ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

「関東ふれあいの道」(神奈川)No.8 「鷹取山・里のみち」

2013年06月09日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2013年6月9日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を歩いた。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画した。

第六回目となる今回は、コースNo.8(鷹取山・里のみち:約8.9Km)を歩くことにした。
前回(第五回)は、足の故障で参加を控えたため、2カ月ぶりの「関東ふれあいの道」である。

東京駅8時3分発熱海行きの東海道線


車内は空いていた。
この日の参加者11名が車内の一角を占有した形である。


9時12分、定刻どおり二宮駅に到着。


ここから平塚駅北口行きバスに乗る。


車内はご覧のように我々一行のみである。
日曜日ともなると、郊外を走るバスはどこもこんなものなのかな、と思ってしまう。
(ただし、東京都を除く)


9時35分、この日のスタート地点、月京(がっきょう)に到着。


「関東ふれあいの道」の案内板が見つからない。
どうやら道を間違えたようで、たまたま国府小学校にいた先生に道を訊ねているところ。
バス停横を右折しなければならなかったが、そのままバス通りを真直ぐ進んでしまったようだ。


先生のおかげで「関東ふれあいの道」の案内板を見つけることが出来た。


『教えてもらって助かったねぇ』
ここから、あらためて出発である。


最初の目印、馬場公園は5分ほど歩いたところにあった。
馬場公園で準備体操でも、と思ったが、道を間違えるというタイムロスもあり、
また、公園は交差点の斜め向かい側にあったため、この日は省略することに。


馬場公園交差点を左折し、国府中学校方面へ進む。
この日は晴れで予想最高気温は28℃、朝からかなり暑い。


静かな住宅地の周りにはまだ宅地化されていない畑も見える。


諏訪の下橋だ。


小さな流れの不動川に沿って進むと、大きな楠の木?が立っていた。


『これはでっかいねぇ』
これだけ大きく立派な「猿の腰掛け」はあまり見たことがない。


『梅酒に良さそうねぇ』
『早く採らないと熟れ過ぎちゃうわよ』
人の家の梅ながら、気になってしようがない。


前方に東海道新幹線が見えてきた。
『あっ 新幹線だ!』
数分に一本、新幹線が走っている。


新幹線の下をくぐるトンネルで、水分補給のため一休み。
熱中症で脱水症状をおこさないためにも、水分は少し多めに補給しておこう。


池の季節の名物ハスに覆われた「東の池」
生沢周辺約5haの田畑を潤すために江戸時代初期に造られた灌漑用の貯水池。
当時の堀割や堤の技術を駆使して造られ、現在も用水地として機能している。
鷹取山の東側を水源とする境川から水を取り入れている。


『あれ、バナナじゃないっ???』


まだ小さいが、紛れもなくバナナである。


県道を過ぎると、周りを鬱蒼とした竹に囲まれた道が現れた。
青々とした竹林はどこか趣がある。


小田原厚木道路だ。
ひっきりなしに車が走る音が響く。


小田原厚木道路を過ぎると、次第に坂道になってきた。


しばらく急な坂道が続く。
『これは堪えるねぇ』
と言いながらもトップを維持しているのは流石である。


鷹取山へ0.7Km付近。
道は舗装がなくなり、やや緩やかになってきた。


この辺りは道も緩やかで歩き易い。


突然、みかんの差し入れ・・・
『道の脇に生ってたの』 『ありがとう いっただきま~す』


意外にも、甘くて美味しかった。
ハッサクとニューサマーオレンジを合せたような味がした。


鷹取神社の鳥居に到着。


鳥居から、急な丸太の階段が続く。


『高麗山のTVタワーが見えるねっ』


月京バス停から1時間15分ほどで、鷹取神社社殿に到着した。


拝殿の中は小さな社が祀られ、伊勢神宮式年遷宮の幟が飾ってあった。


神社の境内で一休みだ。
各自が持ち寄ったお菓子が配られ、恒例のお茶タイムである。


社殿の前で全員の証明写真を撮り、昼食場所を求めて次なる休憩地へ向かう。


鷹取神社一帯は、スダジイやタブノキの巨木が茂り、社叢林として、神奈川県の天然記念物に指定されている、そうだ。


神社の裏側一帯に広がる樹叢林。


樹叢林の中を進む。
神社を過ぎてからは下りのみとなるので、足取りも軽い。


『ここから別れてまた別の道があるんだねぇ』
「湘南平・霧降渓流のみち」の標識


なんと、直ぐ隣はゴルフ場だった。
「レイクウッドゴルフクラブ」だ。


ゴルフ場の直ぐ横の建物は「上吉沢配水池」である。


上吉沢の農道に出た。
左側は木々に遮られて分からないが、ず~っと「レイクウッドゴルフクラブ」である。


視界が開けて見通しの良い場所だ。


大山がぼんやりと霞んで見える。
『そのうちあそこまで歩くんだよね~っ』
「関東ふれあいの道」、まだまだ先は長い。


びわが実っていた。
間もなく食べごろだ。


『ここが、路傍休憩地??? トイレも日陰もないし、ちょっとここじゃ弁当を広げられないわよねぇ』
ごもっともな意見である。


路傍休憩地の少し手前で見かけた「びわ青少年の家」へ行ってみることにした。
路傍休憩地から数100m歩くと、道の分岐点があった。
本来の道は右手を進むことになっているが、さらに左手に進むと、「びわ青少年の家」の案内標識があった。


標識に従って数100m下ってゆくと・・・


「びわ青少年の家」の建物が現れた。
保育士らしき女性と子供達が歓声を上げながら校庭?を駆け回っていた。


保育士らしき人に声をかけ、昼食場所の提供を求めると、快く受け入れてくれた。
案内された場所は、キャンプ施設になっており、涼しい木陰もあり、何よりトイレも完備していた。
ゆっくりと弁当を広げることが出来る。
ここまで足を伸ばして正解だった。


早速、弁当を広げる。


『ここなら安心して食べれるよねっ』


保育士の方に礼を言って、「びわ青少年の家」を後にした。
『三春の滝桜の子孫なんだ』


2010年8月に持ち込まれて植えられたようだ。
親の滝桜のように大きく立派に育って欲しいものである。


分岐点まで戻り、「関東ふれあいの道」本来の右方向へ進む。


次の目標地である、妙円寺を目指す。


グリーンパール・ゴルフ練習場を通過。


「びわ青少年の家」から25分ほどで、目指す妙円寺に到着した。


ここまでの無事に感謝を込めてお参りしていこう。


妙円寺を目指したのには理由がある。
妙円寺は「銭洗い弁天」として紹介されている。


薄暗い岩屋霊穴の中に、弁財天様が祀られている。
何となく御利益がありそう。


銭洗いをするため、ありったけの五円硬貨を袋に詰めてきた人も。
銭洗い池で硬貨をざるに入れてしっかりと洗って、『何倍にもなって還ってきてねっ』
お札の方が御利益が大きいんじゃないのかな?


岩屋霊穴の奥に進んでみよう。
中は暗く、背を屈めないと進めない高さである。


真暗な岩屋霊穴には、赤い橋も架けられていた。


岩屋霊穴の突き当りに観音様?が祀られていた。


岩屋の手前に小さな鳥居があったので、階段を上ってみる。


岩屋のちょうど真上辺りに弁天堂「寶珠殿」が建てられていた。
現在の寶珠殿は、文化元年(1804)に再建されたものだが、
釘を一切使用しない「一本くさび工法」での建立と伝わっている。


13時31分、神奈川大学の湘南平塚キャンパス前を通過。


土屋一族の墓へ向かう。


もしかしたら、これは萩?
梅雨の最中に咲くものだろうか? 季節外れもいいところである。


民家と田んぼの間の細い道を進むと・・・


土屋一族の墓と五輪塔が並んでいた。
説明板には、次のように紹介されていた。
鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠(むねとお)を始祖とする土屋一族の墓所と伝える。
宗遠は、平安時代末期に中村荘司宗平(しょうじむねひら)の三男として生まれたが、土屋に分岐したので、
在地名をもって土屋姓を名乗り、源頼朝挙兵のときから参加、歴戦し、鎌倉幕府の基礎固めに力を尽くした。
のち一族は、平家討伐の屋島、一の谷、壇の浦等の戦役にも従軍し戦功をたてた。
江戸時代中期以降の土浦城城主、土屋氏との関係が話題になったが、どうやら違うとの結論に至った。


土屋城址
説明板には、次のように紹介されていた。
鎌倉幕府の御家人で重臣であった土屋三郎宗遠城跡。
土屋の丘陵にあって段丘を利用し、南に坐禅川を控えた、鎌倉時代初期の形式に属するものである。
この地は高陣山と呼ばれ、このほかにも高見台などがあり、一族縁者が居を構える二宮ノ館、真田ノ館、
岡崎ノ館、中村ノ館などに連絡できる場所でもある。
また当時は交通の要衝の地でもあった。


大乗院
説明板によると、大乗院は、天台宗延暦寺派の名刹で、
鎌倉時代の武将で土屋の領主、土屋三郎宗遠が堂塔を再建したと伝えられる寺院である、と紹介されていた。
寺は真新しく、門に立つとまだ檜の香りがした。出来上がったばかりであった。
『これは、凄いなぁ 豪華な門だねぇ』


しかし、境内は草が生え放題で、せっかく造り替えたばかりなのに寺の気配が感じられない。
『新し過ぎて、何かこう伝わってくるものが感じられないねぇ』
本尊は阿弥陀如来となっているが、本堂に鎮座しているのだろうか?


熊野神社
鎌倉時代土屋ノ庄の領主、屋三郎宗遠が庄内鎮護のため、尊崇していた紀州熊野の熊野権現、
十二社権現を勧請したと伝えられる古い神社である。
昔は熊野神社の大祭の折、馬場で流鏑馬が行われ、神事としてその年の豊作を祈ったと云われる、とある。


熊野神社の近くで見かけた見事な造りの長屋門
『これはまた凄いねぇ 立派だねぇ』感嘆の声しか出てこない。


この時期紫陽花が美しい。
手に触れるほどのところに咲いていると気持ちが癒される。


これはネギ畑
きれいに手入れされた畝を見て、思わずパチリ。


この坂を下ると、間もなく南平橋バス停である。


金目川に架かる南平橋を渡り・・・


14時10分、この日のゴール南平橋バス停に到着した。
『皆さんっ 今日は大変お疲れ様でしたぁ』


平塚駅行きバスが来るまで約15分、最後の水分補給で喉を潤した。
定刻より5分ほど遅れてバスが来た。
乗り込むのは我々一行11名だけである。


バスの中もご覧のように他の客は2-3名しか乗っていなかった。


バスに揺られること35分、終点の平塚駅北口に到着した。


後は東海道線で帰るだけである。
この日のコースを歩き終え、満足の表情に溢れている? と思いきや
手に手に缶ビールとつまみを持ち、静かに一杯やっているのであった。
かく言う自分も缶チューハイをやりながらシャッターを押しているのだ。


上野からの常磐線も全員ゆったりと座ることができた。


常磐線が走りだした頃には疲れと多少の酔いも手伝い、心地良い睡魔が襲ってきた。


17時50分、最寄りの荒川沖駅に到着。
外はまだ明るい。このまま帰るのはもったいない。
たまには駅前でちょっと”くつろぐ”のも良いのではないだろうか?
ということで、「庄屋」で”軽く一杯”とあいなった。


7月、8月は暑いので、いったん休止とし、9月から再開することにしている。
次回(9月)からは、いよいよ山のコースとなる。
その前に前回不参加だった、コースNo.7(大磯・高麗山のみち)を歩いて皆さんに追いつかねば。
最後まで無事に歩き、神奈川県の踏破認定賞受領目指して頑張ろうと思っている。


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