宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

続・天北線の痕跡

2016-03-26 18:00:00 | 日記
 晴れたり、急に吹雪になったりと天気の変化が激しい札幌ですが…
   確実に春が近づいているのを感じます。

  

  

 前にも書きましたが、天北線は音威子府から右折し中頓別、浜頓別、猿払を経て南稚内まで
 約150kmの鉄道でした。1914年(大正3年)に音威子府から小頓別が開業し、1916年(大正
 5年)に中頓別まで、全線開業は1922年(大正11年)のことだったようです。その後国鉄から
 JR北海道に引継がれて頑張っていましたが、1989年(平成2年)に廃止されました。

  

  

  

 廃止にともなって宗谷バスが代行運転していましたが、これもなくなると聞きましたが……
 音威子府からのアクセスはどうなるのでしょう。おそらく開通したばかりの天北線を利用して
 中頓別に移住した宇野一家。その時期は大正の中頃と推定されますが、駅前などはかなりの
 賑わいだったことが町史などから分かります。

 今日は北海道新幹線の開業日ということでマスコミなどは大騒ぎです。天北線開通時もそんな
 騒動だったのでしょうか…時代の流れと言えばそれまでですが、天北線は痕跡を残すだけです。
 沿線の環境に負荷をかけ赤字となる新幹線。速さ、アクセスでは飛行機にかないません。見捨て
 られる沿線を考えても「祝賀」一色とはいきません。

続・ブラタモリ・熊本編

2016-03-24 20:30:01 | 日記
   晴れていたと思ったら突然の吹雪に…変りやすい天気の札幌です。
   それでもすぐに解けてゆく淡雪です。宇野ゆかりの皆さま、いかがお過ごしですか?

   先日のブラタモリ、やはり熊本城中心でしたね。やりすぎ熊本城!? 清正公は
   そんなに用心深かったんですかねぇ…次回(4月2日)も熊本ですね。火の国とも
   言われる肥後の国、実は「水の国」だった…? 果たしてどんな内容でしょう。

   



   阿蘇中岳火口です。火の国・熊本と言えばやはり阿蘇山。噴火が心配されますが
   同時に、いろんな恵みも与えてくれます。水もそのひとつでしょうか。火山や地震が
   多い土地柄だからこそ、うまく自然と付き合っていかなければなりません。いくら
   だれかが「安全・安心」と言っても、必ず「想定外」はありえます。原発など危険な
   ものには手を出さないというのが、福島の事故の教訓です。

   

         避難用のシェルターでしょう。どこの火山にも必要でしょうね。

   

   

   

        こんな美しい風景が見られて感激でした。やはりどこか北海道とは違います。

   

   

   

   前回の訪問では、短い時間でしたが熊本市内の宇野ゆかりの場所を散策できました。
   熊本には鷹匠町というのがあって、私たちの宇野は明治時代にはそこにそこそこの
   屋敷を構えていたようです。鷹匠町の地名は今は消えています。今のどの辺りなの
   か…どうも新市街らしいのですが、よくわかりませんでした。今度はもっと時間を
   とってじっくり歩きたいと思いました。桑子アナ、移動するようですね。



     高森町のフタモンアシナガバチの♂です。ちょうど巣が解散する時期でした。

ブラタモリ・熊本編

2016-03-19 09:36:15 | 日記
  低気圧が通過しているので雨になっています。さらに雪解けが進みそうです。
   でも、通過後に寒気が入るのでまた雪になりそうです。サクラの開花が聞こえて
   きますが、札幌は1か月先です。宇野ゆかりの皆さまの地域はいかがですか?
   「ブラタモリ」は、いよいよ熊本へ。どんな内容でしょうか、楽しみです。





         熊本城です。「武者返し」が紹介されるのでしょうか。

  

           加藤清正像です。こんな兜?だったんですかね。

  

        坪井川から見た熊本城遠景です。当時はもっとよく見えていたのでしょう。

  

  

           夏目漱石旧居です。

  
 
           小泉八雲旧居です。

     ブラタモリ熊本編は今日(3月19日)と4月2日の2回に分けて放送されるようです。
     熊本城と加藤清正、火の国と水の国の関係などの内容となりそうです。夏目漱石や
     小泉八雲などゆかりの文学者もいます。このあたりも掘り下げてほしいなぁ…

  

     私たちの宇野家のご先祖が眠る下通りの泰巌寺です。しばらくお参りできていません。
     ご無沙汰して申し訳ありません。

中頓別鍾乳洞

2016-03-12 18:10:00 | 日記
  だいぶ雪は解けましたが、まだ寒い日が続いています。宇野ゆかりの皆さま、
  いかがお過ごしですか? 季節の変わり目。どうぞご自愛ください。私たちの宇野
  一家が大正から昭和初期まで暮らした中頓別町の鍾乳洞を紹介します。

 

 

 

 

   軍艦岩と呼ばれる石灰石がむきだしになっていたり、ドリーネと呼ばれるくぼ地があったりと
   独特の地形が広がっています。

 

 

 

   昭和初期に発見され、研究者による調査が行われた結果、新生代第3紀の貝殻石灰岩に
   できた比較的新しい珍しい鍾乳洞であることが分かりました。当時からホタテ貝のような
   貝がたくさん棲んでいたんですね。北緯45度の鍾乳洞、国内最北と言えるのではないで
   しょうか。機会があれば是非見てみてください。

 

  亡くなった伯父たちの話によれば、当時は子どもたちの遊び場だったようです。宇野貞誠
  (私の祖父)は、子どもたちにロウソクの炎が消えるようだと引き返してこいと注意したと
  言います。今では整備されて、きちんと管理されているようでした。





  えっ、まさかゲンゴロウが…? もしそうだとしたらこれも貴重な存在です。

中頓別町の朝霧

2016-03-08 08:40:00 | 日記
 先日は気温が高くなって雨が降りました。積もっていた雪もだいぶ解けて
  グジャグジャ状態です。これからは降っても積もることはないかもしれません。
  宇野ゆかりの皆さまの地域はいかがでしょうか。引き続き中頓別町の様子です。


           知駒峠から見たピンネシリ岳です。左側は鍾乳洞がある台地です。







   豊平という地区では朝霧が見事でした。酪農が行われていて、牛が横断することがあるよう
   ですが、この朝はネコたちが占拠。都会にはないのんびりとした感じがいいですね。

 

   ピンネシリ岳は朝霧に包まれていましたが、地元の方によると、こんな日は晴れるよとのこと。
   案の定、前回紹介したように見事な眺望となりました。皆さんも是非どうぞ!