2013年2月26日 3月にもうすぐなろうとしているのにまだ寒さが抜けない中での散歩です。
西日暮里から谷中、千駄木、根津、湯島から上野駅までの散策です。
資料によると谷中と根津の谷間いを流れていた石神井川の名残の藍染川(谷田川)を暗渠化したという「へび道」を歩きました。謂われを知ってから歩いてみたいと思っていた道です。俗称の通りぐねぐねと曲がり本当に「へび」の様です。谷中銀座やこの藍染川跡の道沿いに手作り雑貨やカフェが多く見られ活気が感じられます。
上野寛永寺まで行った後 谷中に戻り根津神社を見てから本郷の東大前を通り(試験のため構内には入れず)湯島天満宮に行き梅を見てから上野まで。昼食後は一人で国道4号線を北千住まで歩きました。
西日暮里駅西側台地の西日暮里公園
江戸時代道灌山と呼ばれ、景勝地として知られその景観に日の暮れるのも忘れるくらいだ、というので日暮里の字が当てられたともいわれる。
諏方(すわ)神社
日暮里、谷中の総鎮守。
富士見坂:正面のクレーンの左に薄っすらと見える
都心には富士見坂という坂が16ケ所あるというが今でも富士山が見えるのはここだけという。
しかし、もうすぐ池袋近辺に建つ高層ビルでみえなくなる。
修性院
修性院の梅
谷中銀座を歩く
手作り人形 笑吉
藍染川跡地「へび道」
旧「吉田屋」酒店 下町風俗資料館付設
上野寛永寺
根津神社
根津神社前 S坂
森鴎外の『青年』という作品に出てくるネーミングに由来する。作品発表以前は本郷通りから根津谷へと新しく作られた坂なので新坂、あるいは根津権現にちなみ権現坂と呼ばれていた。
東大正門:試験中 入れない
「本郷もかねやすまでは江戸の内」
加賀藩前田家上屋敷跡地
湯島天満宮
しだれ梅
湯島天満宮 女坂
湯島天満宮 男坂
・・・・・ 暫時 飛んで ・・・・・
千住大橋
=おわり=
西日暮里から谷中、千駄木、根津、湯島から上野駅までの散策です。
資料によると谷中と根津の谷間いを流れていた石神井川の名残の藍染川(谷田川)を暗渠化したという「へび道」を歩きました。謂われを知ってから歩いてみたいと思っていた道です。俗称の通りぐねぐねと曲がり本当に「へび」の様です。谷中銀座やこの藍染川跡の道沿いに手作り雑貨やカフェが多く見られ活気が感じられます。
上野寛永寺まで行った後 谷中に戻り根津神社を見てから本郷の東大前を通り(試験のため構内には入れず)湯島天満宮に行き梅を見てから上野まで。昼食後は一人で国道4号線を北千住まで歩きました。
西日暮里駅西側台地の西日暮里公園
江戸時代道灌山と呼ばれ、景勝地として知られその景観に日の暮れるのも忘れるくらいだ、というので日暮里の字が当てられたともいわれる。
諏方(すわ)神社
日暮里、谷中の総鎮守。
富士見坂:正面のクレーンの左に薄っすらと見える
都心には富士見坂という坂が16ケ所あるというが今でも富士山が見えるのはここだけという。
しかし、もうすぐ池袋近辺に建つ高層ビルでみえなくなる。
修性院
修性院の梅
谷中銀座を歩く
手作り人形 笑吉
藍染川跡地「へび道」
旧「吉田屋」酒店 下町風俗資料館付設
上野寛永寺
根津神社
根津神社前 S坂
森鴎外の『青年』という作品に出てくるネーミングに由来する。作品発表以前は本郷通りから根津谷へと新しく作られた坂なので新坂、あるいは根津権現にちなみ権現坂と呼ばれていた。
東大正門:試験中 入れない
「本郷もかねやすまでは江戸の内」
加賀藩前田家上屋敷跡地
湯島天満宮
しだれ梅
湯島天満宮 女坂
湯島天満宮 男坂
・・・・・ 暫時 飛んで ・・・・・
千住大橋
=おわり=
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