うらくつれづれ

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天皇制と皇位承継―継体方式か道鏡方式か

2012-10-15 18:23:10 | 政治・行政

政府が、女性宮家創設に関する有識者「ヒアリング」の論点整理を公表した。なお、ヒアリングというのは英語の誤用だ。この春から、男子がなく将来臣籍降下予定の女性皇族しかいない現状に鑑み、将来の宮家公務の多忙を軽減するために検討を進めてきたものという。

しかし、この理由は怪しい。現宮家は、確かに福祉・医療・学術関連の団体の名誉総裁などを務められている。しかし、その任務は、女性宮家当主が果たされており、喫緊の課題とはとても言えない。

この問題は、今は悠仁親王のご誕生により下火になったが、皇位承継の問題と密接に絡んでいる。2004年小泉内閣により設置された「皇室典範に関する有識者会議」の結論では、女系天皇・女性宮家容認の考えが示された。今回の会合も、皇位継承問題と切り離すと前提を置いたというものの、女系天皇制度化への布石ととられても当然だろう。なぜなら、宮家とは、皇統を承継維持するための制度だからだ。

男系子孫断絶時の皇位承継に対する方式は、2方式しかない。継体方式と道鏡方式だ。継体方式とは、残虐で名を馳せた武列天皇の系統が断絶したとき、重臣達が、応神天皇の5世の男系子孫を越前から迎え、継体天皇として即位させた方式だ。

もう一つは、女系天皇を認める方式だ。2004年の有識者会議前後の世論調査によれば、女性天皇容認論支持が、75%程度に上った。愛子内親王の天皇即位に対する支持は確かであるが、果たして有識者会議が支持する女系天皇制への支持であるかは疑問だ。国民は、女性天皇と女系天皇の区別をしていただろうか。

女系天皇に対する意見を聞こうと思えば、道鏡方式を支持するかと、聞くのがわかりやすい。道鏡は、称徳女帝の寵愛を受けた。女帝は、道鏡を天皇にしようとしたが、宇佐神宮の託宣により阻まれた。成功して道鏡の子孫が皇位に付く場合、これが女系天皇だ。果たして、道鏡方式を支持する世論は、どれくらいあるか。

より大きく考えてみると、皇位承継問題は、天皇制の派生課題にすぎない。果たして、日本に天皇制は必要か、天皇は、どういう機能を果たしているのか、この問に対する答えが、継承問題にも影響する。

天皇の源は、古代日本の支配者に遡る。当時は、祭政一致の時代。記紀その他の資料によれば、天皇・皇后は、神話に淵源を持つ特別な血統に属するシャーマンとして託宣により国を統治したと見られる。天皇・皇后が、祈る存在だったことは、記紀の記述に豊富に見られる。また、原始日本の信仰が別途発展した琉球王国の統治体制との類似性からも明らかだ。ちなみに、現在の我々の初詣とおみくじもその時代以来の民族の伝統だ。

託宣は、日本独特のものではない。ギリシャから殷王朝まで、当時普遍的に行なわれていた祭政形態だ。また、世界の古代支配者は、多く神話中の始祖に支配の正当性を持つ。その意味で、古代天皇制は、当時の世界標準であって特異なものではない。

天皇制が世界でも特異なのは、その古代支配制度が、現在まで連なっていることだ。これは、世界のどの民族もなしえなかった世界遺産を遥かに超越した奇跡だ。つまり、天皇には、日本の神話時代以来の日本の歴史全体が凝縮している。政治、文化、民俗等、あらゆる日本的なもの、且つ、その最善のものが天皇に具現化しているのだ。たかだか400年の歴史しか知らないマッカーサーが天皇に感銘を受けたのは、あたりまえだろう。

(なお、天皇の出自に関して、戦後まもなく騎馬民族征服説なるものが唱えられた。これによれば、応神天皇は、弁韓の地から渡った騎馬民族として日本に新たな王朝を開いたとされた。いまでも、天皇は朝鮮人という俗論の根拠となっている。しかし、この説は、日本の朝鮮統治のイデオロギーとしての日鮮同祖論を背景として生み出されたあだ花的歴史仮説で、具体的根拠は全くない。戦後の狂ったSF古代史観の総仕上げとも言うべきものだ。)

なぜ、日本に於いてのみ古代支配体制が現在まで、継続したか。

まず、第一の理由は、日本が大陸と適度な関係を維持しつつ孤立した閉鎖社会であったことだ。大陸の動乱は、日本に大きな影響を与えたが、決定的ではなく、自律的・連続的な歴史発展が可能だった。朝鮮と異なり、海という自然の要害に守られ、伝統を維持しながら、主体的に大陸の文明発展成果を導入できた。

第2に、天皇制の宗教的背景がある。日常の神道信仰の連続として天皇が存在した。お天道様という言葉に象徴される太陽神。豊穣神、祖霊と天皇との融合があった。

天皇の即位儀礼は大嘗祭と呼ばれる。かつて新嘗祭という祝日があった。今では勤労感謝の日というおかしな祝日になってしまったが、これは、新米の収穫を神に感謝する謙虚なものであった。今では、人間に感謝する傲慢なものに変質してしまった。天皇即位にあたって特別に行なうのが、大嘗祭だ。かつて、Economist誌は、天皇をRice Godと紹介したことがある。大嘗祭は、新天皇が穀霊と合体し、国土に豊穣をもたらす能力を身に付ける儀式だ。つまり、天皇は、神だ。人間ではあるが神でもある。

太古からの歴史時代全体を通じて、日本は神国との認識があり、天皇はその中心とされた。文学、神楽、絵画、その他の大衆芸能を通じて、その認識は庶民の常識であった。明治の国家神道下で形成されたものではない。その常識が崩れたのは、歴史を曲解する戦後教育によってだ。足利義満、織田信長が天皇になれなかったのも、神としての天皇概念を変革できなかったからだろう。

第3に、日本が母権社会であったことも理由の一つと考える。例えば摂関政治。何故、摂関家が権力を振るったか。天皇の母系親族だからだ。しかし、世界的にみれば、母系親族が権力を保持する例はあまり聞かない。父系社会では、子供は父に属し、母系親族は影響力を持たない。日本では、古来、母権が強力であった。結婚は通い婚であり、子供は母系の実家で育てられた。成長して父の家督を継ぐ。中世以降、チャイナ方式の父系優先の思想が発展するに従い、嫁入りの習慣が出来てきたが、本来は、通いの婿入り後独立の結婚形態だ。いまでも、出産は里帰りで行なう場合が多い。また、国際結婚が破綻した場合、日本女性は、子供を日本に連れ去るとして、国際条約に反すると非難される。これも、子供は母親のものという母権社会の名残だろう。天皇制の父系承継原理と母権原理の絶妙なバランスが、天皇制の維持に役立ったのではないか。藤原氏は、天皇にならなくても政治実権を獲得できた。クーデターの必要性はなかったのだ。(天皇の権威が確立した中世以降は、征夷代将軍位授与で代行した。)

それでは、逆に、天皇制は、我々の役に立ってきたのか。答えは、イエスだ。誰にでもわかる事例は、明治維新だろう。天皇がいなかったら、尊王攘夷運動はなく、国民がまとまって植民地化の危機に立ち向かうことができただろうか。天皇制は、民族の危機において民族を救った。

天皇は、日本の伝統、文化、民俗の生きた保存者でもある。しかも、その、最良のものが保持さえている。伝統は、死んだものではない。各時代に生きる人々は、伝統を学び、その再生を図ることで文化を発展させてきた。世界の奇跡である天皇は、その発展・再生産の源泉として比類なきものだ。例えば、源氏物語。王朝文化の粋として、現代まで繰り返し美術・工芸のモチーフとなってきた。

天皇は、我々の誇るべきアイデンティティーでもある。天皇は、日本・日本人の象徴だ。憲法の言葉だが、外国人の言葉だけあって、日本と日本人を説明するにはうってつけだ。天皇を語れば、日本人と文化を説明することになる。

特筆すべきは、東アジアでにおける日本の歴史の特殊性だ。東アジアでは、チャイナ大陸の支配国家に対し、周辺国が臣下の礼をとる冊封体制が支配的だ。例えば、朝鮮は、チャイナの直轄植民地として出発し、その後、冊封国として自治権を獲得したが、法的に完全独立国家となったのは、日清戦争後の大韓帝国成立が初めてだ。それ以前の支配者は、チャイナから任命される「王」だった。これに対し、日本の聖徳太子は、チャイナ皇帝と対等にお外交関係を結んだ。天皇は、英語では皇帝エンペラーだ。つまり、天皇は、日本が歴史的にチャイナと同格の独立国家であることの証だ。朝鮮のように、チャイナの年号利用を強制されることもなかった。朝鮮では、今でも天皇を「倭王」と呼ぶ。これは、朝鮮が歴史的に達成できなかった独立を「野蛮な」日本が達成したことへのインフェリオリティー・コンプレックスのなせるわざだろう。

我々は、事あるごとに神に幸せを祈ってきた。日本各地に無数にある神社はその証だ。神社の国家レベルにお組織化と国家神道化は明治以降の産物だ。しかし、それ以前の自然な神道でも、天皇が中心的な役割を果たしていたことは、応神天皇を祭った八幡宮の多さやお陰参りの盛行をみればあきらかだ。祈りは、我々に安らぎを与える。民族・国家には盛衰がある。不運な時、民俗の心の安定は乱される。その、不安定さを和らげるものが、信仰であり不変の山河だ。天皇は、祈る存在として、我々の信仰の中心にある。

天皇制については廃止論もある。2009年の世論調査では、8%程度が反対だという。もっとも、これは日本人だけなのか、在日朝鮮・韓国人を含んだ数字なのかは不明だ。佐賀県では、天皇の植樹祭参加に関し、毎日新聞の在日朝鮮人記者が、佐賀県知事に対し「関連予算は無駄使い」と常軌を逸した執拗さで記者会見で食い下がった。YOUTUBEに画像がある。

天皇制廃止論は、明治時代、共産主義革命運動とともに日本に入ってきた。当時、ロシアでは、ロマノフ王朝に対する革命が成功し、日本に対してもコミンテルンの世界革命運動浸透工作が進展しつつあった。これに呼応したのが、幸徳秋水らのグループだ。一部は、日本でも革命を起こすため天皇暗殺を企てた。世に言う大逆事件である。共産主義者の天皇制廃止の主張は、プロレタリアート独裁の主張から当然だ。ただし、共産主義は、ソビエトの崩壊でその理論は破綻した。

戦後、戦勝国を中心に天皇戦犯論が支配的であった。しかし、アメリカは、天皇の地位は、日本国民の意思により決定されるべきとの公式見解であった。当時の国民の意見は、天皇制護持が圧倒的であり、天皇は東京裁判にかけられることなく、天皇制の維持が占領軍の方針となった。

しかし、戦後の混乱期に勢力を伸ばした共産党、その共産党の主流を占めた在日朝鮮人により、天皇制廃止論は強力に主張された。(現在の共産党は日本人が主体であるが、戦後まもなくは、在日朝鮮人が主流を占めていた。)在日朝鮮人にとっては、天皇は、朝鮮民族の独立を奪った不倶戴天の敵と見えたのであろう。この背景には、自国が決して達成できなかった歴史的独立を享受した「野蛮な」日本の象徴である天皇に対するインフェリオリティー・コンプレックスがあるだろう。

第2の天皇廃止論の根拠は、この戦争・侵略の首謀者あるいは旗印が天皇というものだ。これは現在でも、日教組を中心に根強く主張されている。日の丸、君が代反対運動だ。現に、大阪では、橋下市長の国旗掲揚国家斉唱条例に対し、日教組は現在でも執拗に反対活動を行なっている。

しかし、この主張は、昭和のたった10年間の戦争時代の経験から、日本の神話時代に遡る天皇制全体を非難するもので、倒錯と言ってもいいだろう。戦争責任は、その自体を議論すればいい。仮に、天皇に戦争責任があるとしても、主導的責任ではないことは明確だ。もっとも、現在の日本の悲劇は、戦争責任の追及を自らの責任で行なわず、東京裁判を鵜呑みにしてきたことに原因がある。いまからでも、東京裁判を再検討し、我々の何が問題で、誰に、何時、非があったのか、総括することが必要だ。東京裁判に悪乗りした戦後民主主義者には、その資格はない。

その他の反対論で有力なのが、天皇制は、憲法が定める法の下の平等に反するというものだ。また、類似の主張として、天皇に纏わる行事が憲法が禁じた政教分離の原則に反するというものもある。これらの憲法の規定を理由にした反天皇論は、お粗末だ。憲法第1条で天皇を規定しているのに、その他の条項で、天皇は違憲だというのだ。単なるためにする議論で、屁理屈にもなっていない。

さて、以上の説明の上にたて、具体的な皇位承継をどう考えるか。

現時点で継体方式をとる場合の難点は、5世という条件に当てはまる傍系男系男子がいないということだ。明治天皇の血をひく男系男子が悠仁親王のみで、悠仁親王は、明治天皇の6世の子孫だ。継体は、応神の5世の孫だった。仮に、悠仁親王が欠けた場合には、継体方式は不可能ということだ。

そこで、主張されているのが、戦後臣籍降下した旧宮家の皇族復帰だ。ただ、この主張の弱点は、現存旧宮家は、現在の皇室とは室町時代に分岐したという血統上の遠さだ。ただし、明治天皇の内親王は、これらの旧宮家に嫁いだ例があり、その場合は、現天皇家との血統上のつながりは濃い。

道鏡方式の場合、和気清麻呂事件が決定的な障害だ。小林よしのり氏は、女系論者だが、その主張のポイントは、何よりも現天皇が、女系天皇を希望しているのではないか、もしそうならその意思を尊重するのが大義だ、というにある。称徳女帝は、皇位を道鏡に継がせることを自らの意思で望んだ。しかし、この意思は、伝統に反するとして否定された。女系論者は、この歴史的事件に対する評価を明らかにする必要があるだろう。

小泉元総理は、道鏡方式を支持するにあたり、始祖のアマテラスが女性なのを根拠に挙げた。しかし、これは、浅薄な理解だ。皇室の始祖は、アマテラスとスサノオの誓約により誕生した。つまり、父は、スサノオであり、この兄弟の父は、イザナギなので男系原理は、貫徹されている。

つまり、この問題は、いずれの方式をとろうとも、伝統の枠内に収まらないということだ。ただ、相対的には、旧皇族復帰に分がると考えられる。

さて結論だ。筆者は、皇室典範9条を改正し、現宮家が旧宮家の男系男子を養子とすることを可能とし、現存宮家を男系家系として存続させることが最も国民感情に合うと思う。場合により、現天皇家との血縁関係のある旧皇族家系に限定することも一案だ。また、愛子内親王や秋篠宮家の内親王も、同じ条件で養子をとった場合には、現宮家あるいは戦後断絶した宮家を承継することを可能とすべきだろう。

皇位継承は、依然として危機的状態にある。悠仁親王の欠けた場合に備え早急に準備を行なわなければならない。これまでの政府の先入観に囚われた議論ではなく、真に国民的議論により結論を出すべきだ。

おまけ:天皇の地位の象徴として3種の神器がある。ある政府高官が言った。3種の神器は安徳天皇とともに瀬戸内海に沈んだ。いまのは偽物ではないかと。3種の神器は確かに皇居の賢所にある。しかし、本物は、 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)のみで、その他はコピーである。天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は、本物は熱田神宮にあり、水没後再度コピーが造られた。八咫鏡(やたのかがみ)は、本物は伊勢神宮にある。八尺瓊勾玉は、安徳天皇入水の折、水に浮かんでいたものが回収されている。従がって、現神器は、すべて本物だ。(NHKの歴史ヒストリアという番組では、3種の神器の内、剣は、安徳天皇とともに永遠に失われたと解説した。神器は、言うまでもなく天皇の正当性を示すものだ。その一つが失われたとは、聞き捨てならない言説だ。現天皇には正当性がないと主張したいのだろう。こんな歪曲を行う行為は、放送法違反だ。国民は、すべからくNHKの受信料の支払いを拒否すべきだろう。)


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