もが過去を振り返ったときに感じるであろう自分なりの感慨、といいますか。
「パリは、わたしにとって特別な街ではない。特に愛着はなく、この次いつ行くか、予想もつかない。そんなこと、どうでもいい。
わたしのパリは、頭の中にある。わたしの人生の中にある」。
「生きるとは、想い出すこと。人は、想い出すために生きる。
なんにもならなかった、なにもできなかったと涙にくれたパリでの日々が、今のわたしの足元を支える土台になっている」
「思い出とは、そういうものだ。思い出こそ、わたしなのだ。五十を過ぎて、それがわかった」
「神様は何かを奪うとき、必ず、別の何かと等価交換してくれる。そういうことも、過去を俯瞰すれば見えてくる」
「生きていくのは、しんどい。たまさか幸せを感じても、満ち足りた気分は一瞬で消える。自分がどんなに恵まれていたかわかるのは、その時が過ぎ去ってからだ」
「懐かしくなんか、ない。哀しくもない。特別なことは何もない。ただ、わたしとこの街が古い知り合いだというだけだ。
おー、かっこいい締めくくり。これって、『セ・シ・ボン』じゃない?」
こんなふうに、さらっと言えるように私も生きていけたら、と思います♪