2013年12月8日(日)
”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破し、認定証を受領した。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画したものである。
第十回目となる今回は、コースNo.15(弘法大師と丹沢へのみち:約10Km)を歩くことにした。
(注:コース距離は8.6Kmとなっているが、小蓑毛から蓑毛までの連絡道1.4Kmも含めて10Kmとしている)
土浦駅であと一歩のところで乗り遅れたI子さんから、『特急で追いかける』との連絡が入った。
時刻表を確認すると10分遅れで日暮里に到着することになっている。
7時5分、当初の予定より15分ほど遅れて無事I子さんが合流。
この日の参加者9名全員が揃ったところで山の手線で新宿に向かった。
小田急新宿駅
7時41分発の小田原行き急行を待っているところ。
急げば7時31分発の小田原行き急行に乗れたが、座れる保証はなかったため、次の電車にしたのだ。
小田急線車内
全員ゆったりと座れて秦野まで快適なひと時である。
早朝のため朝食はまだだったのか、おにぎりやサンドイッチで腹ごしらえをする人も。
秦野駅には8時52分に到着した。
バス発着場前の弁当屋で弁当を買い求める。
『どれにしようかな』
9時15分発の平塚駅行きのバスを待っているところ。
乗客は我々だけのようだ。
9時26分、この日のスタート地点南平橋停留所に到着。
狭い停留所のため準備体操は無理なので、直ぐに出発だ。
歩いているうちに身体も温まってくるだろう。
気になる天気だが、予報では午後から”晴れ”ということなので、午後に期待しよう。
健速神社
境内の「健速神社由緒」によると、
創建時期は詳らかではないが、永禄二年(1559)の棟札が残っており、450年以上の歴史を重ねているとのこと。
明治元年(1868)の神仏分離令により、旧社名の「牛頭天王社」を「健速神社」と称するようになった。
拝殿奥の覆殿に収蔵されている朱塗りの本殿は、寛永十三年(1636)に造立された一間社流造りの神社建築で、
市内最古の神社建築ということで、秦野市指定重要文化財の指定を受けている、とのこと。
拝殿にこの日の無事を祈願していこう。
東名高速を横断する。
車の流れは順調に見える。
右側は名古屋方面へ向かう下り車線
東名高速道から10分ほどで権現山への上り開始道となる。
9名中7名は、 「弘法大師と桜のみち」で弘法山までは一度歩いているので、道に迷うことはない。
坂道を上りながら左に目をやると・・・
秦野市街地が望めるようになってきた。
遠くに丹沢の山々が見える。
南無妙法蓮華経の石碑を右に曲ると、
一段と急な坂道になる。
『けっこうきつい坂道だねぇ』
『車は大変だ』
10時7分、白山神社に到着。
ここで、一息入れる。
南平橋からちょうど40分が経過していた。
白山神社を後にしてみかん畑の農道を上って行くと、
舗装された道路に出た。
まだところどころに色づいた紅葉を見ることが出来た。
浅間山駐車場に到着
権現山の下に位置するが、”山”とは思えない。
ここから、権現山展望台まで約200mほど急登の道が続く。
展望台が見えてきた。
『最後は厳しい上りだね』
ベテランのKさんもかなりきつそうだ。
10時37分、権現山展望台(243m)に到着。
この辺りでは一番高い山である。
展望台から景色を見てみよう。
『あれは、伊豆大島のようだねっ』
手前の橋は東名高速道路だ。
反対側には大山(1,252m)が聳える。
権現山のアイドル???
人懐っこくてものおじしないところを見ると飼い猫か?
まるまると太っているが、何を食べさせてもらって暮らしているのだろう。
権現山展望台から弘法山方面へ
前方に見えるのが弘法山(235m)だ。
「権現山」と「弘法山」の間をむすぶ「馬場道」と呼ばれる道を歩いていると、
子供を乗せた馬がいた。(「馬場道」に相応しい)
ポニーのようだ。
(この先の「まほろばめんようの里」で未なども見掛けたので、ここの馬と思われる)
右が弘法山、左が蓑毛方面の分岐点に差し掛かった。
ここは蓑毛方面を目指す。
坂道を下る。
大山、丹沢方面だ。
未が放し飼いされている。鳴き声も聞こえる。
「まほろばめんようの里」である。
加茂神社を通過。
さらに下って行く途中、およそ100人ほどの一団とすれ違った。
『こんちわっ』 『こんちわ~っ』『こんにちわっ』
弘法山を目指すそうで、秦野駅から来たとのこと。
住宅地の中を進む。
道標が見当たらないので、道が合ってるのかどうか少し不安だったが、
道標がないということは真直ぐ進めと言うことだろう、とそのまま進む。
『関東ふれあいの道らしくないよねぇ』
『この道で合ってんのかなぁ』
なんて話しをしていたら、ひょっこり道標が現れた。
『この道で間違いなかったね』ひとまず安心である。
住宅地を進むと、国道246号線に出た。
名古木(ながぬき)交差点と言うらしい。
この字、地元ではないのでとても”ながぬき”とは読めない。
国道246号線と県道704号線が交差しているが、東京方面からの246号線から左折可用の道があったり、
その左折可の道と246号線を横断するための三角帯が設けられていたり、やや複雑な交差点である。
『ややこしい交差点だねぇ』
県道号704線を進むと右側に「日本たばこ産業安全性研究所」があった。
秦野は、江戸時代初期から「秦野たばこ」の産地としてその名声を全国に及ぼしていた、そうだから
JTの研究所があることには納得である。
前方に大山が見える。
県道704号線から外れて住宅地を進む。
古くて分かりずらい場所にあった道標だったので、見落としてしまったが、
Kさんがしっかりと見つけてくれて間違わずに済んだ。
Kさんも『あれじゃぁ 見落としてしまうよね』
11時37分、光明院に到着した。
光明院は天台宗の寺院
門前に六地蔵尊が建てられていた。
時計は11時40になろうとしており、お腹も空いてきた。
しかし、寺院の境内では食事は控えるべきである。また、お墓を目の前にしては食欲が湧くはずもない。
もう少し先の東小学校か、波多野城址に行けば食事する場所くらいはあるだろう。
と言うことで、光明院を後にした。
光明院を過ぎると道は急な坂道になった。
『この坂はきついなぁ お腹が空いてるから堪えるよ』
5分ほど坂道を進むと、道路は平坦になり、「関東ふれあいの道」の道標があった。
”一休みしていきなさい”ということだろうか、ベンチがおいてあった。
「関東ふれあいの道」の道標の前にベンチがおいてあるのを見るのは初めてだ。
東小学校はもう少し先だ。
『とりあえず東小学校まで行ってみましょう』
右手に朝方上った権現山が見え隠れする。
前方に東小学校の校舎が見えてきた。
東小学校前の交差点に道標があり、波多野城址の文字が。
『小学校の校庭で弁当、と云う訳にはいかないよねっ』
弁当は波多野城址でということに。
波多野城址の案内
地元の人に訊ねると、直ぐこの先らしい。
東小学校、市立東幼稚園の横を進むと、
左手に波多野城址らしい谷間の台地が見えた。
波多野城址はこの細い道を進むようだが、先ずは弁当にしよう。
波多野城址とは反対側の坂道を上ったところに栗林があった。
弁当にはうってつけの場所と言える。
12時9分、先ずはここで弁当にしよう。
弁当も終わり、ゴールの蓑毛バス停を目指して、市道を進む。
「関東ふれあいの道」の石の碑があった。
『今日始めて見たよ』
約1Kmほど先に源実朝公の御首塚があるとのことだが、帰りのバスが気になるため、今回はパスすることに。
東公民館前を右折し、蓑毛バス停を目指した。
途中で見かけた紅葉
『きれいだねっ』
『晴れてればもっと美しかったのにねっ』
今年はこれが見納めかもしれない。
東公民館から約15分で県道70号線の小蓑毛バス停付近に出た。
ここから蓑毛バス停までの1.4Kmは連絡道路となっている。
バスを利用する手もあるが、バス便が少ないため、歩く人が多いそうだ。
蓑毛バス停は停留所2つほど先なので、バスを待つより歩いた方が早い。
我々も歩こう。
小蓑毛バス停を通過。
道路が二股に分かれた場所の中央に鳥居が建てられている。
地図を見ても近くに神社は見当たらない。
蓑毛自然観察の森・緑水庵の水車小屋を通過。
この地は農業が盛んで、かつては水車が多く存在し、精米や製粉の機械として不可欠なものだった。
民俗資料や学校の教材として、緑水庵のシンボルとして昭和63年に建設された、とのこと。
(緑水庵は、秦野市今泉に昭和5年に建てられた芦川氏の住宅(昭和初期の標準的農家)で、平成3年に移築された)
連絡道路は緩やかな坂道になっている。
ほとんど平なところはなく、ずっと坂道が続くので、疲れた足にはかなり堪える。
『最後にこの坂道は厳しいねぇ』
1.4Kmの坂道を歩き、13時24分、ゴールの蓑毛バス停に到着した。
ちょうど13時27分発のバスが来たが、証明写真の撮影がまだなので、そのバスに乗る訳にはいかない。
証明用写真撮影ポイントに指定された宝蓮寺大日堂へ向かった。
宝蓮寺大日堂仁王門
仁王様
大日堂をバックに全員の証明写真を撮影した。
(実は、帰宅して撮影ポイントは仁王門だったことに気が付いたが、後の祭りである。
皆さんには大変申し訳ないことをしたと思っている)
撮影も終わり、次のバスまでの時間を利用して大日堂境内で整理体操だ。
『今日は最後まで晴れなかったねぇ』
我々一行の他、一人だけ先客がいただけだった。
始発なので、並ばなくても座れることは間違いないが、行儀よく並んでバスを待つことに。
マナーの良さでは他のグループには負けない。
14時0分発の秦野駅行き折り返しバスがやって来た。
バス車内はご覧のとおり。
蓑毛越えで大山阿夫利神社下社方面からこのバス停に降りて来る人は少ないようだ。
14時21分、秦野駅に到着し、小田急線秦野駅へ。
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』
朝一番に2カ月ぶりに参加したI子さんが電車に乗り遅れる、というハプニングがあったが、
直ぐその後の特急で追い着いたのは幸運だった、と言って良いだろう。
最後に撮影ポイントを間違える、という大チョンボをやってしまった。
「関東ふれあいの道」を担当する、神奈川県自然環境保全センター 自然保護公園部自然公園課に説明したところ、
撮影ポイントは、『それほど厳密ではなく、近くの建物であれば問題ない』とのことで、一安心した次第。
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”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、昨年(2012年)は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破し、認定証を受領した。
そして次は神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩こうということになり、企画したものである。
第十回目となる今回は、コースNo.15(弘法大師と丹沢へのみち:約10Km)を歩くことにした。
(注:コース距離は8.6Kmとなっているが、小蓑毛から蓑毛までの連絡道1.4Kmも含めて10Kmとしている)
土浦駅であと一歩のところで乗り遅れたI子さんから、『特急で追いかける』との連絡が入った。
時刻表を確認すると10分遅れで日暮里に到着することになっている。
7時5分、当初の予定より15分ほど遅れて無事I子さんが合流。
この日の参加者9名全員が揃ったところで山の手線で新宿に向かった。
小田急新宿駅
7時41分発の小田原行き急行を待っているところ。
急げば7時31分発の小田原行き急行に乗れたが、座れる保証はなかったため、次の電車にしたのだ。
小田急線車内
全員ゆったりと座れて秦野まで快適なひと時である。
早朝のため朝食はまだだったのか、おにぎりやサンドイッチで腹ごしらえをする人も。
秦野駅には8時52分に到着した。
バス発着場前の弁当屋で弁当を買い求める。
『どれにしようかな』
9時15分発の平塚駅行きのバスを待っているところ。
乗客は我々だけのようだ。
9時26分、この日のスタート地点南平橋停留所に到着。
狭い停留所のため準備体操は無理なので、直ぐに出発だ。
歩いているうちに身体も温まってくるだろう。
気になる天気だが、予報では午後から”晴れ”ということなので、午後に期待しよう。
健速神社
境内の「健速神社由緒」によると、
創建時期は詳らかではないが、永禄二年(1559)の棟札が残っており、450年以上の歴史を重ねているとのこと。
明治元年(1868)の神仏分離令により、旧社名の「牛頭天王社」を「健速神社」と称するようになった。
拝殿奥の覆殿に収蔵されている朱塗りの本殿は、寛永十三年(1636)に造立された一間社流造りの神社建築で、
市内最古の神社建築ということで、秦野市指定重要文化財の指定を受けている、とのこと。
拝殿にこの日の無事を祈願していこう。
東名高速を横断する。
車の流れは順調に見える。
右側は名古屋方面へ向かう下り車線
東名高速道から10分ほどで権現山への上り開始道となる。
9名中7名は、 「弘法大師と桜のみち」で弘法山までは一度歩いているので、道に迷うことはない。
坂道を上りながら左に目をやると・・・
秦野市街地が望めるようになってきた。
遠くに丹沢の山々が見える。
南無妙法蓮華経の石碑を右に曲ると、
一段と急な坂道になる。
『けっこうきつい坂道だねぇ』
『車は大変だ』
10時7分、白山神社に到着。
ここで、一息入れる。
南平橋からちょうど40分が経過していた。
白山神社を後にしてみかん畑の農道を上って行くと、
舗装された道路に出た。
まだところどころに色づいた紅葉を見ることが出来た。
浅間山駐車場に到着
権現山の下に位置するが、”山”とは思えない。
ここから、権現山展望台まで約200mほど急登の道が続く。
展望台が見えてきた。
『最後は厳しい上りだね』
ベテランのKさんもかなりきつそうだ。
10時37分、権現山展望台(243m)に到着。
この辺りでは一番高い山である。
展望台から景色を見てみよう。
『あれは、伊豆大島のようだねっ』
手前の橋は東名高速道路だ。
反対側には大山(1,252m)が聳える。
権現山のアイドル???
人懐っこくてものおじしないところを見ると飼い猫か?
まるまると太っているが、何を食べさせてもらって暮らしているのだろう。
権現山展望台から弘法山方面へ
前方に見えるのが弘法山(235m)だ。
「権現山」と「弘法山」の間をむすぶ「馬場道」と呼ばれる道を歩いていると、
子供を乗せた馬がいた。(「馬場道」に相応しい)
ポニーのようだ。
(この先の「まほろばめんようの里」で未なども見掛けたので、ここの馬と思われる)
右が弘法山、左が蓑毛方面の分岐点に差し掛かった。
ここは蓑毛方面を目指す。
坂道を下る。
大山、丹沢方面だ。
未が放し飼いされている。鳴き声も聞こえる。
「まほろばめんようの里」である。
加茂神社を通過。
さらに下って行く途中、およそ100人ほどの一団とすれ違った。
『こんちわっ』 『こんちわ~っ』『こんにちわっ』
弘法山を目指すそうで、秦野駅から来たとのこと。
住宅地の中を進む。
道標が見当たらないので、道が合ってるのかどうか少し不安だったが、
道標がないということは真直ぐ進めと言うことだろう、とそのまま進む。
『関東ふれあいの道らしくないよねぇ』
『この道で合ってんのかなぁ』
なんて話しをしていたら、ひょっこり道標が現れた。
『この道で間違いなかったね』ひとまず安心である。
住宅地を進むと、国道246号線に出た。
名古木(ながぬき)交差点と言うらしい。
この字、地元ではないのでとても”ながぬき”とは読めない。
国道246号線と県道704号線が交差しているが、東京方面からの246号線から左折可用の道があったり、
その左折可の道と246号線を横断するための三角帯が設けられていたり、やや複雑な交差点である。
『ややこしい交差点だねぇ』
県道号704線を進むと右側に「日本たばこ産業安全性研究所」があった。
秦野は、江戸時代初期から「秦野たばこ」の産地としてその名声を全国に及ぼしていた、そうだから
JTの研究所があることには納得である。
前方に大山が見える。
県道704号線から外れて住宅地を進む。
古くて分かりずらい場所にあった道標だったので、見落としてしまったが、
Kさんがしっかりと見つけてくれて間違わずに済んだ。
Kさんも『あれじゃぁ 見落としてしまうよね』
11時37分、光明院に到着した。
光明院は天台宗の寺院
門前に六地蔵尊が建てられていた。
時計は11時40になろうとしており、お腹も空いてきた。
しかし、寺院の境内では食事は控えるべきである。また、お墓を目の前にしては食欲が湧くはずもない。
もう少し先の東小学校か、波多野城址に行けば食事する場所くらいはあるだろう。
と言うことで、光明院を後にした。
光明院を過ぎると道は急な坂道になった。
『この坂はきついなぁ お腹が空いてるから堪えるよ』
5分ほど坂道を進むと、道路は平坦になり、「関東ふれあいの道」の道標があった。
”一休みしていきなさい”ということだろうか、ベンチがおいてあった。
「関東ふれあいの道」の道標の前にベンチがおいてあるのを見るのは初めてだ。
東小学校はもう少し先だ。
『とりあえず東小学校まで行ってみましょう』
右手に朝方上った権現山が見え隠れする。
前方に東小学校の校舎が見えてきた。
東小学校前の交差点に道標があり、波多野城址の文字が。
『小学校の校庭で弁当、と云う訳にはいかないよねっ』
弁当は波多野城址でということに。
波多野城址の案内
地元の人に訊ねると、直ぐこの先らしい。
東小学校、市立東幼稚園の横を進むと、
左手に波多野城址らしい谷間の台地が見えた。
波多野城址はこの細い道を進むようだが、先ずは弁当にしよう。
波多野城址とは反対側の坂道を上ったところに栗林があった。
弁当にはうってつけの場所と言える。
12時9分、先ずはここで弁当にしよう。
弁当も終わり、ゴールの蓑毛バス停を目指して、市道を進む。
「関東ふれあいの道」の石の碑があった。
『今日始めて見たよ』
約1Kmほど先に源実朝公の御首塚があるとのことだが、帰りのバスが気になるため、今回はパスすることに。
東公民館前を右折し、蓑毛バス停を目指した。
途中で見かけた紅葉
『きれいだねっ』
『晴れてればもっと美しかったのにねっ』
今年はこれが見納めかもしれない。
東公民館から約15分で県道70号線の小蓑毛バス停付近に出た。
ここから蓑毛バス停までの1.4Kmは連絡道路となっている。
バスを利用する手もあるが、バス便が少ないため、歩く人が多いそうだ。
蓑毛バス停は停留所2つほど先なので、バスを待つより歩いた方が早い。
我々も歩こう。
小蓑毛バス停を通過。
道路が二股に分かれた場所の中央に鳥居が建てられている。
地図を見ても近くに神社は見当たらない。
蓑毛自然観察の森・緑水庵の水車小屋を通過。
この地は農業が盛んで、かつては水車が多く存在し、精米や製粉の機械として不可欠なものだった。
民俗資料や学校の教材として、緑水庵のシンボルとして昭和63年に建設された、とのこと。
(緑水庵は、秦野市今泉に昭和5年に建てられた芦川氏の住宅(昭和初期の標準的農家)で、平成3年に移築された)
連絡道路は緩やかな坂道になっている。
ほとんど平なところはなく、ずっと坂道が続くので、疲れた足にはかなり堪える。
『最後にこの坂道は厳しいねぇ』
1.4Kmの坂道を歩き、13時24分、ゴールの蓑毛バス停に到着した。
ちょうど13時27分発のバスが来たが、証明写真の撮影がまだなので、そのバスに乗る訳にはいかない。
証明用写真撮影ポイントに指定された宝蓮寺大日堂へ向かった。
宝蓮寺大日堂仁王門
仁王様
大日堂をバックに全員の証明写真を撮影した。
(実は、帰宅して撮影ポイントは仁王門だったことに気が付いたが、後の祭りである。
皆さんには大変申し訳ないことをしたと思っている)
撮影も終わり、次のバスまでの時間を利用して大日堂境内で整理体操だ。
『今日は最後まで晴れなかったねぇ』
我々一行の他、一人だけ先客がいただけだった。
始発なので、並ばなくても座れることは間違いないが、行儀よく並んでバスを待つことに。
マナーの良さでは他のグループには負けない。
14時0分発の秦野駅行き折り返しバスがやって来た。
バス車内はご覧のとおり。
蓑毛越えで大山阿夫利神社下社方面からこのバス停に降りて来る人は少ないようだ。
14時21分、秦野駅に到着し、小田急線秦野駅へ。
『今日は大変お疲れ様でしたぁ』
朝一番に2カ月ぶりに参加したI子さんが電車に乗り遅れる、というハプニングがあったが、
直ぐその後の特急で追い着いたのは幸運だった、と言って良いだろう。
最後に撮影ポイントを間違える、という大チョンボをやってしまった。
「関東ふれあいの道」を担当する、神奈川県自然環境保全センター 自然保護公園部自然公園課に説明したところ、
撮影ポイントは、『それほど厳密ではなく、近くの建物であれば問題ない』とのことで、一安心した次第。
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