宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

築山順子さんのこと

2014-11-26 20:07:26 | 日記
 今月中旬に積もった雪は消えました。根雪はまだ先のようです。
  気温の差が激しい時期ですね。宇野ゆかりの皆さま、体調管理に
  お気をつけください。

  築山順子(つきやま・としこ)さんについては、以前の「ルーツだより」で
  その生涯などについて紹介しましたが、ここで簡単に振り返っておきます。

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                 築山順子
    緒方夫門の長女。慶応元年(1865年)~大正6年(1917年)(推定)
    早くに夫を亡くし、2人の子どもにも先立たれる。熊本の尚絅高女の
    料理の教師、寄宿舎の舎監を務める。「家庭実用 最新和洋料理」
    (明治37年)を著す。子宮癌で死去。万日山の築山家の墓に葬る。
    築山家は佐世保の遠縁の保次郎が継いだ。

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  緒方夫門さんには3人の子どもがいましたが、長女が順子、次女が宇野家
  に嫁いだキツ、長男が惟一郎でした。以前から気になっていたのは、この
  「築山家」とはどんなお家だったのか、ということです。緒方家と宇野家の
  縁が、お互いに熊本藩の郡代を務めていたことにあったように、築山家とも
  同じ縁だったのではないか…そんな推測をしています。

  だとすると、熊本藩の侍帳に載っているかもしれないと思い調べてみました。
  「築山家」は6家あり、家格・経歴などから「築山與次郎」ではないかと推定
  しました。江戸末期から明治初期に小国・久住郡代、宇土郡代を歴任して
  います。同じ時期、緒方夫門さんも宇土郡代でした。

 「緒方の屋敷は広く、楓の頃は築山伯母様の勤務していらした尚絅高女の
  先生全部を楓風会にお招きするほどでした」(松沢まきさんの手記)とあるように
  緒方家での楓風会の様子だと思います。一番右端の座っているのが築山順子
  さんです。何で正面を向いていないのでしょうね。おそらく明治末か大正初期
  の写真かと思います。(市原晶子さん提供)

「恕斎日録」の中の緒方夫門

2014-11-16 18:18:52 | 日記
 降り続いた雪は止みましたが、積雪は20cmを超えました。この時期と
 しては大雪でした。市街地では消えるかもしれませんが、山ではもう根雪で
 しょう。寒くなります。宇野ゆかりの皆さま、どうぞ暖かくしてお過ごしください。

 熊本藩の郡代だった中村恕斎という人物が「日記」を残しています。いわ
 ゆる「中村恕斎日録」で幕末から明治初めの熊本の日常を知る貴重な史料
 となっています。その中の嘉永2年6月朔日の記述に…

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    今日(時習館)句読生講堂転昇 去年留学当年転昇 夫右衛門嫡子
    宇土小路 緒方大太郎 十七才 (恕斎日録・巻二・p214)

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 この緒方大太郎とは、のちの緒方夫門さんの幼名です。中村恕斎が時習館の
 教官であったことから残した記録です。この「十七才」は数え年でしょう。夫門
 さんの生年が推定できる記録でした。この「恕斎日録」は当時の熊本藩郡代の
 日常を知る上で大変参考になるはずです。宇野家・緒方家も郡代を歴任しました
 から、似たような生活だったことでしょう。まだ全部に実際に目を通したわけでは
 ありませんがいつか詳しく見て紹介できたらと思っています。また、下記のような
 抄録も出ているようですが、どうも道内の図書館では蔵書していないようで、まだ
 読んでいません。

  吉村豊雄 「幕末武家の時代相 熊本藩郡代 中村恕斎日録抄」 清文堂出版

  赤い服を着たお地蔵さんも雪に埋もれていましたが、冬服のせいか暖かそう
  でした。円山ふもとのお寺さん(曹洞宗)でのひとコマです。