ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

2週続けてコース変更 乙戸沼公園から洞峰公園へ

2020年02月28日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年2月28日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第34回(2020年第8回)、「乙戸沼公園から洞峰公園」ウォーキングに参加した。

当初の計画では、「千倉の花畑と潮風王国へのみち」と称して貸切バスで、南房総方面へ
出かけることにしていたのだが、新型コロナウィルスの感染拡大という状況のなか、
長時間バスに乗り合せるのは拙いだろう、ということで、急遽地元の公園を歩くことに
変更した次第である。

乙戸沼公園から洞峰公園へは、2010年9月10日以来で、9年半ぶりということになる。

この日の第一集合場所は、乙戸沼公園だ。
スタート&ゴール地点でもある。


この日の参加者が三々五々集まって来た。
乙戸沼公園には突然のコース変更にも関わらず、結局21名が集まった。


会長のTKさんから、急遽バスハイクを中止とした経緯の説明があり、
9時14分、洞峰公園に向けて出発!
新型コロナウィルスへの予防対策として、殆ど全員がマスク着用である。


学園東大通りを北上し、


コンビニを過ぎると、前方に常磐自動車道が見えて来た。


常磐自動車道を潜って学園東大通りを進む。


YAMAHAオートバイ店前を通過し、


学園東大通りと国道354号の交差点に架かる大角豆(ささぎ)横断陸橋へ。


国道354号を横断し、


学園東大通りへ。


FUJI CARS前を通過


『いやぁ 随分キャンピングカーが並んでるねぇ』
『中古のキャンピングカー専門店なんだねっ』


土浦用水の堀を過ぎて直ぐ先を左折


『ここは以前、コンビニがあった所だよねっ』
今は「ほねつぎ」というやいと(お灸)・はりの治療院になっている。


土浦用水に並行する遊歩道を進む。


白梅が見ごろを迎えている。
『なかなかきれいじゃないっ?』


遊歩道を赤塚公園方面へ。


遊歩道にはあちこちに梅の花が今が盛りと咲き誇っている。


9時41分、梅園公園に到着


『今まさに満開って感じだねっ?』
『この木も大きくて立派だよね~っ』


青空と白のコントラストが鮮やかだ。


満開の白梅が美しい。


『満開の白梅が見られるなんて、今日来てほんと良かったわ~っ』


『いやぁ ほんとちょうど良い時期に来たって感じだよね~っ』


満開の白梅のなか梅園公園内を進む。


紅梅も見ることが出来る。


再び通歩道を赤塚公園を目指す。
『この径は人が少ないし、木がいっぱい植えられてるから気持ちが良いねぇ』


『この径沿いの家は、庭が広く感じられるんじゃないっ?』
遊歩道も自分ちの庭の一部みたいなものである。


赤塚公園内のアンツーカの道を洞峰公園へ。
アンツーカは柔らかくて足の負担が少ない。


『落ち葉の上も柔らかくて歩き易いわねっ』


赤塚公園北駐車場で体調を整え、洞峰公園を目指す。


赤塚公園北端を東西に走る道路を横断し、


つくば公園通りを洞峰公園へ。


つくば公園通りは、平成14年に県から指定された”ヘルスロード”でもある。
『気持ちの良い道だよねっ』


ノルディックウォーキングを楽しむ人たちが我々の右側を足取りも軽やかに追い抜いて行った。
『いやぁ かなり速いペースだよね~っ』
簡単に追いつける速さではない。
時速6Km以上は出ていると思われる。


洞峰公園まで五百米の道標を通過。


左手に気象研究所、右手には産総研(産業総合技術研究所)の林に囲まれた薄暗い林道が
急に明るくなり、左手に高層気象台のグラウンドが現れた。
間もなく洞峰公園だ。


10時27分、洞峰公園に到着した。
ここで一息、と思ったら、東屋の椅子は先ほどのノルディックウォーキングの人たちに占領されていた。


東屋での休憩は諦めて、洞峰沼を周回する遊歩道を進む。
屋内水泳プール横の新都市記念館まで休憩はお預けである。


洞峰沼畔に出た。
『けっこう大きな沼なのねっ』


洞峰沼
周囲は約1Kmある、とのこと。


洞峰沼の芝生広場では園児たちが保育士のお姉さんとはしゃぎまわっていた。


洞峰沼西端の橋を渡り、新都市記念館へ。


たくさんのカモが静かに近寄って来た。
餌を強請って(ねだって)いるようだが、あいにく餌になるようなものは持ち合わせていない。


『ここにもコハクチョウは来てないのかしらっ?』
今年のコハクチョウはどこへ行ってしまったのだろう?


屋内温水プール横を過ぎると、


10時36分、新都市記念館に到着した。


ここで、軽いお茶タイムだ。


お茶タイムが終わり、次は赤塚公園を目指す。


洞峰沼畔の新都市記念館を左手に見ながら・・・


洞峰沼に沿って進む。


つくば公園通りを今度は赤塚公園方面へ。


つくば公園通りの木立の中を進む。


赤塚公園まで500mの標識を通過。


こちらは石の標識である。
”至 赤塚公園 五百米”と刻まれている。


洞峰公園南端を東西に走る道路を横断し、


赤塚公園内を進むと、芝生の広場があった。


ベンチとテーブルがあったが・・・


あっという間に女性陣に占領されてしまった。


男性陣は、芝生広場で立ったまま水分補給だ。
女性陣とは対照的である。


水分補給後、土浦用水に沿って遊歩道を学園東大通りへ。


梅園公園を通過し、


学園東大通りへ。


学園東大通りを目指す。


学園東大通りに到達した所を右折して、


学園東大通りをゴールの乙戸沼公園へ。


中古のキャンピングカー販売のFUJI CARS前を通過すると・・・


大角豆(ささぎ)横断陸橋である。


横断陸橋で国道354号を横断


横断陸橋を渡り終え、


YAMAHAオートバイ店前を通過


YAMAHAオートバイ店の向かい側には牛丼の松屋が・・・
『今日のお昼に牛丼も悪くないねぇ』


土浦清掃センターの煙突の煙は真直ぐに上っている。
”無風状態”という証拠である。


ゴールの乙戸沼公園を目指す。


乙戸沼公園へ。


常磐高速道が目の前だ。


常磐高速道を潜ると、左手に土浦産業技術専門学院が見えて来た。


土浦公設市場前交差点の左手にカフェレストラン”ガスト”がある。
以前はちょくちょく利用していたが、最近は全くご無沙汰している。
2年ほど前に値上げした際、量も少なくなり、料理のレベルが下がった、というイメージがある。
ベテランの従業員も辞めてしまい、代わりの若い従業員の対応が鈍くなった感じがする。


土浦公設市場前交差点を横断すると、


乙戸沼公園に到着した。


12時ちょうど、全員元気にゴール!!
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


新型コロナウィルスの感染拡大という状況のなか、2週続けてコースを変更することとなった。
各種イベントの中止や延期、あるいは規模縮小という世の流れに背く訳にもいかないので、
貸切バスでの遠征ウォーキングの中止はやむを得ないと思う。
代替措置として先週に続いて地元の乙戸沼公園からつくば市の洞峰公園までを歩いた。
このコースは、平成22年(2010年)9月10日以来なので、実に9年半ぶりということになる。
この時期に歩いたのは初めてだったが、梅園公園の満開の梅を満喫できたのは想定外だった。
急遽コースを変更した結果としては、”正解”だったのではないだろうか。
この先、新型コロナウィルスの感染拡大が収まるのかは全く不明だが、コース変更の可能性は
否定できない。
その時に備えて、今から検討はしておかなければと思っている。

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コース変更は”正解” 霞ヶ浦総合公園から土浦港

2020年02月21日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年2月21日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第33回(2020年第7回)、「霞ヶ浦総合公園から土浦港」ウォーキングに参加した。

この日は霞ヶ浦総合公園から土浦港を往復するコースを歩いたが、当初予定していたのは、
東京都北区の王子駅を出発して名主の滝公園から音無親水公園・石神井川を散策する計画だった。
しかし、このところの新型コロナウイルスの感染拡大を懸念する声が大きくなってきたことから、
急遽地元の霞ヶ浦周辺を歩くことに変更した次第である。

第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは6名だった。
霞ヶ浦周辺ウォーキングに変更するという連絡が行き渡っていないのかな?


不安が頭をよぎるなか、とにかく霞ヶ浦総合公園に車を走らせた。
不安は見事に外れ、霞ヶ浦総合公園にはたくさんの人が集まっていた。


天気も良く、地元で近いということもあってか、結局この日は22名というまずまずの参加者となった。
当初予定していた東京都北区のコースだったら、半分ほどしか集まっていなかったかもしれない。
コース変更は”正解”だったようだ。


会長TKさんのコース変更の説明の後、9時41分、土浦港目指して出発!


霞ヶ浦文化体育会館前を通り、風車のある公園へ。


スポーツ広場の芝生を進むと、


前方に風車が見えてきた。


霞ヶ浦総合公園内の周回道路を横断すると、


総合公園のシンボルとなっている風車の前に出た。
この風車は,土浦市市制施行50周年(1990年)を記念して建てられたものである。


釣きち三平?のモニュメントを通り、


霞ヶ浦湖岸に沿って進む。


満開の白梅が美しい。
『ほんと真っ白で桜みたいにふっくらしてるわねっ』


土浦市国民宿舎「水郷」
展望の湯「霞浦の湯」の入浴料は410円、とのことなので、近いうちに是非訪れたい。


この日の霞ヶ浦は静かで穏やかである。
『波一つ立ってないねぇ』


9時54分、備前川排水機場の水門を通過


餌を求めて水鳥が集まっていたが、コハクチョウの姿は見えない。
『今年は全く姿を見ないらしいよねっ』
暖冬のため、既に北方へ帰還してしまったのか?


9時57分、うなぎ料亭「美浦柳(みほやぎ)」前を通過。


続いてウェディングハウス「アジュール土浦」前を通過


湖岸の道路を進む。
この道はたまに車が通ることがあるので注意が必要だ。


『いやぁ 今日は無風で天気もいいし、気持ちが良いね~っ』


『筑波山も良く見えるよねっ』
『霞ヶ浦に変更して”正解”だったよね~っ』


次に現れたのは霞ヶ浦河川事務所土浦出張所の霞ポート水門だ。


霞ポート水門を通過すると・・・


左手に桜並木が続く。
霞ヶ浦の河口付近から虫掛方面までの桜川の堤防には、約500本の桜が植えられており、
土浦市の桜の観光名所となっている。


今年は桜の開花は昨年以上に早くなるとの予報だが、まだつぼみは小さい。
『さすがに今はまだちょっと早すぎるみたいねっ』


土浦駅周辺の建物がはっきりと見えて来た。


『今日は東京だったら行かなかったでしょうねっ』
と言ってたかどうかは定かではない。


前方に桜川に架かる水郷大橋が見えて来た。


間もなく水郷大橋だ。


10時27分、水郷大橋の袂に到着。


ここで一息入れよう。


恒例のお茶タイムである。


『お茶が美味しいねっ』


一息入れた後、10時36分、次の目的地土浦港へ向けて出発!


水郷大橋は、桜川に架かる県道263号水郷線の橋である。


水郷大橋からの眺望(霞ヶ浦方面)


水郷大橋を渡って少し進むと、直ぐ左手が土浦駅だ。


土浦駅前を右に折れ、最初の角を左に折れて進む。


少し進んだ所が、ヨットハーバーだ。
昨年(2019)12月20日(金)の忘年ウォーキングで歩いたばかりなので、記憶に新しい。


ヨットハーバーの対岸にはこれから行こうとする川口運動公園の野球場が見える。


川口川河口部に架けられた港橋の壁には彩鮮やかな鳥の絵が描かれていた。
『こういう絵が見られるのは楽しいよねっ』


県道263号に架かる港橋を渡って対岸の川口運動公園方面へ。
『昔この下には川があって舟が行き来してたらしいよねっ』
その川口川は既に埋め立てられている。


港橋を渡って、土浦港方面へ。


土浦港に向かう途中、川口運動公園の先に稲荷神社・水神宮・水天宮の三社が並んで建っていた。
『3つの神社が並んでるのって珍しいよねぇ』


主寅(しゅえん)稲荷大明神
創建は徳川幕府の末頃、土浦城に祀られたもので、明治維新の頃から水天宮と共に
川口町土屋邸内に奉遷され、その後小松町にお祀りされたが、昭和33年7月5日に
再び川口町に遷宮されたもの。
古来より招福の神として商売繁盛、火難・病難除けに祈念崇敬されている。


水神宮は、天保七年(1836)1月に川口町の有志によって創建され、舟運業者・漁業関係者の
守護神とされており、水難除・火災除また水に関係ある商売には商売繁盛の神として崇敬されている。
祭神は、日本武尊の妃、弟橘姫とある。


水天宮
川口の水天宮は、天保十一年(1840)12月13日、久留米21万石の城主有馬玄番頭頼徳公の
三女竹姫の土浦9万5千石の城主土屋寅真公の所へお嫁入の際、護り本尊として久留米の
水天宮の分霊を奉持しお祀りしたのが始まりである。
土屋邸内にお祀りしていたものを其後、小松町の新邸へ遷座されたが、再び元の祈神地である
川口町へ昭和33年7月5日に遷宮されたもの。


川口運動公園の野球場を左手に見ながら、


道なりに土浦港方面へ。


色川三郎兵衛之像
慶応三年(1867)、土浦の醤油醸造家、色川三中の養嗣子となり、家督を受け継ぐ。
維新後は政界に進出し、県会議員を経て、明治二十三年(1890)立憲改進党から立候補し当選、
衆議院議員を2期務めた。
在任中、鉄道会社に働きかけて日本鉄道海岸線(現常磐線)の敷設計画を変更させ、
当時水害に悩まされていた土浦市の霞ヶ浦側に、線路の盛土を湖岸堤の代わりとして作らせたほか、
逆流防止のため川口川閘門、田町川閘門の建設に出資するなど、土浦の水害対策に尽力した。
(Wikipediaより)


11時ちょうど、土浦港に到着。


土浦港


土浦港全体


『土浦にこんな港があるなんて知らなかったわ~っ』
『凄く素敵な景色だよね~っ』
初めて見る景色にしばし見惚れるばかりである。


土浦港を後にして、県道263号へ向かう。
正面に見えているのは川口運動公園だ。
400mトラックの陸上競技場、甲子園の地方大会が開催される野球場、テニスコート、
運動広場等、スポーツ競技には申し分のない設備が揃っている。


りんりんポート土浦
りんりんポート土浦はシャワー室、自転車メンテナンススペース、トイレ、駐車場の他、
芝生広場、霞ケ浦を見渡せる屋上テラスなどを備えたサイクリングの拠点施設として
2019年4月4日にオープンした。


11時10分、川口運動公園北門を通過すると、
(北門から見た野球場)


県道263号に出た。


交差点を左折し、県道263号を土浦駅方面へ真直ぐ進む。
横断幕には、かすみがうらマラソン2020年4月19日開催と書かれている。
『東京マラソンみたいに一般参加者は中止になったりしないんだろうねっ?』
『まだ3ヶ月後だからねっ 誰も分からないんじゃないっ?』


県道263号港橋付近を通過。


県道263号ヨットハーバー入口付近を通過。


11時22分、土浦駅前を通過


11時27分、水郷大橋に到着した。


水郷大橋を渡り、


コープつちうらショッピングセンターを右手に見ながら、


土浦小松郵便局前を通過し、小松橋を渡る。


11時35分、備前川に架かる小松橋を渡った所で、最後の休憩をして行こう。
『ここまで来ればもうあと少しだねっ』


『お茶みんな飲んでしまっちゃおうっ』


11時40分、備前川に沿って霞ヶ浦総合公園へ向かう。


『今日は平坦なコースで良かったよねっ』


『ここは1年前に一度歩いてるからペース配分が楽だよねっ』


最後尾Gの皆さんも足取りは軽い。
やはり一度歩いて慣れているからなのだろう。


住宅が途切れると、右側には蓮の田んぼが広がる。
『ここもそのうち住宅地になっちゃうのかしらっ?』


『あれって 私ん家なのよねっ』
備前川の対岸にIW子さんの家が。
『へぇ~ この辺に住んでたんだぁ』
『土浦駅が近くて便利な所だねっ』


備前川に架かる岩田橋を通過し、


ゴールの霞ヶ浦総合公園を目指す。
前方に霞ヶ浦総合公園の森が見えて来た。


森の手前を右折して、


田んぼの中を霞ヶ浦総合公園へ。


『んっ??』
田んぼの畔の部分を仕切っているビニール製の波板が燃えているではないか。
畔の雑草を焼くために火を点けたと思われるが、その後波板に燃え移ったようである。
回りには誰もいなかった。
このままでは危険と判断し、水筒のお茶をかけあったら火は消えてしまった。
これにて一件落着!!


正面にレストハウス「水郷」が見えて来た。


レストハウス「水郷」は、霞ヶ浦総合公園内にある休憩施設で、
レストラン、休憩スペース(持込可)、東屋付きの屋外バーベキュー場がある、とのこと。
土浦市の食事・グルメスポット、だそうだ。


レストラン「水郷」の前で後続組を待つ。


後続組が追いつき、全員揃ったところで、ゴールの霞ヶ浦文化体育会館を目指した。


芝生広場の反対側に、風車が迎えてくれている。


ゴールの霞ヶ浦文化体育会館は目の前だ。


12時24分、霞ヶ浦文化体育会館に到着した。


会長のTKさんより、労いの言葉があり、この日はここで解散ということにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


この日、当初計画していたのは東京都北区の名主の滝公園から音無親水公園・石神井川を
散策する予定だったが、このところの新型コロナウイルスの感染者数拡大による影響のことも考え、
急遽地元の霞ヶ浦周辺を歩くコースに変更した。
霞ヶ浦総合公園から土浦港を往復するコースを歩いたが、天気は晴れで風も弱く、
地元でもあったし、当会のウォーキングとしては、最高のタイミング・場所となった。
参加者も今の時期としては多い方と言っても良いだろう。
ということで、今回のコース変更は”正解”だったと言えるのではないだろうか。
何はともあれ、”めでたし めでたし”である。

この日の万歩計は、14,000歩を計測していた。

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5年3ヶ月ぶり 西根の里から旧水戸街道中村宿

2020年02月14日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年2月14日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第32回(2020年第6回)、「西根の里から中村宿を歩く」ウォーキングに参加した。

西根の里から旧水戸街道中村宿を歩くウォーキングは2014年11月7日以来で、
5年3か月ぶり2回目となる。

この日のスタート&ゴールの乙戸沼公園には、29名が集まった。
昨年12月20日の忘年ウォーキングの際の33名に次ぐ多さとなった。
やはり天気も良く、地元ということが大きく影響していると思われる。


来年度の会費・保険料などを徴収したり、来年度の年間スケジュールや連絡網の配布などで
少し時間を要したものの、9時21分、いつものように会長のTKさんを先頭に出発!


後に続く皆さん。
『やはり地元を歩くって良いわよねっ』


乙戸沼公園前の学園東大通りを横断し、


西根西1丁目付近を進む。


土浦産業技術専門学院前を右折し、


左手に土浦産業技術専門学院の建物を見ながら進む。


前回(2014年11月7日)とややコースが異なるのは、牛久土浦バイパスの工事のため、
迂回を余儀なくさせられているからである。
西根南1丁目に住むFJさんが案内役を買ってくれている。
何とも心強い限りだ。
『いやぁ 地元の人が案内してくれるとホント助かるよねっ』 とTKさん。


土浦産業技術専門学院のグラウンドの先を左折して、


県道201号を常磐自動車道方面へ。


常磐自動車道手前を右折して、常磐道に沿って少し進み、ふれあいセンターながみね、
清掃センター方面へ。


清掃センター方面へ。


前方に清掃センターの建物が見えて来た。
『あの煙突、家からも見えるんだよねっ』
煙突はたまに見ることがあるが、清掃センターの建物を見るのは初めてだ。


さらに道なりに進み、


9時41分、清掃センター前を通過
『粗大ゴミや燃えないゴミも引き取ってもらえるんだよねっ』
自分で持込むことも出来るとのこと。


清掃センターの裏には鉄くずがうず高く積まれていた。


清掃センターを過ぎてしばらく進むと、


見覚えのある場所に出た。中村西根へ通じる道である。
迂回しない場合はこのポイントに出てくることになるのだ。


中村西根方面へ。


中村西根1区辺りを右に曲がって進むと、


9時52分、西根一区公民館に到着した。


半鐘の脇に佇ずむ地蔵菩薩像
顔の表情が分からないというのは、それだけ時が経っているという証である。


ここでしばし休憩しよう。
『いやぁ 今日はけっこう暑いよね~っ 汗かいちゃったよっ』


この日の予想最高気温は17度、4月中旬の温かさである。
『お茶が美味しいっ!』


リュックが椅子に早変わりのKKさん。
最初の頃は物珍しかったが、今では見慣れた様子の一つとなった。


”西根の里”方面へ。
黒塀に囲まれた大きな家や、


立派な門構えの家が目を引く。
『凄く立派な門だわね~っ どんな人が住んでるのかしらっ?』


先頭はどうやら”西根の里”はパスするのかな?
左の方が目指す西根鹿島神社には近道ではあるが・・・


”西根の里”の一部を通り、


西根鹿島神社方面へ。


西根鹿島神社を目指す。


西根集落辺りを進む。


西根集落
西根二区公民館前の西根集落の説明板「フィールド博物館・土浦」には
次のように紹介されている。
鎌倉街道の通っている中村西根の集落には、屋敷の周囲に高い生垣をめぐらせた農家が
多く見られます。
筑波おろしの季節風を遮るとともに、火災の類焼を防ぐためのもので、 風土が生んだ
生活の知恵といえるものです。(以下略)


西根集落方面


高生垣の様子(平成26(2014)年11月7日撮影)


高生垣の様子(平成26(2014)年11月7日撮影)


西根集落方面を撮っている間に先頭Gは西根鹿島神社方面へ行ってしまった。


薬師堂を撮って後を追うことにした。
薬師堂の参道を進むと、


薬師堂があった。
新しく建て替えられている。


2014年11月7日に来た時は茅葺屋根の今にも朽ちそうな古びたお堂だった。


先頭Gの後を追って、


”西根の里”コースの案内に従って西根鹿島神社方面へ。


ほどなく先頭Gが見えて来た。


西根鹿島神社への杉と桧の参道を進む。


西根鹿島神社の参道は300mほど続く。
この参道は”西根の里”コースで気に入っている景色の一つである。


10時15分、西根鹿島神社に到着した。


西根鹿島神社に参拝
拝殿に掲げられた ”奉祝 天皇陛下御即位” の幟が印象に残る。


西根鹿島神社にはいくつかの神社が合祀されている。
火防の神 愛宕神社


雨乞いの神 雷(いかづち)神社


海の神・交通の神 金刀比羅大権現神社


学問、進学、受験の神 天満宮神社や五穀を司る稲荷神社などがある。


本殿の周りには、土浦市指定の名木・古木のイヌザクラや


エノキの大木などが聳えている。


久し振りの大人数だ、記念撮影しておこう。


10時25分、西根鹿島神社を後にして、いったん杉・桧並木の参道を薬師堂まで戻り、


薬師堂裏を左に曲がって、旧水戸街道中村宿方面へ。
案内役のFJさんによると、中村宿へ通じる径があるとのこと。


回りが田んぼの中を中村宿方面へ。


のどかな風景である。


右手には谷津の景色が広がる。
『いやぁ ほんとにのどかな風景だね~っ』
『気持ちが癒やされるよねっ』


さらに小径を進むと・・・


突然、やや広い道路に出た。
旧水戸街道中村宿の中という集落辺りだった。
土浦古絵図まち歩きマップによると、
中村宿は、水戸街道開通の際、宿場を形成するために中村西根の集落から移住させられて
できた集落と言われています。
江戸方面から下ってくると土浦藩領最初の宿場であり、本陣、問屋や数軒の旅籠などで
当時は大いに賑わっていました、とある。


国道6号原の前交差点方面へ進むと、


観音堂の石仏群があった。
「フィールド博物館・土浦」によると、
その昔、水戸街道中村宿のはずれに観音堂があったと伝えられている。
現在は、観音堂は失われているが、通称観音堂墓地内には今も多くの石仏が見られる。
中でも高さ70Cm程の光背型の石に浮彫された六地蔵は、各体に地蔵名が銘記された
優しい風情の立像で、 宝暦七年(1757)に作られたもの、とある。


他にも馬頭観音、聖観音、子安観音、青面金剛など各地から集められた石仏たちが
静かな時の流れの中に佇んでいる。


石仏たちの横にある2つの石像は、道祖神と思われる。


この先進むコースを確認して、


少し進むと、国道6号原の前交差点に到着した。


原の前交差点を横断すると、


目の前がコンビニである。
原の前交差点を渡った辺りに日本橋から18番目の一里塚があった、そうだが、
今は何も残っていない。


体調を整えるためコンビニで小休止


FJさんからの差し入れ、とのこと。
案内役を買ってもらった上に差し入れとは、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
『いただきま~すっ』 『ごちそうさま~っ』


国道6号の旧道へ。


国道6号の旧道を進む。
時々車が通るので一列縦隊で進む。


「メガガイアらくらく館」荒川沖店裏を通過し、


その先の信号を横断し、真っ直ぐ進む。


土浦中村郵便局を通過すると、


旧水戸街道は再び国道6号に合流する。


国道6号の中村南4丁目交差点を横断し、


中村南5丁目方面へ。


中村南五丁目公民館の大きな看板が。


右手を見ると中村南五丁目公民館があった。
『随分新しい感じだねっ』
案内役のFJさんによると、最近建て替えられたばかりだそうである。


続いて中村小学校の案内看板があった。
中村小学校はこの左手にあるらしい。


道なりに進み、


突き当たりを左折すると、


道路工事と思しき工事現場があった。
『牛久土浦バイパスはここを通るんだぁ』


近くには牛久土浦バイパスの事業予定地の看板が。


正面に学園東大通り沿いの「幸楽苑」が見えて来た。
「幸楽苑」は、よく利用する店の一つだ。


「幸楽苑」を通過すると、


学園東大通りの中村西根交差点に到着した。
この交差点で牛久土浦バイパスが接続することになるのだ。
『ここは立体交差になるらしいよっ』
『完成はいつ頃になるのかしらねっ?』
『まだ数年先じゃないのっ』
一日も早い完成を望むばかりである。


中村西根交差点を横断して右に曲がり、
数年前から営業していないレストラン「温野菜」前を通過すると、


11時33分、ゴールの乙戸沼公園に到着した。


皆さんも次々とゴール
『お疲れさま~っ』


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたっ』
会長のTKさんの『また来週も元気に歩きましょうっ!』の挨拶に、


『よろしくお願いしま~すっ』

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

2014年11月7日以来、5年3か月振りに”西根の里から旧水戸街道中村宿”を歩いた。
西根の里や谷津田の風景、旧水戸街道中村宿の景色はあまり変わっていなかった。
変わった点と言えば、西根南辺りが牛久土浦バイパスの工事が行われており、
近いうちに大きく変わろうとしているところであろうか。

前回は、国道6号原の前交差点を国道6号に沿って歩き、途中で右に折れて、西根南を通って
ゴールへ向かったが、今回は原の前交差点を直進し、旧水戸街道を歩いた。
その後は、国道6号の中村南4丁目交差点を横断して、ゴールの乙戸沼公園を目指した。

今回、5年3か月振りの”西根の里から旧水戸街道中村宿”だったが、次回は何年後になるだろう。
その時は今の景色は大きく変わってしまっているかもしれない。

この日の万歩計は、11,000歩を計測していた。

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とに角広い! 玉川上水緑道から小金井公園

2020年02月08日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2020年2月8日(土)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成元年度第31回(2020年第5回)、「玉川上水緑道から小金井公園」ウォーキングに参加した。

厳しい寒さの中、荒川沖駅7時59分発の電車を待つ。
『いやぁ 今日はかなり寒いね~っ』


この日は土曜日のため、電車内は空いていた。
参加者全員(この時点では12名)が楽に座ることが出来た。
牛久から1名乗車して13名となったが、参加者がちょっと少ない。
やはりこの寒さが影響しているのだろうか。


東京駅で中央線に乗り換えるため、1番線へ。


9時26分発の高尾行きに乗車。
中央線も空いていた。
『始発からこうやって楽に座っていけるから土曜日は正解だよねっ』


10時4分、この日のスタート地、武蔵境駅に到着。
改札口で待っていたFJさんが合流して、参加者は14名となった。
今年度の最低参加者数13名(2019年11月15日宝筐山・12月6日筑波山)に並ぶかと心配したが、
何とか上回ることができた。


武蔵境駅北口前でこの日のコースの説明などを済ませて、


10時11分、いつものように会長のTKさんを先頭に武蔵境駅を出発!
先ずは玉川上水緑道スタート地点の桜橋を目指す。


桜橋へ。


武蔵境通りのエコスグループのスーパー・たいらや前を通過


桜橋を目指す。


10時25分、目指す桜橋に到着した。


桜橋から見た玉川上水。
玉川上水は、江戸の人口急増に対し飲料水を確保するために、三代将軍徳川家光の時代から計画され、
承応二年(1653)4月4日着工。
同年11月15日、多摩川羽村取水口から四谷大木戸までの全長約43Kmを完成させた上水路である。
高低差は、92mと云われている。


桜橋を渡った左側、桜橋のたもとに国木田独歩の碑があった。
「今より三年前の夏のことであった。自分は或友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、
其処で下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある」と
作品「武蔵野」第六章の書き出しが刻まれている。


桜橋の右側は境浄水場となっている。


小金井公園方面へは、桜橋を左に折れて玉川上水の左側を進むことにした。
『こっちは車は通れないし、静かで良いわよねっ』


『水は案外きれいなのねっ』


案外きれいな玉川上水の緩やかな流れを右手に見ながら進む。


10時31分、独歩橋を通過。


玉川上水緑道を進む。


径の真ん中に大きな桜の木が生えていたりする。


「うどはし」という小さな橋があった。


歩いて来た径は「うどはし」のところで行き止まりになっていた。


「うどはし」で玉川上水の反対側に渡り、


玉川上水の右側(上流に向かって)の緑道を進む。


境水衛所跡の説明
水衛所とは、江戸市中への水を確保するため、水番人と呼ばれる人が常駐していた場所です。
水番人は、玉川上水に流れる水量の確認や周辺の巡回、流れてくる落葉の掃除などを行っていました。
水衛所は、江戸時代には奉行の支配下におかれ、「水番所」と呼ばれていました。


境水衛所跡
境水衛所は、明治維新後、東京市水道部(現在の東京都水道局)が管理することになったことから、
明治27年に”水番所”を”水衛所”と名前を変え、引き続き職員(水衛)が常駐し、玉川上水の点検や
清掃などを行っていました。
その後、淀橋浄水場の廃止に伴い、玉川上水への通水を停止したことから、境水衛所は昭和55年3月に
廃止されました、と説明が続いている。


境水衛所跡で水分補給をして、


さらに上流へ進むと、”史跡玉川上水の碑”があった。
平成15年8月27日に国の史跡に指定されている。
史跡指定の範囲は、羽村取水口から四谷大木戸まで約43Kmのうち、下流部の暗渠を除いた約30Km


10時45分、境橋バス停前を通過し、


玉川上水に沿って緑道を進む。


玉川上水緑道を進む。


『休憩できるようなちょっとした場所が欲しいんだよねっ』
しかし、それらしき場所は見つからない。
しばらくは歩く他なさそうだ。


くぬぎ橋を通過


続いて曙橋を通過。


さらに玉川上水緑道を進む。


玉川上水は五日市街道と並行している。


11時2分、桜堤歩道橋の下で一休みすることにした。
軽いお茶タイムである。
ここならそれほど通行人の邪魔になることはないだろう。


右手に小金井公園らしき森が見えて来た。


11時8分、梶野橋に到着。
東小金井駅はこの左1.2Kmとある。


梶野橋を渡ったところで玉川上水の左岸(上流に向かって)へ。


玉川上水の左側(上流に向かって)を進む。
浴恩館公園へ向かうためである。


関野橋を通過し、


都立小金井公園正門前の平右衛門橋を通過すると、


名勝小金井櫻の碑があった。
小金井櫻は、大正十三年(1924)に「名勝」として国から指定を受けたものであり、
古く徳川時代から明治大正を経て今日に至っております、とある。(以下略)
『小金井櫻はかつては名勝だったんだぁ』
小金井桜の起源は元文二年(1737)江戸幕府の新田開発の一環として、
玉川上水の両岸に植樹されたヤマザクラの並木のこと。
奈良県の吉野山と茨城県桜川から取り寄せたとされる由緒ある桜、だそうだ。


上水桜通りを進むと、浴恩館公園の案内板があった。
『ここを左に曲がって220mって書いてあるよっ』


案内板に従って、住宅街を進む。


『案内がないと分らないわよね~っ』


細い路地を進んで行くと、右手に林が見えて来た。
浴恩館公園と思われる。


11時28分、浴恩館公園に到着した。


浴恩館公園
浴恩館公園は、昭和三年(1928)御大典の際、京都で使用された建物を青年修養道場として
下賜されたものを多数の青年の奉仕によって移築、皇室の「御恩に浴する」との意味で
「浴恩館」と名付けられた建物を中心に、全国から集まった若者が自給自足をしながら
共に人生を語り未来を夢みた生活学校の場であった所を、公園として整備したものです。
小説「次郎物語」は、下村湖人が初代館長として、若者達の指導に当りながら、この地をモデルに
構想を練り、次郎の少年時代を描いたものです、とある。


浴恩館
市内の考古資料・古文書・民具をもとに小金井市の歴史・民族について常設展示されている。


浴恩館資料展示室(1)


浴恩館資料展示室(2)


11時53分、浴恩館公園を後にして、小金井公園を目指す。


小金井公園の正門前に架かる平右衛門橋を渡り、


五日市街道を横断して、小金井公園の正面へ。


『かなり広そうだね~っ』
園内地図で現在地を確認して、園内へ。


パンジーで彩られた花壇のプロムナードを進む。


『素敵な色だねっ』


突き当たりを左へ曲がり、


江戸東京たてもの園へ。
『うわ~ 随分広いんだね~っ』
小金井公園は、面積約80Ha(日比谷公園の約4.9倍、上野公園の1.5倍)の広さを誇る、とある。


堀の向こうに江戸東京たてもの園250mの看板が。


堀に沿って進んで行くと、


ちょっとした人だかりが。
皆さん真剣にカメラを構えているが・・・


レンズの先には・・・何とあの”青い宝石”とも言われるカワセミが。


『こんなに近くで見るのは初めてだよっ』
『人馴れしているのか、逃げないんだよねっ』
いつも首からカメラをぶら下げているKSさんはもう嬉しくて堪らないといった様子だった。


旧宇和島藩伊達家の表門を過ぎると、


江戸東京たてもの園入口(ビジターセンター 光華殿)に到着した。
入園料は、一般400円のところを65歳以上200円を払って園内へ。
12時15分を少し回ったところだったが、お昼を武蔵小金井駅周辺を予定しているため、
(ちょっと短いが)30分後にはこの場所に集まってもらうことにした。
ビジターセンターは、昭和15年(1940)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために
建設された式殿で、昭和16年に小金井公園に移築され、光華殿と命名された。
江戸東京たてもの園の開園にあたり、ビジターセンターとして改修された、そうである。


江戸東京たてもの園は、江戸東京博物館の分館で、失われてゆく江戸・東京の
歴史的な建物を移築保存し展示する目的で東京都小金井市の都立小金井公園内に
設置された野外博物館である。
時間が余りないので、速足で園内を回ることにした。
旧自証院御霊屋
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために
建立した御霊屋。
東京都指定有形文化財


高橋是清邸
明治から昭和の始めにかけて国政を担った高橋是清の住まいの主屋部分。


西川家別邸
北多摩屈指の製糸会社を設立した実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に立てた邸宅。
多摩地域の養蚕・製糸業が最盛期をむかえた時期(大正期から昭和初期)に建てられ、
よく吟味された部材が使われている。


江戸東京たてもの園の園内には、武蔵野の面影を残した雑木林が広がる。


園内から見た伊達家の門
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門。


天明家(農家)
江戸時代、鵜ノ木村(現在の大田区内)で重職を務めた旧家。
正面に千鳥破風をもつ主屋・長屋門・枯山水庭園などに高い格式がうかがえる。
小金井市指定有形文化財


武居三省堂(中央)
明治初期に創業した文具店で、当初は書道用品の卸をしていたが、後に小売店に変わった。
花市生花店(右)
昭和初期に建てられた花屋。建物は花屋らしくデザインされている。
左の建物は、東ゾーンにある店蔵型休憩棟で、1階は無料休憩所になっている。
2階には武蔵野の伝統の味を伝える手打ちうどんや日替わり弁当を食べられる
たべもの処「蔵」がある、とのこと。


丸二商店(荒物屋)
昭和初期に建てられた荒物屋。
小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様を形作り、建物の正面を飾っているのが特徴。


植村邸
建物の前面を銅板で覆ったその姿は看板建築の特徴をよく表している。
外観は、全体的に洋風にまとまっているが、2階部分は和風の造りとなっている。


大和屋本店(乾物屋)
港区白金台に昭和三年(1928)に建てられた木造3階建ての商店(乾物屋)


小寺醤油店
大正期から現在の港区白金で営業していた店。
味噌や醤油、酒類を売っていた。


店内にはたくさんの醤油の一升瓶や、サントリーのウィスキー(だるま)が並べられていた。
『昔は醤油屋でもウィスキーなんか売ってたんだぁ』


店奥の棚にも醤油の一升瓶がびっしりと並べられていた。


銭湯「子宝湯」
東京の銭湯を代表する建物。
神社仏閣を思わせる大型の唐破風や玄関上の七福神の彫刻、脱衣所の格天井など
贅を尽くした造りとなっている。


男性用脱衣所


旅館「萬徳」
青梅市西分町の青梅街道沿いにあった旅館。


旅館「萬徳」の内部


旅館「萬徳」の裏手には五右衛門風呂や


井戸もあった。


仕立屋
明治初期に現在の文京区向丘に建てられた出桁造りの町家。


鍵屋(居酒屋)
台東区下谷の言問通りにあった居酒屋。
震災・戦災を免れた鍵屋は、安政三年(1856)に建てられたと伝えられている。


都電7500形
渋谷駅前を起終点とし、新橋・浜町中ノ橋・神田須田町まで走っていた車両。
交通流の急激な増加に伴い、都電は荒川線を除いて昭和38年(1963)から順次廃止された。


都電の内部


『んっ これは何?』
上野消防署(旧下谷消防署)の望楼上部とある。
望楼は火の見櫓の近代版のこと。


三脚四層式外廊型で、旧所在地では約23.6mの高さがあった。
昭和45年まで使用された、そうである。


万世橋交番
正式名称は須田町派出所。
デザインや建築様式から明治時代のものと推定されている。

ここまでセンターゾーンと東ゾーンを見て回ったが、まだ西ゾーンが残っている。
とても30分そこらで見て回れるものではない。
もっとゆっくりと見て回りたいが、予定の時刻になったので、ビジターセンターへ急いだ。

13時1分、江戸東京たてもの園を後にして、たてもの園前広場を進む。


たてもの園前広場にはたくさんの桜の木(ソメイヨシノ)が植えられている。
多くの花見客で賑わい、「桜の園」では約430本の多彩な桜が春を彩る、とのこと。
一度花見の時期に訪れてみたいものである。


正門口を出て五日市街道を横断すると、玉川上水に架かる陣屋橋がある。


玉川上水に沿って進み、


小金井橋を左折して武蔵小金井駅に向かう。
小金井橋から見た玉川上水。


小金井街道を武蔵小金井駅へ。


『いやぁ 今日はけっこう楽しかったね~』
満足そうな笑顔のTKさんである。
『しかし、お腹が空いちゃったよねっ』


大松木之下の稲荷を通過
境内に御神木の大きな松の木があったことから名付けられ、「赤稲荷」とも呼ばれていた、そうだ。


13時29分、武蔵小金井駅前に到着。


この日は武蔵小金井駅前で解散することにした。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


いつものメンバーは、食事場所を求め、武蔵小金井駅東口へ。


駅近くのイトーヨーカドービルに入ってみたが、フードコートしかなかったため、近くの別のビルへ。
いくつか店はあったが、どこも満席でかなり待たなければならない状態だった。
これ以上探すのは困難と判断し、ちょうど目の前にあったサイゼリアへ。
ここでもしばし待つことになった。


とりあえず生ビールを注文し、
『かんぱーいっ』 『お疲れさま~っ』


『いやぁ 空き腹だからビールが美味いよねっ』


皆さんはめいめいお好みのものを注文
自分は、デミグラスソースのハンバーグを注文した。


食後は武蔵小金井駅へ向かい、中央線で東京駅へ。
東京駅から16時26分発の常磐線に乗り換え、帰路に就いた。
最後にもう一度 『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


武蔵境駅を出発し、玉川上水緑道から小金井公園へ歩いた。
小金井公園はとにかく広かった、という印象が強い。
面積は約80Ha(日比谷公園の約4.9倍、上野公園の1.5倍)というから驚きだ。
先月24日に訪れた舎人公園が69.5Haなので、小金井公園の広さが解る。

江戸東京たてもの園のセンターゾーンと東ゾーンを見て回ったが、時間が全く足りなかった。
時間の制限があったためだが、もっとゆっくりと見て回りたかったというのが正直な気持ち。
30分そこらで戻ってくるように皆さんに要請したのは申し訳なかったと思っている。
始めて訪れる場所だったこともあるが、その広さを全く認識していなかったのは、大きな反省点だ。

この日の万歩計は、15,000歩を越えていた。
予想以上に歩いたものだと思っている。

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