読んで下さっている方は一部の方をのぞいてタイトルを見て何これ?と思われたでしょう。
これはべつに私の勤め先ではありません。
20年前に私が仲間達と一緒に歌作りをしていたグループの名前なんです。
以前私はmixiのプロフィールの「所属」の欄にこの名前を書いていたのですが、それに気付いていた人も少ないと思います。
この名前の由来はへんてこなものなので、あえて書きません(笑)。
元々は中学2年生の時に友達と替え歌と作り、それを私のエレクトーン演奏でカラオケを作り、それをマイクミキシングしてテープを作ったのが始まりでした。
今考えるとかなりくだらない歌ばかりでしたし、歌詞も差別的な問題も含んでいる内容だったのですが、当時の同級生や先生方にはかなりウケて、3年生時の担任の先生などは進路を決める大事な3者面談で、進路の話もそこそこに「おい、○○(私の本名)。卒業までにオレの歌作れ」と言っていたのを覚えています。
しかし、中学卒業までに第2弾のテープを作ることはできず、高校進学してから活動休止状態になりました。
その後20歳を過ぎてから新メンバーを加えて活動再開することになりました。今度は替え歌でなく作曲も自分達で。
メンバーがそれぞれ詞を書き、それに私ともう一人のメンバーを曲をつけるという形で歌を作っていき、一つのアルバムを作ろうという計画でした。アルバムのタイトルはその中の1曲のタイトルをとり『男の哀歌(おとこのうた)』でした。
どうでもよいかもしれませんが、そのアルバムの曲のタイトルだけをあえて挙げさせてもらうと、
SIDE A
1.かわず小唄
2.SLEEPIN' ON THE RORD
3.鉄ちゃんは今日も行く
4.三四郎
5.小さな攻防戦
6.男の哀歌
SIDE B
7.Junior High School Days
8.絆創膏
9.迷惑な歌
10.ピンポン
11.男だけのクリスマス・イヴ
12.last...
カセットで作る計画になっているのがミソかな? 今は誰でも簡単にCDが作れる時代ですが、当時CD自体は世に出ていたものの、素人がCDを作るなんてことは考えてもみなかったことなので。私達アナログ世代らしくA面B面があり、曲の構成もオープニングからA面の終わり、B面のオープニング~ラスト曲…というCDから音楽に入った世代の人達にはわからない考え方で構成しています(笑)。
で、この計画はどうなったかと言うと、この記事書いてる途中にわかったのですが、同じ内容を5年前にこのブログに書いていました(笑)。
Roland FantomX7 2005年09月04日
5年前にえらそうなこと書いているのですが、結局のところこのシンセは今も自宅にありますが、埃をかぶっております(苦笑)。結局音楽活動は何もしないまま…。
なぜ今さらこんなことを改めて書こうと思ったのか自分でもよくわかりませんが、やっぱり私の中に未完成に終わったこの作品への思いが残っているんですね。かといって今からまた音楽をやる元気も余裕もないんですけどね。
ただ、上記の中学3年生時の担任の先生の言葉に対して応えられなかった悔いは残っています。B面の1曲目の『Junior High School Days』という曲は私達の中学時代のことを歌っている曲なのですが、これがその担任の先生へのアンサーソングのつもりでした。だからこのアルバムが完成したあかつきにはすぐに先生にも送ろうと思っていたのですが、結局それはできずじまい。
所詮自己満足の音楽活動ですから形になってなくてもどうでもよいことなのでしょうけど、ふと何も残せていないことが悲しくなるのでした。
あ~あ、また意味不明な文章を書いてしまいました。
これはべつに私の勤め先ではありません。
20年前に私が仲間達と一緒に歌作りをしていたグループの名前なんです。
以前私はmixiのプロフィールの「所属」の欄にこの名前を書いていたのですが、それに気付いていた人も少ないと思います。
この名前の由来はへんてこなものなので、あえて書きません(笑)。
元々は中学2年生の時に友達と替え歌と作り、それを私のエレクトーン演奏でカラオケを作り、それをマイクミキシングしてテープを作ったのが始まりでした。
今考えるとかなりくだらない歌ばかりでしたし、歌詞も差別的な問題も含んでいる内容だったのですが、当時の同級生や先生方にはかなりウケて、3年生時の担任の先生などは進路を決める大事な3者面談で、進路の話もそこそこに「おい、○○(私の本名)。卒業までにオレの歌作れ」と言っていたのを覚えています。
しかし、中学卒業までに第2弾のテープを作ることはできず、高校進学してから活動休止状態になりました。
その後20歳を過ぎてから新メンバーを加えて活動再開することになりました。今度は替え歌でなく作曲も自分達で。
メンバーがそれぞれ詞を書き、それに私ともう一人のメンバーを曲をつけるという形で歌を作っていき、一つのアルバムを作ろうという計画でした。アルバムのタイトルはその中の1曲のタイトルをとり『男の哀歌(おとこのうた)』でした。
どうでもよいかもしれませんが、そのアルバムの曲のタイトルだけをあえて挙げさせてもらうと、
SIDE A
1.かわず小唄
2.SLEEPIN' ON THE RORD
3.鉄ちゃんは今日も行く
4.三四郎
5.小さな攻防戦
6.男の哀歌
SIDE B
7.Junior High School Days
8.絆創膏
9.迷惑な歌
10.ピンポン
11.男だけのクリスマス・イヴ
12.last...
カセットで作る計画になっているのがミソかな? 今は誰でも簡単にCDが作れる時代ですが、当時CD自体は世に出ていたものの、素人がCDを作るなんてことは考えてもみなかったことなので。私達アナログ世代らしくA面B面があり、曲の構成もオープニングからA面の終わり、B面のオープニング~ラスト曲…というCDから音楽に入った世代の人達にはわからない考え方で構成しています(笑)。
で、この計画はどうなったかと言うと、この記事書いてる途中にわかったのですが、同じ内容を5年前にこのブログに書いていました(笑)。
Roland FantomX7 2005年09月04日
5年前にえらそうなこと書いているのですが、結局のところこのシンセは今も自宅にありますが、埃をかぶっております(苦笑)。結局音楽活動は何もしないまま…。
なぜ今さらこんなことを改めて書こうと思ったのか自分でもよくわかりませんが、やっぱり私の中に未完成に終わったこの作品への思いが残っているんですね。かといって今からまた音楽をやる元気も余裕もないんですけどね。
ただ、上記の中学3年生時の担任の先生の言葉に対して応えられなかった悔いは残っています。B面の1曲目の『Junior High School Days』という曲は私達の中学時代のことを歌っている曲なのですが、これがその担任の先生へのアンサーソングのつもりでした。だからこのアルバムが完成したあかつきにはすぐに先生にも送ろうと思っていたのですが、結局それはできずじまい。
所詮自己満足の音楽活動ですから形になってなくてもどうでもよいことなのでしょうけど、ふと何も残せていないことが悲しくなるのでした。
あ~あ、また意味不明な文章を書いてしまいました。