伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

「水俣」を伝えて、いま、子育てされているみなさんへ

2016-01-04 22:24:08 | 出前レポート
平成27年度家庭教育推進事業「こころの育児サロン」

第8回 「水俣との出合い」から学んだもの

会場 座間市役所 会議室

2015年10月23日(金)10時~11時45分




話しに行ったひと●田嶋 いづみ



  子どもたちが親になるとき

出前先としては、異色だったでしょうか…。

いいえ。
いちばん初めに「水俣」のことを伝えに行ったのは、国分寺・矢島助産院のアフターの会、でした。
生まれたばかりの赤ちゃんを抱えたお母さんたちのサロンで、胎児性水俣病の智子さんの話をすると知って、智子さんのお父様が、励ましのお便りをくださったんでした。

いのちをいちばん身近に感じているだろう子育て中の方に伝えるのは、本当に嬉しい。
それに――。
わたしたちの活動も、16年が過ぎて、17年目でしょうか。
活動開始の年に聴いてくれた子どもたちが、お母さんやお父さんになっても不思議じゃなくなりましたもん。

ま、それだけ、わたしたちも歳をとったんですね。
お母さんからお祖母さんへ。
若いお母さんに伝えるとき、やっぱり「子どもたち」に伝えてるみたいな気持ちになりました。



  子育てのただ中からいただいた感想たち

大人であるお母さん方を「子どもたち」扱いにしては失礼でしょうか。

でもね、いただいた感想には、「子どもたち」と変わらない真摯な瞳を感じないではいられなかったんです。

たぶん、ね。
そういう瞳が、子育てには大切なんです。


水俣の子供達が修学旅行先で差別を受けていたというのを聞いてショックでした。自分の出身地も4大公害のうちの1つの都市なので、気付かないうちにそういう差別を受けていたのかな?と思いました。出身地を話すと社会で習ったと言われることが多く。又、病気は大丈夫?と言われる事もあったので、毎度否定したりしていたので、どこか気にしている所があったとも思います。今も未だ、人の体に害があると分かっていながらも、もみ消されている事実があるのではないかと感じています。口の中に入れるものには気を使ってはいますが、知らないうちにとってしまっていると思うと怖いです。今日はありがとうございました。


今日の講座で心に残ることが一杯あります。その中でも一番感じたのは、子どもの気持ちを訴えてくれる言葉として、水俣病で苦しんでも一生懸命生きていきながら「産んでくれてありがとう おれのさびしさにつきあってくれるあなたがいるから安心」という言葉です。怒らずやさしく接することができる言葉だと思います。子どものことを目ではなく、心で見て心で感じるように努力したいと思います


命のつながりの大きさ、大切さを学びました。知る意味、学ぶ意味という言葉がすごく印象に残っています。知らない事で差別をしてしまうことになるというのは、すごく悲しいので勉強になりました。昔のことに考えていましたが、そうではなく、今でも苦しんでいる人がたくさんいることを知り、自分の娘が病気になっていたらと思うと、心が苦しくなりました。命の大切さ、生きることの尊さをこの話を通じ感じました。娘が大きくなった時、この話を伝えていきたいです。ありがとうございました。いじめの対処についても勉強になりました。





 あらためて、傍らにあることを伝えたい


少しでも、子育てされている若いみなさんの応援ができたら嬉しいです。
そんな気持ちで、講座のあとつくられるというまとめ誌に寄稿をさせていただきました。

ちょっと長いけど、転載。応援歌になっているといいんですが・・・。


わたしにとって子育ては、社会と関わり、社会を知る体験でした。
人間が社会的存在であることをナマで実感させられる体験だったのです。

恵まれて5人の子どもを授かりましたが、子どもたちを通じて様々な体験をしました。
5人もいるので、苛める側にも苛められる側にもなったことがあります。
学級崩壊も体験しましたし、受験の失敗も、家出も、逆によそのお子さんの家出保護も、もう本当にいろいろな体験をしましたが、そのどのことも、いま現在の、この暮らしのありよう、社会のありさまと関わっていることだったからです。

ですから、わたしが水俣の人々と出会うのは、必然だったと考えています。

ただ一心に子どもに安全な食べ物をあげたいと探し当てた「無農薬のあまなつ」は、あまなつそのものといっしょに水俣に生きる人たちの生き方を連れてきてくれました。
水俣の方がそう生きるしかなかった社会のありさまを教えてくれました。
そしてなお、そんな社会のなかで自分らしく、人間らしくあること、暮らしがあるのだということを拡げてみせてくれたのでした。

自分の暮らしにつなげ、振り返って子どもたちに向き合ったとき、水俣は「 」付きの「水俣」となって、わたしによりよい生き方を示唆してくれるものとなりました。

<「水俣」を子どもたちに伝えるネットワーク>の16年間に及ぶ活動のなかで、「水俣」の学びは大きく4つのテーマを提示してくれるようになりました。
「いのちの位置」「いのちの歴史」「知り学ぶ意味」「いのちの希望」です。

「いのちの位置」「いのちの歴史」は、子どもたちにどんなに自分のいのちが奇跡であるかを知ってほしくていちばんに伝えていることです。
子どもたちが自分のことを大切に思えないでいるのは、社会がひとりひとりのいのちの価値をないがしろにしているからです。
まず、自分のいのちの尊さに気づいてほしい、子どもたちの自殺なんてあってはならないことだし、自尊感情を持てない子どもたちの存在は社会の責任だと考えます。
子育ての渦中にある方には、現在進行形でいのちの奇跡に立ち合っていることを知ってほしいと思います。

食物連鎖のなかにある人間のいのちは、海や川や山の稀少で貴重なもののかたまりと伝えることで、自分の意志以上に、自然の地球の賜物として存在すると知れば、そんなにやすやすといのちを扱うわけにはいかなくなるはず。

そう伝えるなかで、真剣な瞳で「魚を食べてもいいの?」と訊ねる子どもたちに会います。

いま、わたしは、この問いにひと言でどう答えられるかを探し続けています。
環境はすでにひとりひとりの身体のなかにあります。
そこから魚たちだけ追い出すことはできないのだということを、どう伝えることができるでしょう。
魚たちだけを追い出すことができないなら、「食べない」という個人の選択ではなく、「環境をどう守るか」という社会の選択を視野に入れなくてはなりません。

「知り学ぶ意味」というのは、自分がどんな社会、関係性のなかで生きているかを知ることです。

子どもたちはいつだって無防備にこの社会のありかたにさらされています。
だから、子どもたちが直面する困難の背景には社会の仕組みやあり方があります。
子どもたちは非力でさらされるだけだからこそ、大人たちはその背景まで目を凝らし、受け止めていかなければなりません。
社会に市民的役割を果たしていくことで、子どもたちを守っていくしかないのだと考えています。

16年間、2万人以上に及ぶ子どもたちとの出会いを通じて、小学校に出かける経験を重ねるなかで感じてきた子どもたちの様子の話をもっと具体的にしてさしあげればよかった、と反省しています。

16年間でいちばん子どもたちが子どもらしくないな、と感じた年がありました。
それは、小泉政権のときでした。
郵政民営化にすすむなか、自己責任が取沙汰されるようになって、みんながてんでばらばらに自分のことだけを考えるようになった節目の年だったと振り返っています。
子どもたちのガサガサしたこころが見えてくるような出前活動を体験した年と重なるのです。

「いのちはそのまま希望である」という学びにたどりついたのは、つい去年のことでしかありません。

なかなか意味が見えてこないとき、子どもたちが簡単な言葉でまとめてくれることがあります。
ブーメランのように戻ってきた子どもたちの言葉でハッと気づくという体験を出前活動のなかで何度もしました。
これは、子育てのなかで日々体験することでもあります。
子どもを諭しているつもりで、子どもに諭されるようなこと。

いのちはすでに奇跡です。

いのちの奇跡のなかで生きようとしているわたしも、あなたも、希望を携えているのは当然ではありませんか。

あなたがあなたである限り、奇跡は傍らにあり、何かが始まります。
いま、子育てのただ中にあるみなさんに、そう伝えることができるのなら、こんなにうれしいことはないと、わたしは考えています。

社会的存在であるみなさんは、そして、決してひとりではないのです。
どうか、困ったとき、うつむいてしまうとき、手を伸ばしてみてください。
となりには、必ずだれかがいます。


子育てのなかにあるみなさん、フレーフレーッ!



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