オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

日本国の資源

2012年07月08日 | Weblog
過去に長期に中東に赴任していたことがある。

 久しぶりに日本に帰国して、最初に感動したのは空港からの道すがら見た輝くような目に染み入るようなただの雑草の緑だった。中東は砂漠の地で、緑と言えば人工灌漑で育てられた薄汚れた街路樹の緑しかない。根元に灌漑用のホースを巡らせて貴重な水を定期的に散水してるが、苛酷な暑さには堪えられず、辛うじて枯らさないのが精一杯で、まるでホコリをかぶった造り物の植物ようだ。街全体が土色にくすんでいる。

そんな日本に資源がないと嘆く人がいる。

 日本ほど豊かな国はないと思うのが私の印象である。少なくとも水と緑と温暖な気候と肥沃な大地と海洋資源についてはどこの国にも負けない。生命を維持するためには、贅沢をしなければこれだけで十分である。世界のほとんどの地は、生命を維持できないほどの過酷な環境にある。この国土を大切に守って維持していきたいものである。まだまだ国内にはたくさんの資源が眠っている。特に地底や海洋資源は無尽蔵に思える。日本は海洋国家なのである。

この貴重な資源を守り続けなければならない。

 果たしてそのための努力を日本の国はしているのだろうか?森は荒れ放題、貴重な資源を生み出す里山は乱開発に晒され、農地は高齢者が維持し、地方の農家は疲弊している。漁師も高齢化が進み、大量の乱獲が海を荒らしている。その原因は、自国で努力することを忘れて安易に他国に頼っていることのように思える。しかもその速度は加速しつつあり、さらに効率化のために他国依存を追及しようとしている。

その根本の原因は、資本主義にあるようだ。

 効率と大量生産と利益追求の結果に思える。しかしこれも限界にきている気がする。言い方は悪いが後進国の弱みにつけ込んで先進国の横暴で搾取していただけに見える。いずれ時が経てば破綻するのは目に見えている。そこにいくら注力しても近い将来無駄になるし、国内は空洞化するばかりである。今の時点であるべき姿を見つめて考え方を変えていかねばならない。金儲けだけが全てではないことに目を覚ましてもらいたい。

世の中は「ヒッグス粒子」で沸いているが、

 「ヒッグス粒子」が素粒子の高速の動きを弱めて宇宙の物質を作る役割を果たしたと言うことである。流動性は物を形づくらない。停滞こそが物を生み出す。ゆっくりとした時間が真の価値を紡ぎ出す。そういう意味で、自分中心で周囲の環境を主体にゆったりとしたスローライフを追求したいと思うこの頃であるが、是非日本も大きく舵取りをするべきだと切に思う。もう一度日本国内を見回して埋もれている可能性をもっともっと見出す努力を地道にすべきだと思う。


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