オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

アンチエイジング

2024年05月13日 | Weblog
「アンチ」とは抵抗のことである。

 年齢は受け入れればいい。年齢に抵抗して戦う必要はない。年齢を考えるのは人間くらいで、数字を発見したばかりに年数を数えることを覚えてしまったが、その数字にあまり意味はない。毎年繰り返される歳に名前を付けて区別しているだけで、一年の繰り返しにそれほどの違いはない。いつも通りの一年を繰り返せることに感謝しなければならない。その繰り返しの中に進歩があり進歩の履歴が自分の人生である。せっかくの進歩を台無しにしてしまっては意味がない。貴重な自分だけの人生である。

アンチエイジングを商売にしている人達がいる。

 その人達に騙されないことである。身体に問題が生じればこれに対応して改善を図るだけで、若さを取り戻すことによって問題がなくなるわけではない。若くても問題を抱えている人はたくさんいる。体にいいことは率先してやったほうがいいが、それはサプリメントや健康器具や美容器具や化粧品や健康食品ではない。普通の生活で節制すればいいことであり、無駄な金を使う必要もない。そしてこれが繰り返されることである。金がなくて貧乏でも乞食でも節度ある生活は可能なのである。

何にでも言えることであるが、

 無駄な金を使う必要はないのである。少々の金は必要だが、必要最小限でいい。必要最小限であっても創意工夫によって好きなことが実現できることに意義がある。楽しむのは自分であって、自分で楽しめれば贅沢は必要ない。贅沢しないと満足できない人は努力の方向が間違っている。そして自分が楽しむことがおろそかになっている。苦労して試行錯誤して創意工夫して一つずつ出来上がってゆく過程を楽しみ出来上がった達成感を味わうのが本来の楽しみであり、金を出してすでにあるものを手に入れてもその時点で楽しみは終わっている。

世の中に対して、「文句ばかり言わないで知恵を出せ」と言いたい。

 政治も経済も会社経営も学校教育も社会生活も自治体もマスコミ報道も世界情勢もその他もろもろである。文句だけでは何も解決しないのである。問題があるなら知恵を出して問題解決に取り組まなければならない。ただ闇雲に努力すれば問題が解決する訳でもない。知恵を出さないと…。そして出した知恵を大事にしないと。諦めてはいけないし、協力者を集めて、自分も賛同できれば誰かの協力者になるのである。

老齢化を嘆くのではなく、

 老いを楽しむのである。人生一度きりであり、老いも若きも貴重な体験である。若さを楽しんだ世代としては老いも楽しまなければならない。嘆いてる暇はないし、嘆いても仕方ない。嘆いている間に貴重な老いが楽しめなくなってしまう。どうしたら楽しめるか?さっきも言ったように知恵を出すのである。金も労力も我慢もいらない。知恵を出すことである。金になるような知恵でなくてもいい。生活の知恵なのである。生活の知恵を発揮する場はそこらへんにいっぱい転がっている。
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