龍一京/瓜生章の活動日記

作家龍一京/瓜生章の日々のあれやこれやを綴っています

先日、小紫の塾した実を……

2016年10月13日 | 日記
今年は、小紫の実がびっしりつきました。先日、熟し塾した実を摘んだという報告はしました。その実をきれいに洗い、新聞紙の上である程度水を切り、いま網の中に入れて吊るし陰干しにしています。
種子はかなりの水分を含んでいますので、その水分を完全に抜かなければ腐ってしまいます。大事な工程です。そこでいま、小紫の可憐で丸く、可愛い紫の実を見ていると、詩を書きたくなってきました。今でも可憐で可愛い女性の姿を見かける

と、その純粋さにふと目を奪われます。こんなガサガサして、人の心が乾ききっているような世の中でも、まだ、純粋さが残っていると気づかされ、なんとかそれをわらべ歌の詩という形で残し、いずれ曲を付けたい、そんな思いに駆られてくるのです。もちろんそればかりではありません。先日、小説はしばらく書きたくないと言いましたが、なぜか、いろいろなプロットが頭に沸いてきます。もちろん、だからと言って今すぐペンを取る気にはなれません。しかし、私の中にある何かが

突き動かされていることも確かなのです。
命ある限り作品を作り続けたいという気持ちがまだ残っていて、それが自分の気持ちを突き動かしている。そんな風に思えます。「何もしたくないのに何かしたい」そんな全く正反対な相反することが、勝手に胸の中で葛藤し、悩ましてくれま

す。有り難いことです。最もその気持ちがすぐ作品を作ることに通じればいいのですが、自分の中で正反対の気持ちが互いにけんかしてしまうのです。これを俗にいえば悩みというのでしょうか。贅沢ですね。
一方で「俺はまだやる気は消えていないんだ」そんな気持ちがしてきて、何かが気持ちを奮い立たせてくれるのです。

いずれ気持ち的に「書かねばどうしようもならない」そこまで気持ちの高ぶりが出てきたときに、自然にペンを取り書き始めているのでしょう。そこまで待つしかありません。私がこんな気持ちになること自体自身で驚いています。しかし、これが現実。何もかも受け入れて前を向いて生きなければ、とふとそんな気がしました。  ではまた。