宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

続・もうひとつの「田賦考」発見!

2009-05-29 21:01:45 | 日記
  今日(5月29日)はとなり、気温も22℃を超えて
 暖かい日となりました。本州などより気温が高かったようです。
 皆様の所はいかがでしたでしょうか?

 5月のこの時期、私にとって今も鮮やかに印象に残っているのは、
 早朝のひんやりした空気の中で、露に濡れて咲いていた芝桜です。

 昭和48年5月31日、母宇野美代子が亡くなった朝の風景です。
 44歳でした。母が生きた時間をとっくに過ぎた私は、今、
 いかに母の人生が短かったかを実感しています。
 「宇野ルーツ」の一端でも報告できていたら・・・と思うと残念です。


 引き続き「田賦考」の解読を掲載します。判読不明の文字(□)がいくつかあります。
 この部分では、牧野という山鹿郡中村の御惣庄屋が登場します。



 「田賦考」解読(3)
 給地
  給地とは名目の通り給人 
 一 年用方
  年用方とは稲一毛出来なく跡依願成□三年者所と云
  本方なり見図帳に年用方といふ名目なし当方にては
  設地出来ぬ所を片籾所と云(ふ)
 一 新地
  新地とは牧野安□衛門記録に寛永年中迠荒地の地方を
  承應明暦寛文の□終□の開明本方の□く高物成実り
  御年貢を納るとなり

  牧野は民間より起り山鹿郡中村の御惣庄屋となり後
  御郡代御郡政江仰付寛文延宝比の人なり


 
 「田賦考」の別の写本が京都大学経済学部図書室にあることを
 前回お知らせしましたが、
 何と! さらにもうひとつの写本があるようです。 
 その所蔵場所は熊本県立図書館です。
 現在、詳しい情報を問い合わせ中ですので、分かり次第報告させていただきます。
 
  写真は新緑に包まれた簾舞(みすまい)のダムです。
 札幌市南区の定山渓の手前にあり、伯母宇野元子が脊椎カリエスで
 長期療養していた国立療養所の入口にあります。
 
 同じ療養所で作家の三浦綾子も療養されていたと聞いたことがあります。
 母に連れられて何度かお見舞いに行った思い出深い場所のひとつです。



もうひとつの「田賦考」発見!

2009-05-23 14:41:47 | 日記
  今日は朝から雨です。現在も強く降っています。
 明日は自然散策に出かける予定なので、早く上がってほしいと願っているところです。

 ネット検索をしていたところ、宇野貞悳著「田賦考」の写本が
 もうひとつあることを発見しました。次の内容です。


 徳助、弘化4年(1847年)写
 26.3×19.0㎝・和本
 文化9年11月11日 宇野貞悳(ウノ.サダトク)
 弘化4年11月 是写之徳助
 所蔵場所:京都大学経済学部図書館

 この情報は、国立情報学研究所が提供しているウェブ検索サイトにあります。


 九州の古書店で発見された写本とは別のものであると思われます。
 1.写本した人物が異なること(京都は「徳助」・九州は「国真」)
 2.写本した時期が異なること(京都は「弘化」・九州は「文久」)

 京都大学にある写本の方が古い(弘化4年=1847年,文久元年=1861年)
 ことになります。

 写本した人物が「徳助」で「徳」の字が入っていることが気になりますし、
 著者名を「ウノ・サダトク」としている点も気になります。

 いずれにしても、2つの写本が現存するほど重要な文書であったという
 ことなのでしょう。

 原本はいずこへ・・・? 永青文庫にはないようなのですが、所在について
 さらに探索を続けます。
 
  写真は中島公園のサクラです。もう終わりの時期ですが、
 あまりにきれいだったので思わず接写してしまいました。
 
 




今年初の夏日でした!

2009-05-22 22:39:22 | 日記
 昨日は、最高気温が28.4℃となり、今年初めての夏日となりました。
 しかし、今日は朝から雨が降って気温も上がりませんでした。
 皆様はいかがお過ごしですか?
  宇野騏八郎(貞徳)著「田賦考」の解読を引き続き掲載します。

 「田賦考」解読(2)

 一 上知
  上知とは御家中江下し置れし御知行召上分唱う名目
  にて御蔵納となる出方同前の取扱なり 新地方に
  対していへば上地も給地も考えて出方と唱ふ 上知給地は
  以前給人より免極ありしき 正徳三年土免極まれとも
  免達あり又給人より検地有しや痛み候所もあり
 
 一 先知
  先知とはたとへば松井家の知行所 寛永の終南関に
  給はりしより正徳三年八代御城江引揚の後南関の知行は
  上知となり八代郡四浦松永庁に替地給はるよろしく
  南関の上知をさして先知と云う教なり

 
 新型インフルエンザの感染拡大が連日報道されています。
 関西だけでなく八王子など関東でも発生しているようです。
 社会の機能がマヒするほど大騒ぎすることもないとは思うのですが、
 関係地域の皆さま、気を付けるにこしたことはありません。 




リラ冷えの季節

2009-05-16 19:30:47 | 日記
 数日前は、道北地方を中心に何と雪が舞いました。 
 札幌でも朝晩は冷えて、ストーブの世話になった家もありました。
 ライラックが咲き始めるこの時期の寒さを「リラ冷え」と呼んでいます。
 皆様のところではいかがでしょうか?

 今日はよい天気で、気温も上がり中島公園と円山公園を散策しました。
 サクラはピークを過ぎましたが、まだ楽しめます。

 「田賦考」の解読を進めています。悪戦苦闘しながら読んでいます。
 ここでは「速報」の形で順次紹介します。不明の文字は□で表わしました。
 お分かりの方は、ヒントをいただけると助かります。

 尚、もう少し精査して、まとまったところで「宇野ルーツだより特別号」
 (印刷版)の形で送る予定にしています。


   田地之部
 一 本方
  本方とは御蔵納の地にて給地に渡らさる地なり
  延宝八年御家中渡りの地方□□頃上地なりし時は
  新御蔵納といひ是に對して以前よりの本方を古御蔵納といふ
  延宝八年より天和三年までの帳面は新古御蔵納の唱あれとも
  貞享元年より□□給地出に復し新古の名目消成り
  正徳三年より給地今のごとく成たれども
  給地の名目にて新御蔵納といふ名目なし
  御蔵納同前と□見なされ教え(なり)

 約200年前の細川藩の土地と年貢のしくみ、徐々に理解できそうな
 気になってきました。 

 先日テレビのニュース。タレントのスザンヌが熊本のPR部長(大使?)
 になったとか・・・ご先祖は細川藩の家臣だそうで、何か急に親近感が
 湧いて応援したくなりました。なんだか不思議ですね。


 






 




江戸時代の究極の世襲制に学ぶ!

2009-05-09 19:14:26 | 日記
 ずっとまとまった雨が降っていないので、乾燥しています。皆様はいかがでしょうか?

 「宇野ルーツだより」(印刷版)を発送しました。未着の場合は、お手数ですがご一報ください。

 今回は、緒方家の人々について紹介しました。とくに、緒方夫門氏は、幕末から明治初期の動乱の時代を、氏なりの信念を貫いて生きた人物だったのだ、というのが率直な感想です。紹介したように、典型的な「肥後もっこす」だったような印象です。

 江戸時代の幕藩体制は、ある意味では「世襲」によって成り立っていたと言ってもよいのではないでしょうか。よいか悪いかは別にして、「士農工商」が確立し職業選択の自由がなかった時代です。

 宇野の先祖付を見ても分かるように、代々細川藩に出仕する以外に武士として生きる道はありませんでした。江戸時代の大部分は「戦争のない平和な社会」でしたから、武士は「手柄」の立てようがありません。出世のチャンスがない一方で、何か問題を起こさない限りは、先祖の食禄が保障される「安定した生活」でした。

 今、国会議員の世襲の是非が問題になっています。明治維新の改革で、江戸時代の身分社会が崩れ「立身出世」が可能になりました。しかし戦後の「民主主義」の中で、いろいろな格差が生まれ弊害が目立つようになってきています。そのひとつが「政治の世襲」なのでしょう。

 この状況を見ると、江戸時代の世襲が崩れたように、現代の世襲もなくなり、もう少し多くの人々が希望を持て、チャンスがある(一度失敗したとしても)社会の改革が遠からずあるような気がします。もちろん明治維新とは違う形で・・・
 


 現在、たとえば「食禄百石」とは現在の年収にするとどのくらいになるのか、という点に興味をもっています。各藩で実情が異なるようなのですが、細川藩ではどうだったのか? 少し調べています。思ったほど余裕はなく、むしろやり繰りが苦しい生活だったようです。まとまったところで紹介することにします。

 写真(クリックして拡大してください)は札幌市営地下鉄東西線です。転落防止のためでしょうか、ホームに「柵」のようなものが設置されました。かなりの費用だと思いますが・・・