ニューロンくん がんばれ!

筋萎縮性側索硬化症:ALSに罹患した「ドイツ語うさぎ」と、その夫「くまさん」の日記。

F先生からのエール その2:

2009年11月30日 22時27分43秒 | 神経内科医師たちからのエール AERZT
F先生の話 その2:

厚労省の「神経難病患者のQOLに関しての研究」での取り組みについて、おはなしをうかがった。

中心は3点。
ひとつは「告知」の問題。
ひとつは「、社会と患者が神経難病を正しく認知していくため」の問題
ひとつは「リハビリ」の問題。

ALSの告知は今でも難しい。
告知後に自殺する患者が出る。鬱になって自死に至る。
告知により家庭崩壊することもある。告知は、患者が人生をより良く生きるために行うべきであること。

認知に関しては、正しい知識をいかに伝えていくか。
メディアやネットは概してセンセーションに伝え、患者も関係者もそれを見て絶望したりする。そのためには実際にその病気に先に直面した人による「ピア・カウンセリング」が欠かせない。つまり、患者(およびALSの場合、多数の関係者)同士の交流が欠かせない。

そしてリハビリおよび喪失能力の代替器具などについて
これは極めて重要。
どの患者にもアクセスできるものであるように

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つまり、ALSであれ、他の神経難病であれ、日本の場合、病気が雪だるま式に膨らんでしまっている場合がある。病気そのものだけで悩むのではなく、周辺事項に関する苦悩が大きいのだ。もしもこれが解消されていくならば、闘病生活にも希望が見え、QOLが良くなる可能性が高い。

ファッションアドバイザー

2009年11月30日 21時56分24秒 | うさぎ日記 MEIN TAGESBUCH
友人あてのメールより:


ゆきちゃん

メールをありがとう。
温かな温かな言葉に、またもやめそめそしました。


>どうか、私に出来ることを教えてください。

ありがとう、ありがとう。

ゆきちゃんに頼めるとするならば、やっぱりファッションアドバイザーです.
天国に行くまで、わたしのファションはゆきちゃんにお任せしたい。


まだおばあちゃんではないから、パジャマで皆さんに介護してもらうのはイヤだなあ、という気持ちがあります。明るくてかわいくてフェミニンな服を着ていたい(かといって人に着せてもらうようになるから、着脱しやすいものでなくてはいけないんですけれど)。

ある男性患者さんは、アロハシャツをパジャマとして改造して着ているのだとか。
「アロパジャ」って名付けておられました。


こういう気持ちは我が儘ということではなく、ALS患者だって、年齢相応におしゃれをしてもいいし、おしゃれをしたいという気持ちが人間らしいから、それを失うべきではないし、うしないたくない、と思います。


いろいろ提案してくださいませ。

わたしもそこまで全然手が回ってないのですけれど、ALS患者のためのケアブックみたいのとかあって、衣服の注意点なども出ているようです。
でも、寝たきり老人ファッションと気をつけるべき点は同じだよね、きっと。
となれば、あっちこっちに情報があるかな~。


もちろん、寝たきりになる前もあるわけですが、
リハビリファッションとか、
車椅子ファッションとか、
いろいろ考えると楽しい?
(わたしとゆきちゃんとふたりで楽しめれば本望)


ここ数年のわたしのお気にいりだったのは、ワンピースとレギンス。
動きやすかったし、あんまりオバさんぽくもなかったし。

もう一度、ありがとう。
心より感謝します。

F先生からのエール その1

2009年11月29日 22時11分19秒 | 神経内科医師たちからのエール AERZT
F先生と二日間いっしょに過ごさせていただいた恵みは計り知れない。
とっても一度には書けそうもない。

しかも、帰途、新幹線乗換駅で、心から尊敬する医師(清水巍医師・呼吸器科)にも応援エールをいただいたので、そのこともあって、書くべきことがいっぱいで、収拾がつかない。


ALSに関与の深い、親しい先生方に囲まれている自分自身の不思議な立ち位置を思うにつけ、もしかしたら、同病を背負い全力で生きている方々の役に立つことはないか、というような想いがちらと脳裏を掠めたりする。だけどもちろん、一方では、悲しんでいる自分だってまだまだ居て、なんだかへーんな気分。

ともかく書いてみよう。
今日は元気なのだから。


F先生のお話から その1

日本の神経内科の基礎を作られたのは椿忠雄先生という方だ。
http://www.bri.niigata-u.ac.jp/~neuroweb/laboratory/bri_010.html
わたしのような初心者でさえも、すでにこの先生の名前は、あちこちで見かけている。特に椿先生が作成された”問診心得10か条”のようなものが、額に入れられて神経内科の医院の壁面に飾られているのを2回見た。F先生のご自宅の居間にも掲げられてあった。

椿先生はALSをなんとか治したいと、日夜、執念を燃やしておられた。日本ALS協会の設立、都立神経病院の設立にも中心的に関与されてきた。

椿先生が第1世代で、椿先生のもとで働き始めたF先生たちが第2世代。現在、臨床現場で中心的に活躍している神経内科のドクターたちは第4世代。

うさ:「神経内科のように、治癒できない病気が多い科を専門になさろうと思ったのはなぜですか? たとえば外科なら、手術すれば病状は劇的に回復し、患者は歓喜するし、医師冥利に尽きるんじゃないですか?」
F先生:「神経内科は、他科に比してものすごく病気の数が多いんです。それがやってみたいと思った理由です」
うさ:「つまり、患者数の少ない、珍しい病気が多いということですか」
F:「そうともいえるでしょう」
うさ:「神経難病のうち、治癒不可能な病気は幾つくらいあるんですか? 20くらいですか?」
F:「いえいえ」
うさ「30くらい?」
F:「いえいえ」
うさ:「50くらい?」
F:「そうだね、それくらいか、もうちょっとかな」
うさ:「治らない患者さんと接するのは大変ではありませんか?」
F:「神経内科の病気は治らないとか、厳しいとかいう医学界の言い方があるが、そうではないです。さまざまな取り組みで、確かに患者さんたちは明るい顔をなさる。患者さんたちが嬉しそうな表情を見せてくれるのは本当にそうなのです。治らない、という言い方は、ボクはほんとうはそうは思わない」

ネットで以下の言葉を見つけた。
「治らない患者に普通の意味の医学はだめであっても医療の手は及ばないことはない」(椿忠雄)
――F先生宅のリビングに、椿先生の写真があった。

主治医その3?:F先生

2009年11月27日 19時09分09秒 | 神経内科医師たちからのエール AERZT
神経内科のなんたるかも知らなかったのに、若いころから実は神経内科とは深い縁だったと知って、自分でもびっくりしちゃった話:


先日、フローが、「F先生に、うさぎさんのALSのことメールしといたからね」というので、一瞬、なんのことかわからなかった。

F先生というのは、うさぎたちの結婚に際して、ご夫妻で証人(仲人のこと)をしてくださった親しい方だ。
わたしは先生が何科の医者かもしらず、「大学医学部の教授だか助教授だか偉い人」くらいの認識しかなかった。「白い巨塔」の世界とは関係なく、F先生はただのF先生。教会で親しくお付き合いさせていただき、お子さんをチャーチスクールで教えたりしてた(ひろっくまはF先生の講義を聞いているし、先生が神経内科医として果たしてこられた業績を認識していたのは当然なのだが、わたしたちのあいだで、F先生の御専門が話題になることはなかった)。

そのF先生が、実は神経内科だった。
しかもたいへん高名な。
認識してなかったのは、うさぎのみ。
先生の名を冠した病気もある。
厚労省の「神経難病患者QOLのための研究班」の班長をずっと務めてもいらっしゃった。ALSにたいへん詳しい、まったくもって公の方だ。


そして、この週末、F先生のご自宅、日本海側までおうかがいすることになった。
「ぜひ、顔、見せにいらっしゃい」とおっしゃっていただいて。


セカンドオピニオンを取る気はなかったし、F先生にお会いするのもセカンドオピニオンというよりは、先生に甘えてこようという感じだ。
けれど、いっさいがっさい抜かりのないフローが、わたしの検査データをすでにF先生の病院に送ってもくれている。

病気の進行具合に追いつけなくて、「元気なうちに浩幸と旅行へ」と思いながらも叶わなかった一泊旅行にもなる。
その意味でとても楽しみだ。


ひろっくまが昨日のうちに、車椅子用座席をJRに予約してくれた。
手続きに、なんと1時間も要したそうだ。
どうか良き旅に、良き時になりますように。

(もともとお昼寝が大好きなひろっくまにとって、土日のお出かけはたいへん負担です。どうぞひろっくまに疲れが出ませんように・・・)

登場人物

2009年11月27日 19時07分54秒 | 主な登場人物 HAUPTPERSONEN
【ブログに登場する主な人物】2010/01/26現在

●うさぎ:
-1985年3月 K国立大学大学院障害児教育学専攻修了
東京にある先進的な障害児教育現場で正規教員として勤務。0~15歳までが通学するところ。乳幼児は親に連れてこられるわけだが、その親も教育対象とする。ここで、障害児の発育にとって夫婦関係、家庭生活がいかに重要であるか体験
-1987年3月21日 結婚
-1992年~1997年 職を辞し、スイス/チューリッヒに長期滞在(配偶者の学術研究のため)。現地で専業主婦。現地で第三子を出産。
-1998年 帰国後、逆カルチャーショックで「日本でフルタイムで働くのは危ない!」と真剣に考え、ドイツ語専門へとトラバーユ。ところが、やっぱり教師への未練や日本文化への妥協から、夜は受験生を教える仕事に講師として従事(2000年~2010年1月)。
-2001年~2004年 訳書が遠因となり、内閣府男女共同参画会議の専門調査会委員を務める。座長は大沢真理さん(東大教授)。
-2009年4月 仕事をしたまま、D大学大学院外国語学研究科ドイツ語学専攻に籍を置く。「ドイツの家族政策」研究を志す
-2009年7月 ALS発症。
現在までに訳書16冊、共著1冊、その他執筆記事多数。


●ひろっくま:配偶者。精神科医&精神分析家

●はなぴー:娘。ひまわりのように明るい高校1年生。ママは絶対に治ると信じて家事をし、手助けしてくれる。ママの病名を知らない

●チキン:次男、大学1年生

●ちらかしタヌキ:長男、就活中の大学3年生

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●あらいぐま先生:主治医その1

●フロー;主治医その2。大学時代の親しい同期生。ALS専門医

●F先生:主治医その3。高名な神経内科医。うさぎたちにとっては結婚に際しての仲人

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●牧師:うさぎが通っているプロテスタント教会の牧師

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○東京都立神経病院:あらいぐま先生とフローの勤める病院

○埼玉精神神経センター:当初、ハビリとエダラボンの点滴でお世話になっていた。ALS患者が40人以上入院している。現在はエダラボンの点滴もリハも訪問にて。通えなくなったのではなく、時間の節約のため。訪問看護の指示書はここから出る。補装具も。

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●ケアマネ:うさぎと同年齢の看護士さん。優しい、美人、ALS患者の経験豊富と、理想的なケアマネさん
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○尊敬している先輩患者 佐々木公一さん。呼吸器装着11年目に東海大大学院入学、修士論文を完成。岩波書店の『生きる力』を中心的にまとめた方。
○尊敬している先輩患者 橋本操さん。わたしのメンター

「ALSは人生の総決算」

2009年11月27日 00時35分16秒 | 神経内科医師たちからのエール AERZT
フロー(ALSの専門医である友人)メールの一部:


「ALS医療では,ほかの病気と違って,患者さんのそれまでの人生が色濃く反映されてきます。ALSという病を通して,人生の総決算をしている印象を強く受けます。孤独な方もいれば,最期の時に親子や夫婦の和解があったりもします。大変なこともあるでしょうが,うさぎさんなら多くの祝福の中で間違いなく乗りきっていけると思いますので,安心しています」

励ましをありがとう。

血液検査クリア

2009年11月25日 23時06分07秒 | うさぎ日記 MEIN TAGESBUCH
今日という日を、感謝のうちに過ごすことができて嬉しい。


ラジカット4回投与後、リルテック3週間服用後の血液検査は、肝臓・腎臓とも正常だった。良かった~!

けれど、今日はラジカットの点滴は控えた。
左大腿部に、湿疹が局部的に出ているからだ。「神経センター」の先生は、「薬疹ではないと思うが様子をみましょう」だし、あらいぐま先生にも確認をしてからにしよう。

通院前に教会に寄って、30分ほど、牧師夫妻にお会いした。
死と隣り合わせの病であるからこそ、身近に魂のケア者がいてくださることはかけがえのない恵みだ。心にある辛さを静かに聞き、祈ってくださった。

牧師は独語聖書(ルター訳)で、詩篇42:12 ”Was betruebst Du Dich,meine Seele,und bist so unruhig in Mir?”を読み、最後からふたつめの前置詞 ”in”が、日本語聖書では長らく不充分に訳されてきたことを教えてくださった。


母に電話で病名を伝えた。
目の前にいるときは、どうしても伝えられなかった。
彼女はALSという病気のイロハは知っていたようだ。
電話口で母が涙をこらえているのがよくわかった。
「ともかく、がんばろうね……」と。


明日は翻訳原稿をしあげよう。
来週からはリーディング原稿が3本続く。シュピリ作品2本目の原稿になかなか手がつかないのは、わたしが時間を無駄にしているせい。しっかりしなくちゃ。
音声入力装置だってあるじゃない。まだまだ充分に発音できる。寝てたってできるはず。

ALSとは どんな病気なのか

2009年11月25日 23時01分58秒 | 発症と告知 KRANKHEITANFANG
病気経過の最後に、以下のURLを付け加えておきます。
みなさまの検索の手間を省くために。


「ALSとはどんな病気か?」:

日本神経学会のHP
http://www.neurology-jp.org/guidelinem/neuro/als/als_index.html

日本ALS協会(JALSA)のHP
http://www.alsjapan.org/

厚労省(難病情報センター)のHP
http://www.nanbyou.or.jp/sikkan/021.htm
http://www.nanbyou.or.jp/pdf/2008als.pdf


身障手帳3級

2009年11月24日 19時28分18秒 | 医療・福祉制度 INSTITUTE
特定疾患はすでに申請済みですが、判定会議が頻繁に開かれる身障手帳のほうが、先に交付されました。先週のこと。

ひろっくまは早速、手帳を受け取りにいきました。
同時に「心身障害医療手帳」が交付され、医療費は今後いっさいかからなくなりました。歯医者であれ、目医者であれ、日本全国どこの医療機関でも、だそうです。

となると特定疾患は福祉器具などの購入に威力を発揮するのでしょうか。


そして今日のひろっくまは、警察に行って、「駐車違反除外指定車」をもらってきました。

ひろっくま:「これあったらさ、駅前ロータリーに停めて、どこでも行っていいのかなあ? 日中は12時間まで同一のところに停めていいんだって」と宣っています。

2kgなんて ひと晩

2009年11月24日 19時17分06秒 | ひろっくまより VON MEINEM MANN
痩せないように、願わくば5kgの体重アップを狙う うさぎですが:


うさ:「ね、体重、少し増えてきてると思う。さっき服のままだったけど、50kgあったよ♪ 50超えるってすごくすごく久しぶり!」

ひろっくま:「がんばれ~! 次の目標は52kgだね」

うさ:「二十歳のころ、一過性で52を記録したことあるけど、それ以外、一度もそんなことないんですけど・・・」(※妊娠時を除く。妊娠中も6~7kg程度しか太らなかったけれど)

ひろっくま:「どして? 2kgなんて ひと晩で身につくよ~、ぼくの場合」