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日本的経営の終焉(日本の労働制度再論)

2012-10-30 18:46:32 | 政治・行政


日本的経営の特徴として、「終身雇用」、「年功序列」、「企業内組合」があげられる。

提唱者は、ジェームズ・アベグレン。1958年ダイヤモンド社から出版した「日本の経営」においては発表した。アベグレンは、ガタルカナル島、硫黄島等で日本軍と戦い、戦後は、米戦略爆撃調査団の一員として来日した。1966年からは、ボストン・コンサルティング・グループの日本支社長として活躍し、1982年から日本永住、1997年に日本国籍取得。上智大教授やアジア・アドバイザリー・サービス会長等を歴任。晩年は、米国籍を棄て、日本人の妻と東京都内で暮らしたという。2007年逝去。ドナルド・キーンの経営学者版のような人生を送った人だ。

日本的経営について、日本経済の絶頂期には、その繁栄の根拠として大いにもてはやされた。その論理とは、「終身雇用と年功制は、長期間の雇用を保障し、外部からの中途採用を制限するとともに、年齢、勤続年数、実績に基づいた昇進システムを通じて、内部の従業員に企業固有のノウハウや技術を蓄積するインセンティブを与え、組織内での協力を高める効果を持つ」というものであった。

しかし、日本経済の長期衰退により、その論理がゆらいでいる。それにも拘わらず、日本の経営者には、これを問題とする意識は、全くないようだ。また、官公労と大企業労組により牛耳られた労働界にも、戦後の労使交渉を経て獲得した成果として、見直す気はさらさらないようだ。労働界の支援を受ける民主党は、当然のことだが、この慣行を強化する派遣規制の法律を整備に注力している。

年功賃金制度の何が問題か。なによりも、経済原則に反しているということだ。経済は、財の取引関係を基礎として成り立っているが、財の価格は、市場では一つに修練する。一物一価の法則だ。これを労働に置き換えれば、同一労働、同一賃金となる。年功賃金とは、労働者の年齢によって異なる価格をつけるということだ。

自由な市場では、同じ労働に対して異なる価格は成立しない。需要曲線と供給曲線の交点に収斂する。これは、経済学の基本中の基本だ。一物多価あるいは差別価格が成立する条件は、市場の分断がある場合だ。日本では、企業内と企業外とで、労働市場の分断がある。

市場の分断は、如何にして可能だったか。これは、戦後経済が慢性的に需要不足・労働力不足だった要因が大きい。作れば売れる経済では、生産要素の長期安定的確保が最大の経営方針となる。資本確保では、メーンバンク制が発達し、労働では、労働者囲い込みの一環として年功賃金・終身雇用が発達した。この制度は、銀行や労働者にとっても都合がよかった。銀行にとっては、企業との長期的関係により情報の非対称性が薄れ、労働者にとっては、職の安定により生活設計が容易となった。

この年功制にいま崩壊の時が近づいている。それは、とりもなおさず労働関係に経済原則が働き始めたからだ。つまり、戦後の異常状態の解消である。需要不足経済からデフレ経済に転換し、企業は、その対応に追われることとなった。労働も、市場価格で調達しなければ競争に敗退することとなる。チャイナのWTO参加により安価な労働が豊富に得られることになったこともこの傾向に輪をかけた。海外直接投資により、国内労働は、海外労働と価格競争に晒されることとなった。

その結果が、労働力供給超過と非正規雇用の増大である。現在では、若者の新規雇用の50%近くが非正規雇用という。認識しなければならないのは、これは、経済原則に即した変化であり、異常な事態ではないということだ。非正規労働の賃金は、経済原理に基づいた市場価格に近い。企業は、その生存を図るためには、市場価格で、労働を調達せざるを得ない。

問題は、我が国の制度が、非正規労働の増大という事態に対応できてないことだ。制度は、年功賃金正規雇用中心に組み立てられている。非正規労働は、あっってはならないという前提でできている。企業が、非正規労働に支払う費用は市場価格だが、規非正規労働者の手取りは、押し下げられている可能性がある。派遣会社によるピンハネ分は明らかだ。また、契約労働者の雇用期間規制により、契約労働者は5年で正規雇用に転換しなければならない。実際は、企業は、優秀な契約社員でも5年で解雇する。熟練インセンティヴの低下は労働者と企業双方に損失をもたらしている。また、これを大きく見れば、非正規労働者の犠牲の上にたって正規労働者の市場価値以上の賃金が維持されているとも見ることも出来る。

技術流出の問題は、コインの裏側の問題だ。労働市場が分断されているが故に、過去においては、高技能労働者を市場価格以下の賃金で雇うことができた。しかし、グローバル化により、ここでは、企業の側が競争に晒されることになった。高度技術者は、市場価格を提供する企業に移動する。企業は、技術者を育てるために、育成投資を過去おこなった。その恩に感じて留まれと説得するが、経済原理には抗いようがない。かくて、人材移動とともに技術移転が生じてしまう。

この移転に輪をかけているのが、定年制だ。年功賃金制に下では、高齢者は、自己の労働の価値以上の賃金を得る。高年齢高賃金労働を修正する制度が、定年制だ。いわば、一物一価原理に反する制度の限界を示す制度といえる。しかし、人生80年時代を迎えたいま、定年制は、優秀な熟練技術者を海外企業に流出させる制度と化している。もし、市場価値に応じた賃金制度であれば、定年退職を強いる必要はない。熟練労働者の育成には、巨額の投資がかかっている筈だ。それをむざむざと海外の競争にプレゼントしていることになる。これでは、競争に勝てるわけがない。そして、倒産、社員再就職を通じて最新技術の流出という更なる悪循環が続く。
定年については、解雇規制の観点もある。八代尚弘氏の雄弁な文章があるので、引用させてもらおう。
「大きな問題は定年退職である。高齢化で労働力が減り、熟練労働者が減っている中で、貴重な高齢者を強制的に解雇するという定年退職は、極めて野蛮な制度である。これはアメリカでは昔から年齢による差別として禁止されており、ヨーロッパもその方向に向かっているが、日本だけ進まず、せいぜい定年退職後の再雇用を政府が考えているだけである。ただこの定年退職後の再雇用は一年契約の非正社員であるため責任ある仕事はできず、貴重な熟練労働力を無駄にしている。定年退職制度を変えられない理由は、企業にとってこれが唯一の雇用調整の機会だからである。つまり、一旦雇用を保障すると能力不足の人も定年まで雇い続けなくてはいけないため、定年退職はまさにそのような労働者をシャッフルする唯一の機会なので企業としても変えられない。よって定年退職してもらい、有能な人だけを再雇用するという考え方になるのである。日本の定年退職は、年功賃金という年齢による逆差別とセットになっているのでなかなか変えられないのである。」
http://www.jacd.jp/news/column/100513_post-49.html
日本型経営の特徴の一つが終身雇用制であった。しかし、この言葉はミスリーディングだ。正確には、「定年まで雇用」と称すべきものだ。むしろ、欧米企業は、終身雇用だ。その職能が必要な限り、本人の労働能力が衰えるまで雇用する。定年制は、年齢差別賃金制の極端な場合と考えることが出来る。日本的経営の利点は、長期的視点にたった技術の蓄積と忠誠心であったという。その利点を一気に放棄する定年制による企業損失は、極めて大きい。その損失を認識できない年齢差別賃金制度の弊害は大問題だ。

年齢差別賃金制は、経済原理に反するだけではなく、前に述べたように、人権原理にも反する。日本で女性の正規雇用が進まないのは、無限定競争に曝される労働環境にある。サービス残業が日常の世界では、女性の活躍の余地は限定される。また、ことは女性だけの問題ではなく、男性労働にも加重な負担を負わせる。ワークライフ・バランスも現状では、掛け声だけに終わるだろう。また、モーレツ世代の号令にゆとり世代は対処困難だろう。うつ病患者の増大も、この制度のひずみかも知れない。また。制度の意図した効果の忠誠心も、最近の調査では、日本の労働者の忠誠心は、海外企業より低い結果がでている。これも、日本企業のトータルな職場環境が劣化しているせいと考えられるのかもしれない。

さらに、職務能力ベース賃金制度は、企業が社会変化に対応するのに有用だ。日本を外から見ると、一部世界レベルに伍している分野がある反面、世界水準から大きく劣っている分野が並存する。例えば、劣っている分野は、そういう分野が存在すること自体認知されてない。例えば、企業法務やPR分野、金融工学など。日本企業は、社内で、一から人材育成をしようとする。あるいは、見よう見まねで社内のゼネラリストで対処しようとする。しかし、そんな体制では、グローバル競争に勝利できないのは当然だ。日本の大学では養成できない専門分野も多い。

最近はやりのグローバル人材の育成も同様だ。育成するのに時間がかかり、育成したと思ったら、引き抜かれるのがおちだろう。グローバル人材とは、文字通りどこでも活躍できるからだ。グローバル人材は、養成しなくても世界には腐るほどいる。問題は、そういう人材を採用も活用も出来ない人事制度にあるだろう。

例えば、豪州。この国は、一部を除き突出した優秀性はない。しかし、オールラウンドに世界の最高水準に近い能力を保持している。なぜなら、新たな分野が生じる度に、その分野を専門家を他国から連れてくるからだ。職能ベースの賃金体系のため、中途採用がスムーズだ。

日本の企業経営は、素人による経営だ。京セラやトヨタのように例外的に優れた経営手法を編み出す例はあるが、それらの企業でも、総務部を見れば、素人集団だ。これを世界水準に引き上げるには、中途採用によるのが手っ取り早いだろう。

年齢差別賃金制度の弊害はあきらかだが、労使双方とも問題意識は低い。かつての成功体験が邪魔をしており、日本社会全体が、正規雇用のマインド・コントロールに支配されている。また、一斉入社式、同期会、退職金控除制度など補完システムも強固だ。しかし、経済原理に即した改革は不可避だ。

問題は、どうやって改革に向かうかだ。出発点は、公務員制度の改革だろう。

日本の近代労働制度は、明治の公務員制度がスタートだった。それを民間大企業がまねた。戦前は、年功賃金は官吏のみに適用され、現業職員は雇員とされ俸給制度は異なった。戦後、占領軍が導入した人事制度は、アメリカの制度で、職階制と呼ばれるものだった。これは、職務に応じた俸給制度で、上位職種に異動するためには、昇任試験を受ける必要があった。しかし、この制度は日本になじまないとして、占領軍が導入した様々な行政制度とともに、なし崩し的に制度が変容してしまった。おりしも、暴力・騒乱行為を伴う戦後民主主義労働運動が燒結を極め、官吏に適用されていた年功制度が、一般公務員にも拡張された。かくて、経済民主化の掛け声とともに官吏の年功人事制度が、一般職員にも適用されるようになった。

この戦後の公務員制度改革の結末が、数年前の高齢ゴミ収集公務員の年収問題だ。正確な数字は覚えていないが、ヒラの職員の年収が約800万円程度だったと記憶する。これは民間では課長級の俸給だ。さすがに、これはやり過ぎとして社会問題となった。ゴミ収集は、その後依託業務化が進み、人々の記憶から消えた。しかし、自治労は、職員の俸給は適正で、民間企業の俸給レベルが低いのが問題だという。現に、自治体職員の俸給は、上がることはあっても、下がことはない。ワタリなどでヤミ昇給するケースも野放しだ。これには、自治体首長の選挙が、職員丸抱えで行なわれ、首長が組合に頭が上がらないとい構造的問題もある。(この点でも、大阪市の橋下市長は偉い。)

日本で最大の雇用者として、国の賃金制度は民間の賃金制度に大きな影響を与える。しかも、意識的な制度改革が可能な領域だ。おりしも、公務員制度改革は、政治の主要論点となっている。まず、職階製を復活させ、職能に応じた賃金制度とし、年功部分は廃止し、職務の習熟度に応じた昇給制度に変更すべきだ。公務員の一括採用をやめ、専門職・管理職は、原則公募制をとるべきだ。それにより、官庁の無意味な縄張り争いも天下りも自然に是正されていくことだろう。

人事院は、職能別賃金を調査し、職務ごとに勧告を出すようにすればいい。人事院の報告は、単に、公務員の俸給の適正化に役立つだけではなく、民間賃金へも波及していくだろう。職種ごとの相場観が生まれる。そして、それは、学生の学校選択に反映していくに違いない。

ところで、つい先日、維新の会が、キャリア公務員の40歳定年制導入を突然打ち出した。もともと国家戦略会議が労働制度全般の改革の中で今夏提案したものだ。企業の年功賃金制度による高齢者賃金負担の軽減と労働力の新陳代謝をねらったものと説明される。しかし、これは問題の本質をごまかし更なる混迷を労働制度に持ち込むものだ。不合理の本質は、年齢差別賃金制度と不当な解雇規制にあり、その問題に真正面から取り組むべきだろう。

労働界は、これまでの提案に反対だろう。人間を物と同じに扱うのかという反論だ。人間は物ではない。人間にふさわしい処遇を受ける権利がある。だからこそ、各種の規制や福祉政策がある。ただし、経済システムの根本的作動原理に逆らうことは不可能だ。現状の仕組みでは、我が国の産業は衰退し、結果として生活水準が低下するだろう。法律で、それを防ぐことはできない。法律は、経済システムを機能不全にするのではなく、経済システムをうまく働かせ、結果としてよりよい生活を国民に享受させることを目的とすべきだ。労働制度を改革しなければ、日本経済の復活はないことを銘記すべきだろう。

PS:その後、良い記事を発見しました。見てね。「橘玲の日々刻々]
素晴らしき、強制労働社会」

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