人もまた、一本の樹ではないだろうか
樹の自己主張が枝を張り出すように
人のそれも
見えない枝を四方に張り出す
身近な者同志、許し合えぬことが多いのは
枝と枝とが深く交差するからだ
それとは知らず いらだって身をよじり
互いに傷つき折れたりもする
しかたのないことだ
枝を張らない自我なんてない
しかも人は、生きるために歩きまわる樹
互いに刃を交えぬ筈がない
「種子について」
---「時」の海を泳ぐ稚魚のように
すらりとした柿の種
人や鳥や獣たちが
柿の実を食べ、種を捨てる
---これは、おそらく「時」の計らい
種子が、かりに
味も香りも良い果肉のようであったなら
貪欲な「現在」の舌を喜ばせ
果肉とともに食いつくされることだろう
「時」はそれを避け
種子には好ましい味を付けなかった
硬い種子---
「現在」の評判や関心から無視され
それ故、流刑に迎合される必要もなく
己を守り
「未来」への芽を
完全に内蔵している種子
人間の歴史にも
同時代の味覚に合わない種子があって
明日をひっそり担っていることが多い
(「感傷旅行」所収)
家に居ながら山で遭難した
ような気分です。