ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

科学の散歩道 JAXA見学

2012年11月30日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年11月30日(金)

毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第27回(2012年第38回)「つくば研究学園都市・化学の散歩道」ウォーキングに参加した。
JAXA(宇宙航空研究開発機構)を見学しようという企画である。

JAXAの見学ツアーは3つ(宇宙飛行士コース、宇宙ステーションコース、ロケットコース)あり、全て予約制になっている。
セキュリティ上、申し込み一週間後に参加者名簿を提出しなければならない。
人数確定に時間がかかったとはいえ、1カ月半も前の10月中旬に申し込んだのだが、”時既に遅し”
全てのコースは予約で埋まってしまっていた。
日程を変更する訳にも行かないため、止むを得ず”自由見学コース”に変更することに。
皆さんには変更までのいきさつを説明し、納得してもらった。

この日の集合場所は乙戸沼公園、JAXAは直線で約4Kmのところである。
参加者は新人1名も加わって31名、今年最高の参加者数となった。
『あらぁ久しぶり~』


挨拶もそこそこに、早速いつもの準備体操だ。


乙戸沼公園には、鶏(チャボ、烏骨鶏)やバリケンが棲みついている。
人なつっこく近寄ってくる。


9時11分、乙戸沼公園を出発!!


学園東大通りを北上


この日の先頭は会長が務める。
軽快な足取りで先頭を歩く会長。
皆さん、会長に付いて行くのが精いっぱいのような早さである。


大角豆(ささぎ)交差点の陸橋を渡るとつくば市だ。


9時29分、中古車販売のフジカーズジャパンを通過。


つくば市並木のコンビニLAWSONを左に曲がり、小さな公園通りを進む。
この通りが『殊の外気に入ってる』と言う人は多い。


この辺りはまだ紅葉が残っている。


梅園公園
『暑くなってきちゃったわねぇ』
『だって、ペース早いんだもん』


と言うことで、梅園公園で最初の休憩だ。


恒例のお茶タイム。
楽しみなひと時である。


10分ほど休憩し再出発! 次の休憩場所は二宮公園だ。


錦に染まったもみじが美しい。
この色の具合(緑・黄・赤)が好きである。


公園通りは手入れの真っ最中であった。
『この道はいつ来ても綺麗に手入れされてるから好きなんだよねぇ』


「つくば公園通り」に入ると、紅葉が一段と鮮やかである。


『こんな素敵な道が家のすぐ傍にあるなんて、羨ましいわねぇ』


やはり紅葉は鮮やかな赤があると華やかだ。
産業技術総合研究所(産総研)付近


洞峰公園付近
銀杏の落ち葉を踏みしめながら歩く。


洞峰公園付近のトンネルをくぐる。


トンネルをくぐると二宮公園は近い。


二宮公園で、2度目の休憩。体調を整え、JAXAに向かうことにした。
ここの時計はいつ見ても14時6分を指したままだ。
そろそろ修理しても良い時期だと思うのだが・・・


二宮公園脇の側道を降り・・・


右に曲がり、学園東大通りを目指す。


学園東大通りに出るとJAXAは近い。


後半の先頭は会長に代って、Oさんが務める。
背筋を伸ばして颯爽と歩く姿がかっこ良い。


10時54分、JAXA(宇宙航空研究開発機構:筑波宇宙センター)に到着。
11時ちょうどの予約時間にぴったりだ。


宇宙センターのシンボル、実物大のH-ⅡAロケット
記念撮影は帰りにしよう。


受付を済ませ、スペースドームへ。


スペースドームに入ると、宇宙から見た青い地球の模型が目に飛び込んでくる。
1/1,000,000のスケールだが、迫力がある。
『こんな風に見えるんだぁ』
宇宙から見た地球が青く美しい、と感じる。


人工衛星(1)
H-Ⅱロケットで打ち上げられた衛星が並んでいる。
手前からBS(ゆり)、CS(さくら)、GMS(ひまわり)


人工衛星(2)
ETS-Ⅶ(きく7号)


人工衛星(3)
DRTS(こだま)


人工衛星(4)
GOAST(いぶき)とALOS(だいち)


人工衛星(5)
こうのとり(HTV)は、宇宙ステーションへの補給機である。


国際宇宙ステーションきぼう(ISS)
船内に入るのに長い列で順番待ちの状態だ。


国際宇宙ステーションきぼう(ISS)
日本の実験棟である。
地上から約400Km上空にあり、地球一周を約90分で回る。


国際宇宙ステーションきぼう(ISS)
船内実験室の内部は大型バスと同じくらいの大きさとのこと。


宇宙ステーション(ISS)
船内の窓から見た船外実験プラットフォーム
この窓から観ながらロボットアームを操縦する、そうだ。


宇宙ステーション(ISS)船内保管室
実験装置や消耗品などの倉庫となる船内保管室は、船内実験室の上に位置し、実験室の天井と繋がっている。


宇宙開発事業団が約10年の歳月をかけて開発した、純国産ロケット
右からH-ⅡB(57m)、H-ⅡA(53m)、H-Ⅱ(50m)ロケット。
いずれも2段構成で、直径4m(H-ⅡBの一段目は5.2m)となっている。


本物のロケットエンジンも展示されている。


星出影彦(ほしであきひこ)宇宙飛行士と並んで記念撮影が出来る。
船外活動の時に着る宇宙服
背中には酸素やバッテリーなどの生命維持装置が付いていて、最長で8時間活動ができるようになっている。


続いてスペースドーム隣の企画展示室へ


地球帰還カプセル・ソユーズ号
この帰還カプセルは、1992年にロシア国民成果博覧会の宇宙館に展示されたもの。
この小さなカプセルには3名が乗り込めるようになっている。


展示室の前では星出影彦(ほしであきひこ)宇宙飛行士が迎えてくれる。


星出宇宙飛行士の子供の頃から宇宙飛行士になるまでが紹介されている。


こちらは宇宙飛行士になってからの船内での様子やロボットアーム操縦などが紹介されている。


宇宙ショップでは宇宙食が人気があるようだ。
宇宙カレー(525円)と鯖の味噌煮(525円)を買ってみた。
孫と一緒に食べてみよう。


一通り見学が終わり、H-ⅡAロケットの前で記念撮影だ。


筑波・宇宙センターを後にして、乙戸沼公園を目指す。


学園東大通り
黄色い楓の落ち葉が絨毯のようだ。


学園東大通り
産業技術総合研究所(産総研)並木大橋付近


12時5分、イタリアンレストラン「CARINA」前を通過。
大分お腹が空いてきたが、我慢我慢。


大角豆(ささぎ)の陸橋を渡る。


豆富料理屋「天清」から良い匂いが、しかし、ここも我慢して通り過ぎる。
ゴールの乙戸沼公園は近い。


常磐高速道路の下を通り・・・・


12時28分、乙戸沼公園にゴール!
早速整理体操をして・・・
『今日はお疲れ様でした~っ』


整理体操を済ませ、有志9名と乙戸沼公園向かい側のレストランへ一目散だ。
このレストランは時々利用する。
今までそれほど美味しいと思ったことはなかったが、この日の昼食はいつになく美味しかった。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次
へ戻る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

真っ赤な紅葉に満足 御岳渓谷一巡り

2012年11月27日 | ウマさんの「KDD遊歩会」
2012年11月27日(火)


KDD遊歩会」の第326回定例ウォーキングに参加した。
今回のウォーキングは、東京都青梅市「紅葉の御岳渓谷一巡り」である。

前回(8月)の”醤油の野田散策”以来3カ月ぶりの参加となる。

この日の集合場所は、青梅線御嶽駅に10時30分。
週末であれば「休日おでかけパス」(一日乗り降り自由2,600円)を利用するところだが、
平日のため、片道2,210円(往復4,420円)かかる。決して安くはない。

9時50分、青梅線御岳駅に降りたところ。
荒川沖駅6時31分発の電車だったので、3時間20分かかったことになる。
平日にも関わらず、大勢の人が降りた。
紅葉も見頃を迎え、天気も良いので人出も多いのだろう。


御嶽駅ホームから見える紅葉も真っ盛りだ。


御嶽駅には、同じ電車で同好会の何人かが降り立った。
挨拶を済ませ、集合時刻の10時30分には少し時間があったため、
駅の周りや近くのコンビニへ行ったりして時間を過ごした。


御嶽駅前のもみじはひと際赤い。


御嶽駅は、「関東ふれあいの道」(山草のみち)と(杉の木陰のみち)で今年2回訪れているので、記憶に新しい。


10時30分を回り、2名が遅れてくると言うので、先にこの日のコース説明を済ませているところ。
結局この日の参加者は15名ということになる。


説明をしているちょうどその時、強い風が吹き、黄色い銀杏の葉っぱが桜吹雪のように舞い落ちてきた。


落ち葉を表現するのは自分の技術では無理なため、動画で撮ってみた。


10時44分着の電車で遅れていた2名が到着し、全員揃ったところで、出発!
時計の針は10時53分を指していた。


多摩川に架かる御岳橋を渡る。


御岳橋の上から下流を望む。清流が美しい。
前夜雨が降ったが、水の濁りは見られない。
正面に見える小さな吊り橋は御岳小橋(みたけこはし)だ。


御岳橋を渡って先ずは「玉堂美術館」へ向かう。
階段状の道を降りて進むと・・・・


直ぐに「玉堂美術館」があった。
玉堂美術館は、日本画の巨匠河合玉堂が昭和19年から昭和32年84歳で亡くなるまでの10余年を、
青梅市御岳で過ごしたのを記念して建てられた。


玉堂美術館は、香淳皇后始め遺族・地元有志・玉堂ファンの寄付により、昭和36年4月に完成し、同5月に開館した。
昭和36年10月25日には昭和天皇と皇太子同妃殿下が訪問、それを記念して行幸啓碑が建てられている。


約30分間館内を自由に見学する時間が設けられ、玉堂の作品の数々を鑑賞した。
館内は撮影禁止になっているが、庭園は対象外である。


庭園(その2)


庭園(その3)


庭園から見た第二展示室
中には玉堂晩年の画室「随軒」が復原されている。


玉堂美術館を後にして、多摩川に沿って進む。
多摩川の流れが美しい。
来年東京で国体が開催される予定で、この御岳渓谷でカヌー競技が行われる、とのこと。


河原で写生している。
玉堂になった気分だろうか? 気持ち良さそうだ。


画廊レストラン「いもうとや
豆腐料理/喫茶店/日本料理が専門である。
実に静かな佇まいだ。
一度このような場所で食事をしてみたいものである。


「いもうとや」前の坂道を少し上ると東京都道45号線(吉野街道)に出た。


払沢(ほっさわ)トンネル(25m)と


御岳トンネル(89m)が続いている。
離れたところから見ると、殆ど繋がっているように見える。
こちらは照明付きで明るい。
Webで調べてみると、この2つのトンネルは、「女の中にいる他人」という映画のロケ地だったとのこと。


御岳トンネルを抜けると、直ぐ左側に川沿いの遊歩道へ降りる階段がある。


米寿を迎えられたKさん、少しペースは遅くなったが、相変わらず元気である。
『どっこいしょっと』


遊歩道は、回りの木が伐採されて日当りも良く、見通しも良い。
山に囲まれているためか、風も殆ど感じない、快適な散歩道だ。


遊歩道の右側の杉は全て伐採されているが、けやきが一本だけ残されていた。
何のために伐採したのかと思ったら、後で聞いた話だが、杉花粉対策のため、杉の木を伐採したとのこと。


鵜の瀬橋を通り過ぎる。


多摩川を挟んで対岸を望む。
多摩川の青い流れともみじの赤が対照的である。


対岸正面に昼食を予約しているという「つぃんくる」が見える。


大きな欅の木
『これはでかいっ、凄いなぁ』


大きなもみじの木が真っ赤である。
やはり紅葉の季節は赤いもみじが欠かせない。


大日本寒山寺に到着。
寒山寺の総本山は中国江蘇省蘇州市楓橋鎮に位置する臨済宗の仏教寺院とのこと。
小さいながらも趣のあるお堂が建てられている。
書家の田口米舫が中国の寒山寺の主僧より釈迦仏木1体を託され、帰国後、
昭和五年(1930)に小澤太平氏の協力によってここに寒山寺が建立された、とのこと。


お堂の内部


中国蘇州の寒山寺より寄贈されたという仏像が安置されている。


お堂の屋根の上に五重塔などに見られるような相輪があるのが特徴だろう。
日本の寺院ではあまり見たことはない。


鐘楼
撞くと澄んだ音が多摩川の両岸に響き渡る。


鐘楼と寒山寺お堂を一緒に見たところ。


楓橋がこの日の折り返し点である。


楓橋の先に真っ赤に色づいたもみじが迎えてくれた。
澤乃井園が見える。


澤乃井園内のテーブルは昼時のため、満席状態だ。


お酒で一杯というグループもあちこちに見られた。


園内にある土産物店は土産を求める人々で混雑していた。
澤乃井の酒、わさび漬け、酒まんじゅうなど、数々のお土産が売られている。
運悪く、酒まんじゅう(1個100円)は直前に売り切れてしまったとのこと。残念!!


12時半を過ぎ、お腹が空いてきた。
我々も予約をしてある「つぃんくる」へ向かった。
途中の遊歩道は紅葉の真っ盛りである。


”東洋のロダン”とも称された、明治から昭和の彫刻家(彫塑家)朝倉文夫の青年像が建てられている。


紅葉に彩られた多摩川沿いの細い遊歩道を進む。


遊歩道は一般住宅の裏庭を歩く感じである。
野菜なども植えられている。


ひと際赤いもみじ。
紅葉を満喫することが出来た。


13時4分、「つぃんくる」に到着。


店内は名前に似合わず純和風である。
蕎麦定食を註文済みだそうだ。


食事場所は、東屋風になっており、窓はない。
寒さ対策としてガスストーブが置かれていた。
東屋なので、雨の日は営業していないとのこと。


蕎麦は各人の好みで”冷たい蕎麦”、”温かい蕎麦”を注文。
風に吹かれ、多摩川の流れを観ながらの食事はなかなか乙なものである。


食事も済ませ、後はゴールの御嶽駅を目指すだけだ。
この辺りの御岳渓谷も素晴らしい景色である。


少しばかり西に傾きかけたお日様を反射した多摩川の流れが美しい。


こちらは下流を観たところ。


御嶽駅を目指して遊歩道を進む


13時55分、御岳小橋(みたけこはし)に到着。
御嶽駅まであと5分ほどだ。


御岳小橋に到着したところで、世話人から突然『この日は一応ここで解散にしますっ』が宣言された。
後は御嶽駅に向かうだけなので、何ら問題はない。
『今日は大変お疲れ様でしたっ』


世話人を残して、御嶽駅に向かった。
坂道の途中で振り返り、多摩川の色鮮やかな赤いもみじを後にした。


御嶽駅で電車を待つ。
朝同様、大勢の人が帰宅するところだった。
幸い電車は空いており、全員ゆったりと座ることができて、一安心。
青梅で東京行きに乗り換え、しばらくの間心地良い眠りに浸った。


朝は予定より20分ほど遅く出発することになったが、コース距離がさほど長くなかったため、
ゆっくりとしたペースで多摩川の清流や御岳渓谷の紅葉を楽しむことができた。
御岳渓谷を巡る遊歩道は組み合わせれば自由にコース・距離を変えることができる。
機会があれば、また違う時期にゆっくりと歩いてみたいものである。
その時は、是非澤乃井の酒を味わってみたい。

ウマさんの「KDD友歩会」の目次



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光街道を歩く 第3回 粕壁宿から幸手宿へ

2012年11月21日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2012年11月21日(水)


2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の街道歩きを望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

第3回目のこの日は、粕壁宿(東武日光線春日部駅)から幸手宿(東武日光線幸手駅)までの約12.5Kmを歩いた。

常磐線に乗り合わせたのは12名。春日部駅で残り1名が合流することになっている。
東武野田線柏駅で次の大宮行き待っているところ。


通勤通学時間も一段落し、東武野田線は1本待ったおかげで、楽に座って行ける。


9時6分、春日部駅に到着。
春日部にお姉さんが住んでいるというT子さんが合流し、13名全員が揃った。


駅前のKFC前でUさんに合せて準備体操だ。
『いっちにっ、さんっしっ』


9時17分、出発!
『今日は道を間違えないで歩こうねっ』


元気よく先頭を歩くのは女性陣だ。
『次の信号を左だよっ!』


春日部駅前の公園橋(西)交差点を左折して直ぐ、左手に山中千手観音堂があった。
江戸時代の俳譜師増田眠牛(ますだめんぎゅう)は、千手観音を背負ってこの地方を行脚していた。
そして粕壁宿の米問屋伊勢平の家に止宿するようになった。
その後、伊勢平が好意で建てた観音堂で生活し、やがてこの地で一生を終えた。
眠牛を慕う人々は、その観音堂の境内に墓標を建て、千手観音を祀って信仰したという。


店のシャッターにかつての粕壁宿を偲ばせる絵が描かれていた。


向いの建物の横に看板が。


永嶋庄兵衛商店(米屋)
屋根は葺き替えられたようで、新しい。


大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)を渡る。


この日は北風が強く、しかも冷たい。
『帽子が飛ばされるぅ』


小渕一里塚碑
江戸日本橋から十里目の一里塚である。
横には天保三年(1831)に建立されたとされる庚申塔が建っている。


国道4号線と合流する手前に追分の道標があった。


『左日光道って書いてあるっ』
『こっちは何て書いてあるか読めないねぇ』


9時46分、国道16号線を横断して国道4号線を進む。


『こんな看板初めて見たよ』
交通機動隊は、各道府県警察本部の交通部に設置されている部署の一つで、交通部の「執行隊」である。
主な活動内容は、白バイとパトカーによる幹線道路交通取り締まりであり、
自ら隊(自動車警ら隊)と並んで「パトカー・白バイのプロ集団」と言われている。


小渕山観音院の見事な仁王門
楼門は春日部市唯一で市の有形文化財に指定されている。
現在東日本大地震の影響だろうか、やや傾いている状態で、近寄れないようにロープが張られていた。


この寺は、この地方の観音信仰の霊場としても有名で、家内安全・商売繁盛の他、
いぼ・こぶ・あざに御利益があると云われている。(案内板より)
とりあえず観音様にお参りして行こう。


御本尊の正観音像
その昔、洪水でこの地に流れ着き、一度は元の寺へ戻したが、その後洪水でまたもこの寺に漂着したので、
お堂を建てて安置したものと云われる伝説がある。(案内板より)


3月にはかって馬寄せ祭があり、農耕に従事した牛馬がいろいろな飾りをつけて安全を祈願する祭があった。
本堂内には木像の白馬が安置されていた。(案内板より)


役ノ行者神変大菩薩
御参りの仕方は、合掌し、『南無神変大菩薩』(なむじんべんだいぼさつ)と唱えるよう指南されている。
何故か菩薩像の前には大豆が供えられていた。


ほぼ正面から風を受けて日光街道(旧4号国道)を進む。


10時9分、杉戸町に入った。


杉戸町は「北緯36度線上にある町」を売りにしている。
案内板には、中国ではチンタオ(青島)、米国ではナッシュビル、ラスベガス、グランドキャニオンが
イランではテヘランが同じ北緯36度線上にあるとのこと。


いったん国道4号線と分かれて左に進路を採る。


10時26分、六地蔵に迎えられて九品寺(くほんじ)に到着。


境内に道標があった。
左日光の文字が読み取れる。


境内の一角にたくさんの石像や無縁仏などの墓が集められていた。


寺の裏側には、大落古利根川(おおおとしふるとねがわ)が流れている。


ここで、小休止して行こう。
お互いに持ち寄ったお菓子を配りあう、楽しく幸せなひと時である。


また国道4号線に戻り、しばらく進むと、道の反対側に寺が見えた。
旦照山馬頭院観音寺、真言宗智山派の寺院だ。
道路の反対側だったが、せっかくなので手押信号を渡り、お参りして行くことにした。


門前には弘法大師の像が建てられている。


旦照山馬頭院観音寺本堂
ご本尊の馬頭観世音菩薩は、伝教大師(最澄)の作と伝えられる。
中興開山は、宥盛和尚(ゆうせいおしょう)で慶安二年(1649)に入寂した。
杉戸七福神の大黒天にもなっている。


鮮やかな朱色に彩られた鐘楼


変わった形に選定された庭木。


石碑には次のように刻まれていた。
新四国霊場第七十八番 馬頭院御詠歌
馬のごと 悪と厄とを食い尽くす 旅をも守る 馬頭観音


道はまた国道4号線と分かれて東武動物園方向へ進む。


昔の面影を残す旧い酒屋


時計は11時43分を指していた。
お腹も空いてきたのでたまたま通りがかったうどん屋「梅喜」へ入ることにした。
殆どの人は弁当持参であったが、風も強く、食事をする場所を見つけるのが面倒のため、
『温っかいうどんでも食べて行きたいわっ』ということで全員揃ってうどん屋へという次第。


店内には、一人の恰幅のある愛想の良い女性がちょうど食事時だった。
我々一行が土浦方面から来て「日光街道」を歩いていることを伝えると、いろいろと話しかけてきた。
ブログに載せるために写真を撮っていると、一緒に撮りたいとのこと。
『はいっポーズ』


こちらのテーブルにも丁寧に名刺を配ってPRに余念がない。


配られた名刺には「ドリームハウス」株式会社代表取締役の肩書きが。
聞けば、この店もこの会社で作ったのだと云う。
それ以来、毎日この店で食事をしているそうだ。


「梅喜」の作りは古民家風で、木のぬくもりが感じられる落ち着いた雰囲気がある。


”天婦羅うどん”を注文した。
麺はやや細麺だが腰があり、讃岐風のダシが効いていて美味しかった。


「梅喜」を出て数分のところに近津神社(ちかつじんじゃ)があった。


2本の銀杏の大木が社殿を隠している。


社殿は平成13年に不審火により焼失してしまったそうだが・・・
これは拝殿か? とにかくお参りして行こう。


昔風の家が街道筋のところどころに建っている。
かつては商売でもやっていたのだろうか。


家は立派な蔵を備えており、かつての繁栄を偲ばせる。


杉戸宿を進むと「宝性院」というお寺があった。
この寺は幸手城主一色宮内大輔義直が亡妻の菩提を弔うために永禄三年(1560)に建立したとのこと。


明治七年(1874)、ここ宝性院に杉戸宿・清地村・倉松村の児童を教育するために「杉戸学校」が設立された。
児童数は、男117人、女35人、教員は5人であった、そうである。


宝性院の門を入ってすぐ右に観音堂がある。


堂の前には頭上に馬を乗せた馬頭観音像が建っている。


日光街道を歩いていると、今の時期あちこちに赤くたわわに実った柿木を見ることができる。
『これ甘柿だったら美味いんだけどなぁ?』
試しに食してみたら、残念ながら渋柿だった。


国道4号線をひたすら進む。


無人直売所があった。
『どれもみな100円だって、安いねっ!』
皆さん好物なのか、柿はたちまち売れてしまった。


茨島一里塚跡を示す看板に見入る。
江戸日本橋から十一里目の一里塚だ。
説明板は半分色褪せて殆ど読めない。


13時48分、いよいよ幸手市に入った。


「ジョイフル本田」だ。
土浦ではお馴染みの店である。
『へぇ~、こんなところにも店を出してるんだぁ』


東武日光線の踏切を渡ると・・・


高架橋の工事が行われていた。
『圏央道だっ』
『ここを走るんだ』


『んっ? ドリームハウス? どっかで見たような?』
うどん屋で貰った名刺を想いだした。
『店で貰ったパンフレットで見たよっ』


日光道中・日光御成道合流点
写真左が日光御成道である。
日光御成道は、川口・鳩ヶ谷・岩槻を抜けて幸手に至る道で家光の時代に整備され、
徳川家康を祀る東照宮に参詣する代々の将軍が通行した道である。


鷹尾山誓願院神宮寺(たかおさんせいがんいんじんぐうじ
浄土宗のお寺で本尊は薬師如来
源頼朝が奥州征伐の折、この地で鷹狩りをし、戦勝を薬師様に祈って開基したとも伝えられ、
この故事から鷹尾山誓願院の名が付けられたと云われている。


門前の両側にはびっしりと石像・供養塔が並べられている。
反対側には六地蔵も並んでいた。


間もなくゴールの幸手駅、この日の無事を感謝しお参りだ。


本堂の前に大きな槇の木があり、ちょうど槇が実っていた。
『これ食べられるの? 知らなかったぁ』


再び東武日光線の踏み切りを渡る。
前方が幸手駅の方向だ。


神明神社


鳥居のすぐ脇に、螺不動尊(たにしふどうそん)と刻まれた碑があった。


境内には、いくつかの社がある。一番奥に少し大きめの社がある。
宝暦五年(1755)に伊勢皇大神宮の分霊を祀った神社であり、
明治六年(1873)4月より旧幸手町の村社の一つとなった、そうである。


引き挙げようとした時に、一番手前の社が「たにし不動尊」(菅谷山)ということに気が付いた。


眼病の人が『たにし』を描いた絵馬を奉納して祈願すればご利益があるという。
絵馬は持ち合わせていなかったが、引き返してお参りだけはして行くことにした。
皆さん、何がしかの目の病はあるようだ。


神明神社を過ぎて数百m進むと、小さな公園があった。


この日最後の訪問地、幸手宿問屋場跡だった。


幸手宿問屋場跡の説明板があるだけだ。
説明によると、問屋場は旅人の世話や荷物の運搬業務を行っていた施設。
近くには本陣や旅籠、茶屋などが軒を連ね、宿場の中心であった。
問屋場脇の道は、今でも問屋場横町と呼び親しまれている、そうである。


整理体操をして・・・・


幸手駅に向かう途中、いかにも古そうな構えの店だが、「チーズケーキ在ります」の看板が。
奥さん娘さんの土産を求めて迷わず中へ入るUさん。
律儀な人である。


15時17分、幸手駅に到着。
この後、東武線・常磐線を乗り継ぎ帰宅、心地良い疲れが眠気を誘った。

『今日は大変お疲れ様でしたっ』

いよいよ次回(12月19日)は利根川を越えることになる。
幸手~古河ということで、距離は長いが楽しみである。


ウマさんの「日光街道を歩く」 ”の目次へ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天気も味方 加波山ハイキング

2012年11月16日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年11月16日(金)

毎週金曜に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成24年度第26回(2012年第37回)「加波山」ハイキングに参加した。


第一集合場所の乙戸沼公園
銀杏も黄色く染まっている。今が見ごろである。


この日集まったのは17名。
加波山は初めて、と言う人が多い。


車4台に分乗し、加波山麓丸山風車近くの山嶺公園に到着。
ここまで約1時間15分かかったことになる。
かなり高いところまで来ている。(既にこの辺りで540mとなっていることが分かった)
目の前が加波山(709m)だ。


山麓には自由民権運動発祥の地として”真の自由を問う”モニュメントが建てられている。


「自由の楷」碑


高さ87mにも達する「ウインドパワーつくば」の巨大風車。
現在発電量2千kWが2基あるが、どちらも停止していた。


いつもの準備体操をして・・・


10時40分、加波山目指して出発!


加波山山頂まで0.9Kmの表示。
直ぐにでも登頂できそう、と思ったらそうはいかない。


いきなり急坂の道である。距離が短い分、急な坂道が続く。
車から降りたばかりの身体には相当堪える。


息が上がる。
筑波山の薬王院コースを思い起こさせる。


『マイペースで行こうね』


登り始めて15分、少し平な尾根(天狗七飛石)に出たところでひとまず休憩だ。
女性陣は余裕の笑顔である。


軽い休憩の後、加波山を目指す。
この辺りから道は緩やかになってきた。


数分ほど進むと殉職の碑があった。


飛行機の墜落事故で亡くなった自衛隊搭乗員2人の慰霊碑。
昭和37年(1962)9月20日19時44分と刻まれている。
合掌!


加波山神社へ続く熊笹に囲まれた道を進む。


次第に大きな岩が現れるようになってきた。


旗立石
自由民権思想家たちが武装蜂起。
「自由の楷」「政府転覆」などの旗を掲げ、気勢を挙げたという。
明治十七年(1884)9月23日の加波山事件を記念して65年後に碑が建立された。


山頂は間もなくだ。


一番南側にある加波山三枝祇神社(かばさんさえなづみじんじゃ)本宮拝殿に安全祈願だ。


本宮拝殿を過ぎると、いろんな記念碑が目に付くようになってきた。


中にはこのような小さな社もある。
東日本大地震の影響か、傾いたままだ。


これは自然の石で出来ているのだろうか?


三つの石が合わさって一つの大きな碑のように見える。
竹に取り付けられた紙垂(シデ)があるとやはり神々しく見える。


次に現れたのは、加波山三枝祇神社(かばさんさえなづみじんじゃ)本宮本殿である。


額には勅宣正一位本宮加波山大神社とある。
先ほど祈願した神社と全く同じ額である。


この神社が加波山の山頂(709m)のようだ。
最初の15分を登り切れば加波山は意外に楽なことが分かった。


しばらく尾根伝いに歩く。


これは加波山神社中宮本殿。


狭い岩の間を通り抜ける。
『通り抜けられて良かったぁ』


たばこ神社
毎年9月第1日曜日に豊作を願う『きせる祭』が行われるとのこと。
長さ3.5m、重さ60Kgの日本一の”巨大きせる”を、加波山神社拝殿からここ「たばこ神社」まで担ぎ上げるのだ。
”巨大きせる”の雁首に刻みタバコを詰め、神官が木をすり合わせて火を起す「火切り」の神事の後、
法被姿の氏子に担がれて、神職を先頭にほら貝の音とともに、険しい山道を登る。
「たばこ神社」に到着後、神事を行い、参拝者が奉納されたばかりの”巨大きせる”で喫煙する、そうである。


加波山三枝祇神社親宮本殿を過ぎ、


『危ないから手摺りに掴まった方が良いねっ』


多くの顕彰碑などが建つ急坂を降りてゆくと・・・


加波山三枝祇神社拝殿に到着だ。


『この先も無事でありますように』


加波山神社を通り過ぎた先に・・・


高天原社(たかまがはらしゃ)の鳥居が建てられている。
この先のNHKラジオ塔辺りを高天原(698m)と言うそうだから、その地名に由来しているのだろうか?


まだ11時をちょっと過ぎたところ。
燕山の東屋を目指すことにした。


加波山神社を抜けると日差しが感じられるようになってきた。


会長を先頭に進む。


電波中継?の鉄塔


もう一つの鉄塔がNHKラジオ鉄塔だ。
この辺りが高天原(698m)だろうか?


12時5分、NHKラジオ鉄塔傍の東屋に到着。
ここまで1時間半かけて登ってきたことになる。
お昼になったことだし、ここで弁当にしよう!


女性陣は賑やかである。
『あらぁ 美味しそうだことぉ』


こちら男性陣はもくもくと食べる。


昼食も終わり、12時43分、下山開始だ。
先頭はOさんが務める。


温かい日差しを浴びて・・・


10分ほどで加波山神社へ戻ってきた。


下りは案内に従って、高天原社の傍を下ることにした。
全員初めての道である。


杉の大木の間を縫うように進む。


かなり急な坂道である。


杉の木の大木の下に「恋瀬神社」と書かれた社が祭られていた。
聞くところによると、加波山には700余りの神が祭られているとのことである。
恋瀬神社(天照皇大神)もその一つと思われる。


「恋瀬神社」から少し下ったとことに、不動尊像が建っている。


恋瀬川の源流であろうか? 僅かに水が滲みだしている。
この水を飲むと病気が治るという言い伝えがあるそうだ。


急坂を下る。
落ち葉の下に岩が隠れているので危険だ。


足を滑らせて尻もちをつく人が続出。


加波山神社から25分、ようやく舗装された林道に出ることができた。


先に降りた人が労いのエールを送る。
『よく頑張ったねっ』


舗装されたなだらかな道を出発地の丸山風車へ向かう。


道端に鳥居があった。
真ん中に普明神社、右に夷針神社、左に愛宕神社と書かれた扁額が掛かっている。
これも数ある加波山神社の神の一つなのだろう。


快調に舗装道路を進む。


『あらぁ、素敵な眺めねぇ』


『正面に見えるのが吾国山?』


『えっ、どうしてこんなところに猫が?』
近くに採石場があるが、そこで飼われているのだろうか?


採石場の入口
門の前には大きな石が置かれているが、中からは機械の音が聞こえる。


今も石を切り出しているのだろう。
大理石のようだ。


「ウィンドパワーつくば」の風車が見えてきた。


出発時は2基とも止っていたが、左側の風車が回っていた。


13時44分、ゴール。
下り始めてちょうど1時間、途中滑り易い岩だらけのところもあったが、比較的楽なコースだった、という印象である。


せっかくだから風車を見て行こう。


丸山風車
真っ青な空に真っ白な風車が似合う。


発電電力、風速、今年のCO2削減量が電子表示されている。
ハブの高さ60m、ロータの直径は54mだそうだ。
運転開始の風速は3mとなっているため止っているのだろう。今日はあまりにも風が弱い。


『いやぁ、今日のハイキングは勉強になりましたかな?』


『今日はお疲れさんでしたっ!』
加波山は厳しい山、という印象が強かったようだが、この日のハイキングでその懸念が一掃された模様である。
『また来てみたいねぇ』『今度は逆回りが良いねっ』の声も。
風車も止るほどの風で絶好のハイキング日和であったことも後押ししたようだ。
帰りは次回の下見も兼ねて、開通したばかりの「朝日トンネル」を通って帰ることにした。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次
へ戻る。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真と地図で存在感 土浦三中地区文化祭

2012年11月14日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2012年11月14日(水)


当「健康ウォーキング同好会」は、土浦第三中学校地区公民館に所属し活動している、同好会の一つである。
毎年この時期になると土浦三中地区の文化祭が行われる。
今年も11月15日(木)~18日(日)にかけて各種催しや展示が行われることになっている。
昨日は展示用パネルが用意され、この日は朝から各同好会の展示が一斉に行われる。
当会も、例年どおり、活動状況を写真と地図(map)で存在感をアピールすることになった。

8時40分、土浦三中地区公民館に到着したが、まだ誰も来ていなかった。


9時ちょうどから各同好会の搬入開始が始まるというので余裕をもって家を出たが、早すぎたようだ。


館内の学習室には当会用のパネルが2枚用意されていた。
このパネルに写真と地図を貼りつけて展示することになる。


9時ちょっと前に役員の皆さんが集まり、早速準備した写真と地図の貼りつけを開始。
(開始から約30分ほど経っている)


写真は、各コースとも全員で撮影したものをA4版、スナップを2L版とした。
それに地図(A4)を併せて貼りつけることにした。
最初は大体見当をつけてピンで軽く止めておき、


後でセロテープを両面テープのように丸めて固定する、というやり方である。
こうすることによって、剥がした後からも利用できる。
両面テープだとべとついて後で使い難いのが難点だ。


約30分ほどで、ピン止めを終わり、セロテープで固定することにした。
セロテープで固定し終わるのに30分ほどかかったが、何とか終了。


『準備完了っ!』
全体の様子はこんな感じである。


パネルが2枚だけのため、1年間の活動状況全て(40数回)を紹介することはとても無理。
展示したのは13回分である。その中からいくつか紹介しよう。
会の旗も重要な展示物だ。


小江戸川越七福神めぐり(2012年1月7日)


常陸風土記の丘の桜と龍神山登山(2012年4月13日)


一切経山ハイキング(2012年6月1日)


守谷公園めぐりとビール工場(2012年6月29日)


草津白根山のこまくさ(2012年7月6日)


日本銀行本店見学と皇居外苑(新東京駅)(2012年10月19日)


準備が終わる頃になると、他の同好会の人達も覗きに来た。
『いろんなところを歩いてるんだねぇ』
『誰でも入ることができるのかしら?』


当会は、三中公民館を年に一度だけ「総会」として使用するだけである。
屋外を歩くのが目的だから当然のことだが、当会の存在を知っている人は意外に少ないのが実情である。

従って、この展示を見てその存在を知り、毎年数人が新たに入会している。
現在会員は50名。数ある同好会の中でも人数は多い方ではないだろうか?
会長も常々『ちょっと多すぎるような気もする』と口にしているが・・・
今年は何人の入会希望者が出るのだろうか、気になるところではある。


ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする