宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

済々黌の人々(5)

2009-07-31 22:05:03 | 日記
 
 九州の集中豪雨、関係する皆様にはたいした被害もなく
 安心いたしました。それにしても・・・今年の夏は・・・
 どこか変ですね。

 札幌の真夏日は、まだ2日。降水量が多く日照時間も不足
 して、農作物への被害が心配されています。地球規模での
 環境変化、個人の力ではどうしようもありません。

 過日、「宗方小太郎日記」の中に宇野貞度氏の名前がある、
 との情報をいただいていました。「済々黌百年史」の名簿を
 眺めていて、この宗方小太郎氏の名前を見つけました。

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  宗方小太郎 原籍:宇土郡宇土町 日清貿易研究所幹事
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 「日記」は全部は読んでいませんが、日清戦争前後の様子を
 克明に記録したもののようです。どうも、貿易に名を借りて
 清の政情を探っていたようです。日露戦争での石光真清氏の
 行動を連想しました。

 宇野貞度氏は、この「日清貿易研究所」に関係していたの
 でしょうか? それとも単に「済々黌つながり」だけのこと
 だったのでしょうか? もう少し「日記」を精読し、背景などを
 検証してみたいと思っています。遅くなりましたが、情報を提供
 していただいた梅津様にお礼申し上げます。

 済々黌出身の人物には、細川隆元・財津一郎・古葉竹識・姜尚中・
 お笑いコンビの上田・有田などがいるようです。

 
 近所に古い農家があり、自家用(?)にトウモロコシを作っています。
 穂が出て、早くも秋の気配を感じさせる「ひげ」が伸びていました。

 

済々黌の人々(4)

2009-07-25 16:06:12 | 日記
 
 九州や山口県などで大雨による被害が出ているようです。
 関係する地域の皆様、大丈夫でしょうか? 心配しております。

 こちらも朝から雨です。幸い強い雨ではないので、心配は
 ありません。今日の野外観察は中止です。

 前回紹介した「済々黌の同窓会名簿」に宇野貞輝氏のお名前が
 あるのを確認できました。貞輝氏は、宇野貞度さんの弟さんです。
 概略は下記の通りです。

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   宇野貞輝 熊本師範学校在学 原籍:託摩郡大江村324番地 
        現住所:熊本師範学校
        (明治25年8月21日付)

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 このことから、どんなことが分かるでしょうか? 今後、すこし検討
 してみる価値はあるでしょう。

 少なくとも、明治25年頃の宇野の住居は「大江村」にあったことは
 分かります。松澤まきさんの手記に出てくる「鷹匠町の大きな屋敷」
 への移転は、このあとだと推測できます。

 貞度さんの御兄弟の宇野貞輝さん・宇野貞衛さんのことなどについて、
 「宇野ルーツだより」印刷版で、また紹介することにします。

 
 
 三角山のふもとで紫陽花を見つけました。もうこんな季節になりました。
 時の流れは、若い頃より確実に速くなっているのを感じます。

 サラサラと流れ落ち、堆積する砂のように時は過ぎ、現在は過去という
 化石となっていく。ルーツ探しは、その化石発掘のようなもの。今後、
 江戸や明治の「貴重な化石」は何を語ってくれるでしょうか。


73年前の皆既日食

2009-07-22 18:46:30 | 日記
 
 日食フィバーの中、札幌でも約50%の部分日食の予定。
 その時間に合わせて見やすい場所に出かけてみましたが、
 あいにくの曇り空。わずかに太陽が顔を見せた時には
 すでに終わっていました(笑)。
 皆様の地域ではいかがでしたでしょうか?

 北海道では、昭和11年(1936年)6月19日に皆既日食の
 天体ショ-がありました。道北の宗谷・北見地方が観察の
 好地域でした。その中でも中頓別町が観測の中心基地と
 なって、多くの外国人を含む来訪者であふれました。

 ちょうど今日の悪石島のようです。果たして見られたのでしょうか?

 幸いよい天気となって、皆の期待は高まりました。
 午後2時6分すぎに始まった日食は、3時18分すぎに皆既となり
 約2分間コロナが観測される金環食、そのあとダイヤモンドリングも
 見られたようです。

 中頓別小学校の前には「皆既日食観測記念碑」が建てられています。
 それには、次のように刻まれています。

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 1936年昭和11年6月19日、本町で皆既日食が観測された。当日は快晴に
 めぐまれ国内国外の学者をはじめ、一般観測者も600人を越え、観測や
 実験は大成功をおさめた。尚、観測はこのグランドの敷地で行われた。
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 宇野ゆかりの地の中頓別。昭和11年には、まだ貞誠氏は健在。子供達も
 好奇心に満ちた年頃。皆で天体ショーに見とれていたのではないでしょうか?
 中頓別時代の宇野について、いずれ「宇野ルーツだより」印刷版で
 紹介したいと思っています。

 
 昭和11年に中頓別で観測された皆既日食(「中頓別町史」より引用)

 

済々黌の人々(3)

2009-07-18 19:47:38 | 日記
 
 曇り空で、気温が20℃くらいです。明日は大雨の予報。せっかくの夏本番の
 はずが、1か月前のようです。
 
 手元に「済々黌百年史」という分厚い本があります。前回紹介した佐々友房氏ら
 の「同心学舎」の様子などもこの本に収められています。

 この百年史に明治25年8月付けの「旧済々黌同窓会名簿」が掲載されており、
 なかなか興味深いものです。宇野貞度・宇野貞輝の兄弟のお名前、友成正、
 小橋元雄氏などの縁者の方の名前も見えます。

 明治25年当時の様子の一部が伝わってくる貴重な資料だと思います。分かった
 ことなど、順次、印刷版で紹介していきます。

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 先日、北海道のトムラウシ山で痛ましい遭難事故がありました。
 北海道の高山帯では、7月でも天候によっては気温が急激に低下します。

 かつて夕張岳(1668m)で似たような体験をしたことがあります。
 風雨が強くて体感温度はかなり低かったと思います。幸い夕張岳では
 体を隠す樹林があったので事なきを得ましたが、
 樹木がないトムラウシの頂上付近は過酷だったことでしょう。

 個人的な体力の差はあったにせよ、生死を分けたものは何だったのでしょう。
 考えさせられます。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

 
 写真は、三角山のふもとで鈴なりだった「キイチゴ」の仲間です。味見したいの
 ですが、エキノコックスの心配があるので自重しています。この辺にキタキツネは
 いないとは思うのですが・・・


 

済々黌の人々(2)

2009-07-14 21:40:22 | 日記
 
 曇り空から時々薄日が・・・蒸し暑い一日でした。
 明日は、また大雨の予想です。皆様はいかがお過ごしですか?

 済々黌は、明治12年創立の「同心学舎」を前身としています。
 その創立の中心メンバーだった佐々友房氏は、明治21年に
 「済々黌歴史」という題の文章を残しています。この文章からは
 学舎設立当時の様子がよくわかります。関係する部分を紹介します。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・「済々黌歴史」より・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 学舎建設の趣旨に賛同してくれた高橋長秋・小橋元雄・高瀬十郎・
 ・・・友成正・・・の諸氏とおりおり会合した。たまたまその頃
 熊本城下で別々に学校設立の企てがあって、これらの人々との
 合同の議が熟したので、まず発起人会を末藤新次氏宅で開くこと
 になったが、会同するもの次の四十余名であった。
 柏原武・・・友成正・・・宇野貞度・松田満雄・・・・・・・・
              (「済々黌百年史」より改めて引用)

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 この佐々友房氏の記録より、明治12年の同心学舎設立に、宇野貞度・
 友成正・小橋元雄の各氏が関係していたことが分かります。小橋氏は
 資金面での援助も惜しまなかったようです。「宇野ルーツだより」の
 印刷版で、改めて紹介する予定です。

 
 
 夏の甲子園へ向けて各地で熱い戦いが繰り広げられていますね。
 母校の後輩たちが南北海道大会に勝ち進んだので、円山球場へ
 応援に行って来ました。2度とないことだと思って・・・・・

 対戦相手は何とあの「駒大苫小牧」・・・8回まで粘りましたが、
 結果は0-11のコールド負け・・・当然の結果と言えるかもしれませんが、
 ここまで勝ち進んだチームを讃えたいと思います。また、駒大苫小牧には、
 このまま勝ち進んで「全国制覇!」を成し遂げてもらいたいと思います。