夢発電所

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「臍(へそ)曲がり新佐」藤沢周平著

2012-02-21 13:05:30 | 私の本棚
2月21日(火)

 良い天気です。でも起き掛けの駐車場は、10センチくらいの積雪です。このところ我が家の軒先に吊るしている干し柿を狙うヒヨドリが毎朝姿を見せています。屋根からの落雪ですっかり軒先も見えないくらいにうずたかく雪が壁になっているので、鳥からも見えにくいのにと思っていました。それに網の袋に入れて干しているのですが、そういう状況でよく食べ物があるとわかるものだなと感心しています。

 さて、そんな早朝に藤沢周平著「臍曲がり新佐」(321ページ中132ページ)を半分ほど読み進みました。今朝読んだのは「臍曲がり新佐」と「一顆の瓜」です。

 「臍曲がり新佐」ですが、正式な名前は「治郎新左衛門」といいます。主人公は、窓際族に位置する役職に今は身をやつしています。
 若い頃は戦場を駆けまわって活躍したが、今は閑職の馬印を警衛する役職を与えられ暇な日々を送っているのでした。
 臍曲がりという名がつくのは、それほどの変わり者、偏屈な者ということです。素直ではない、故に藩内では嫌われ者、煙たい存在と皆が思うような58歳の男なのです。その頑なさは、昨日今日のものではありません。しかしそれは嫌味ではあっても、一寸の虫にも五分の魂というような矜持があるのです。出世とか物欲は打ち捨てても、清廉潔白こそを好む武士の中の武士なのです。
 剣術の腕はそれでいて筋があり、大義があれば相手が上司であれ斬り殺す迫力を持ち合わせてもいます。
 娘と二人暮らしの彼には、隣の屋敷に住む若者が娘に対して軽々しい振る舞いで関わろうとするのが日常の気にいらないことの一つとなっています。
 しかしその隣りの若者が粗忽ではあるが、武士としてのぎりぎりの納得できる力を持っていることにやがて新佐は気づきはじめます。
 他人を受け入れるまでの過程には、どうしても距離を感じざるを得ない時期があるのでしょう。一見頼りなさそうな男に見えても、ある出来事の中で発揮するその男の力が際立って見えることもあるのです。

 そのように読み進むうちに、次第にあるときは新佐の立場が理解できたり、そしてまた隣のうつけ者のような若者として見られている若いころの自分の姿にも見えてくるのでした。
 私も婿入りしたときは、おそらくこんな具合に舅姑は見ていたのではないかと思えて懐かしいような気持になっています。
 

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