ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

三度目の正直はならず 鎌倉権五郎景政墓地コース

2013年06月28日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2013年6月28日(金)


毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成25年度第13回(2013年第25回)、「鎌倉権五郎景政墓地」を巡るウォーキングに参加した。


茨城県のヘルスロードにも指定されている、鎌倉権五郎景政墓地を巡るコースは、
これまで小ブログで何度か紹介している。今回が3回目になる。
最初に歩いたのは、2009年6月5日、いまから4年前のことである。
2度目は2011年1月21日、つい2年半前のことだ。

初めての会員の方のために、鎌倉権五郎景政についてのあらましを紹介しておこう。
今から900年余り前、「後三年の役」で源義家(八幡太郎義家)に従い、部下を引き連れ奥州へ向った。
三年余りの戦いでは、若さと剛毅で奮戦し多くの手柄を立て天下に名を示した。
鎌倉へ帰る途中、牛久田島台辺りを通りかかった際、清原勢鳥海弥三郎の軍勢と鉢合わせ。
合戦中、矢が右目に命中したが、ひるむことなく戦い、鳥海弥三郎を討ち止めた。
合戦後に疲れた体を馬の背にもたれて桂川の丸木橋を渡る際に、足を踏み外して川に転落。
這い上がろうとしたが、力尽きそのまま川底に沈んでしまった。
景政、わずか十六歳という若さであった、とのこと。
翌朝里人たちが見つけ、景政を聖伝寺の近くに葬り、後にお堂をたてて供養した。
景政の墓は、今日まで所在地主によって墓守がなされ、桂の金剛院境内には顕彰の碑が建立されている。

もう少し詳しく知りたい方はこちらを参照して欲しい。

この日の第一集合場所、乙戸沼公園には14名が集まった。


車4台に分乗し、第二集合場所の奥野生涯学習センター(牛久市)へ。
ほぼ同数の13名が直行していた。参加人数は合わせて27名となった。
近くて平坦で歩き易いコース、というのが魅力なのだろう。


早速、準備体操をして身体をほぐす。
『腰を下ろしてぇ~』
『いっちにっ、さんっしっ』


9時42分、体操が終わると直ぐに出発だ!


この日先頭を務めるのは会長。
これまで何度かこのコースを選定し、会員に紹介している。
しかし、まだ本コースを地図どおりに歩いたことはない、とのこと。


右手に牛久第二中学校を見ながら女性陣が後に続く。


「ヤマイチ味噌」の味噌蔵直売場前を通過。
味噌蔵見学が出来ると聞いたことがあるので、来年度の候補として検討してみようかな。
お土産に味噌が貰える?


牛久二中入口交差点を右に曲がると、左手に奥野小学校が見える。


『梅雨だけど、大して暑くもないし、今日は気持ち良いねぇ』


しばらくすると、広々とした田んぼが目の前に現れた。


「おみたらしの池」
鎌倉権五郎景政がけがの手当てのために目を洗い、返り血を落とした、と云われる「おみたらしの池」
かつては清水が湧き出していたと云われる。


「おみたらしの池」のすぐ裏手に、右目を射抜いた矢が納められた「矢の根神社」がある。
神社と云っても小さな祠が祀ってあるだけだ。


周囲を竹藪に囲まれ、小さな祠を見守るように墓が建てられていた。


「矢の根神社」を後にし、乙戸川方向へ向かう。


遠くに牛久大仏が見える。


乙戸川
この川を景政が馬に揺られて渡ったのだ。
今では橋(赤井橋)が架かっているが、当時は橋など無かったはずだ。


ヘルスロードの標識に沿って進む。


鎌倉権五郎景政物語コースの標識に沿って進むと、「うつつ坂」である。


景政は、疲れた身体を馬の背にもたれ、うつらうつらしながらこの坂を上ったのだ。


うつつ坂を上り切ると台地が広がる。
牛久大仏を左手に見ながら進む。
『だんだん近くなってきたねぇ』


『広々として、気持ちが良いわねぇ』
『こんな道も捨てたもんじゃないわよねっ』


のどかな田園風景が続く。
畑一面に身の丈ほどに生い茂っているのは、雑草だ。
まるで、何かを栽培しているかのようにきれいに育っている。
肥料が効いているせいなのだろう。


ビニールの中はスイカ?


カーブミラーが目印の道を右に曲がる。
標識が欲しいところである。


農家が点在する曲がりくねった道を進む。


立派な懸崖の松だ。
どうやって育てるのだろう?


アロエの花に似ているが、アロエ独特な果肉の葉ではない。
Webで”アロエに似た花”で検索すると、トリトマ(シャグマユリ)という花だということが分かった。
火が燃え盛る松明(たいまつ)のようにも見えることから、トーチリリーとも呼ばれる、そうだ。
うちのかみさんは、今までアロエだとばかり思っていたそうだ。


乙戸川の支流桂川に架かる橋を渡る。
橋の名前は特に無かった。


両側が田んぼの中の道を進む。


10時28分、この日の最初の目的地、鎌倉権五郎景政の墓地に到着した。
花が供えられていた。まだ供えられて時が経っていない感じである。
真っ白な石灯籠は前回(2011年1月21日)来たときにはなかった。
もうこれ以上増やさないで欲しいものである。


新しい墓の後ろに旧い墓も残されている。
個人的な意見だが、こちらの方が歴史を感じさせる。
あまりピッカピカの墓は似合わないのではないか?


途中休憩なしで一気に来たので、この墓地で休憩していくことに。


恒例のお茶タイムである。
甘いものは控えめにしているが、皆さんの好意は断れないし、ついつい手が出てしまう。
持って帰ってかみさんのおやつにでも食べてもらおう。


前半先頭を切ってリードしていた会長は、少々お疲れ気味の様子。
会長に代って後半の先頭を務めるのはOさんだ。


桂川を渡って、次ぎは金剛院へ向かう。


東照山金剛院(天台宗)に到着した。


六地蔵がお出迎えだ。


入口を入って正面に回向堂がある。
前回、銀杏を戴いたことを思い出した。


奥に進むと本堂がある。


仁王像
こちらは、本堂左側の阿吽の吽像。
阿像は右側にどっしりと構えている。


鎌倉権五郎景政の顕彰の碑が金剛院の回向堂近くにある。
『何て書いてあるのかなぁ』


金剛院に別れを告げ、農道を進む。
道端の大きなケヤキが印象的。


景政が水没した、と云われる桂川を見ていくことに。


桂川へ。これで何度目の桂川だろう。
『この川で亡くなったのかぁ』
『こんな小さな川なのにねぇ』


景政が川を渡ろうとして馬から転落して水没した場所の筈なのだが・・・
案内板など何も見当たらなかった。
遠い昔のことだが、ヘルスロードとして紹介されているからには、案内板くらいは欲しいところである。


景政が水没したとされる場所を確認したことで、一安心。
直ぐに引き返して次ぎに進む。


パンダ?


まだ11時12分、井ノ岡神社を回るくらい時間はあるだろう。
と云うことで井ノ岡神社を目指すことにした。


景政が水没したとされる橋から500mほど下流に別の橋がある。
車とすれ違うのもやっとの狭い橋だ。


畑仕事をしていたお婆さんに道を尋ねたりしながら、井ノ岡神社を探すが、なかなか見つからない。
『神社がありそうな雰囲気だけど、見つからないなぁ』


集落の中をあっちこっち探し回るがそれらしき建物が見つからない。


すっかり色褪せてはいるが、間違いなく今年10月14日の大相撲土浦・牛久場所のポスターである。
『それにしたも随分早くから貼り出しているもんだねぇ』


たまたま通りかかった地元の老人に井ノ岡神社を訊ねるが、場所は定かではない。
しかし、浄妙寺は直ぐ近くだと教えてくれた。


老人の言った通り、井ノ岡神社の次の目的地、浄妙寺があった。


井ノ岡神社は諦めて浄妙寺にお参りして行くことにした。
案内によると、浄妙寺には、鎌倉後期の作とされる阿弥陀三尊像が祀られている。
阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三像は、この近隣では珍しく、貴重なものとして
牛久市文化財(彫刻)に指定されている。
『なかなか立派な本堂だねぇ』
(この時点では、ほとんど全員が浄妙寺は初めてだとばかり思っていた)


浄称寺境内には古木が何本か残されており、”市民の木”として大切に保護されている。
楠(クスノキ)は、樹高20m、樹幹周り450Cm、樹齢は推定200年とのこと。


こちらは、カヤの木
樹高22m、樹幹周り330Cm、樹齢は推定300年とのこと。


突然Oさんから『この坂見覚えがあるよっ』との声が上がった。
続けてKさんが『そう言えばこんな坂を下ったような気がするねぇ』


すっかり忘れていたが、下っているうちに何となく想い出したような気がした。
2度めの鎌倉権五郎景政物語コース(2011年1月21日)を歩いたときだから、つい2年半前のことである。
歳は取りたくない、と思った。


階段を下ると、コース案内地図に記されているとおり、玉井戸があった。
間違いない、Oさん、Kさんの記憶は正しかった。


道端にカンナの花が咲いていた。
黄色と赤が混じっているのは珍しい。ひときわ鮮やかな色彩を放っていた。


農道
『この前に歩いた時は工事中だったわよねっ』


井ノ岡橋を渡る。
この辺りに来ると、皆さん記憶が甦ってきた。
『そう言えばあの時は仮の橋を渡ったっけなぁ』


橋の両側数百mだけだが、乙戸川の川幅が広くなっていた。
『とてもこれが乙戸川とは思えないよねぇ』


車の通る広い道に出て、ゴールの奥野生涯学習センターを目指す。


この坂を上れば奥野生涯学習センターは、近い。


12時10分、ゴールの奥野生涯学習センターに到着した。


『今日は、何だか疲れちゃったねっ』
気温が上昇して体力を消耗しているのだろう。
また、道に迷って行ったり来たりしたことも少なからず影響しているかも知れない。


整理運動をして、『皆さぁん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』


3度めの鎌倉権五郎景政物語コース挑戦だったが、またしてもヘルスロード完歩とはいかなかった。
二度あることは三度で、三度目の正直とはならなかった。
道を間違ってはいないつもりだったので、井ノ岡神社に辿り着くことができなかったのが不思議でならない。
これは鎌倉権五郎景政の祟りなのだろうか?
(後で調べたら、これは祟りでも何でもなく、井ノ岡神社を目指す時に渡った橋の先を右へ進むべきところを
真直ぐに進んでしまったことが道を間違えた理由だと分かった)
老人に教えて貰ってなんとか浄妙寺には行けたのがせめてもの救いだった。

今回歩いてみて、この日のコースは橋がやたらに多い、という印象である。
地図を見ると、さほど広くない場所(乙戸川とその支流の桂川数Km四方)に架かる橋は、
牛久市だけでも何と18個もあることが分かった。
今日は全部でいくつ橋を歩いて渡っただろうか?
(答えは6つ。それでも1/3しか渡っていないことになる)

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