伝えるネットねこレポート

「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログ。
首都圏窓口の田嶋いづみ(相模原市在住)が担当してます。

恵泉女学園大学へ出前

2010-12-25 17:37:12 | 出前レポート
女子大だから、伝えたかったこと
~ 恵泉女学園大学に出前してきました ~


2010年12月20日 11:00~12:30
ボランティア入門 川村研二先生の講座



 ついつい油断して、ごめんなさい

連日の出前ということで、前日の「グローブ日本」でゲットしたボランティア・竹下青年を頼りに、ややお疲れ気味で準備したのが、そもそもの失敗。

また、やってしまいました。道順もわかっているつもりで、ついつい所要時間も短めにみちゃったんですね。年末だというのに。

かくて、授業開始ギリギリに到着。バタバタと話し始めることになってしまったのです。


それに、ゲットした竹下青年は、つい最近、水俣現地で「ほっとはうす」のみなさんと交流してきたばかり。そのときのことを是非話してもらいたい。

それに、去年、同じく川村先生のところで出前させてもらって、そのことをキッカケに、今年2月の相模大野での写真展『水俣を見た7人の写真家たち』にボランティア参加してくれた学生さんが出てきたこともあるし、その写真展の報告をして、「ボランティア入門」に触れた話もさせてもらいたい。


などなど、と、ついつい盛り込んで、スライドを動かしていたので、このギリギリに到着したことのダメージがそこにまで響いてしまったのです。

だから、とにかく、ごめんなさい。


 女性だからこそ知っておきたい、身体の内側にある環境


盛りだくさんで用意してきたしまった上に(伝えたいことを欲張るといけない、と、常々意識しようとしているのですが・・・)、女子大だからこそ、子どもを生む性として「水俣」の学びに触れてもらえたら、という思いも強くありました。

いのちの誕生が卵子と精子の出会いから始まるとして、女性の体内にある卵子は、そのいのちの誕生と共に体内に用意されます。つまり、自分の生むいのちは、自分の親の体内で生まれてくるのです。私は、私のいのちを、子世代のいのちともに刻むことになるのです。逆に、私は、子どもを孕むとき、その子が娘であるなら、孫のいのちをいっしょに孕むわけです。

いのちのつながりをそのままに生きていく性として、身体の内側の環境は外側の環境のそのままであるなら、それがいのちを継いでいくということなら、誰もが環境のために、次世代のいのちのために考えなければなりません。

そのことを最も意識する性でありたい。そう願います。


こんなことを話して脱線していたので、この日、肝心の患者さんの言葉、杉本栄子さんのメッセージのことなどを伝えることができませんでした。




 チッソ分社化に触れないではいられない訳


もうひとつ。

ついつい話が長くなってしまったのは、チッソの分社化に触れないではいられなかったからです。

12月15日、環境省はチッソの分社化の申請について認可を出しました。この認可によって、チッソは液晶部門などの採算部門を独立した会社とし、チッソ自体は被害者救済の補償会社となります。速やかに補償を終えたら、役目を終えたとしてなくなるのです。

いったい、補償の完了というのは、いつまでのことを言うのか。

今まで、一度も、主体的に住民の被害調査を行ってこなかったチッソが言う「被害者救済の完了」とは何のことなのでしょうか。


救済も補償も、とてもわかりにくいことです。水俣病の認定にしても、国の制度にかかわることは、とても理解することが難しい事柄です。

難しいけれど、実は、簡単なことでもあります。

水俣病によって健康被害を受けた人たちは、くらしそのものを奪われたのです。夢描いた職業に就けなかった人もいるでしょう。人生を奪われたわけです。

人生を奪われた人たちへの救済はひとつ。「ああ、生きていて良かった」と思えることではないでしょうか。


さて、私たちは、どういうとき、どうなれば、「生きていて良かった」と思えるでしょうか。


ついつい言葉多く伝えて、時間切れになってしまいました。反省ですね。

帰りがけ、川村先生に、触れて欲しいと思っていた、と言っていただいたのが少し慰めになりました。


 川村先生からいただいた感想


出前のあと落ち込んでいたら、追いかけるように川村先生からお礼メールが届きました。

いえいえ、恐縮です。以下、その一部をご紹介。


学生の感想をお送りします。

「水俣病の認定基準」について質問している学生がいますが、国が頑なに認定基準を変えようとしないことについて、次回の授業で、少し補足する予定です。


あらためて思います。環境省幹部たちが「悪意」を持っているのではなく、いわゆる「救済策」に真剣に取り組んでいるであろうこと。しかしながら、政治的圧力などいかんともしがたい状況があるであろうこと、はわからないではないですが、結果として、水俣という小さな地域の中に、深い亀裂を生み出してしまう構造は、いつまでたっても変わらないのでしょう。正義を求め続けるのは、正しいけれど辛い。「救済の手」を受け入れることは一時、生活を改善するかもしれないけれど、新たな不安を抱えることになるのかと思います。

そして、認定されている患者さんたちの将来を危うくすることになりはしないかと、「業」の深い法律のもとで「救済」が進むことに、どのように対処したら良いのか、わからずにいます。


ただ、今回、田嶋さんに来ていただいて、少しわかって来たことがあるとすれば、学生たちにもっともっと、判断のための情報を出し続けることの重要さです。


特措法、分社化について「知らなかった」「理解が不足していた」のは学生だけに問題があるのではなく、伝えるべき人間がその役割を果たしていないこと、それは、教員を職とする自分の問題ですし、マスメディアやジャーナリズムの責任でもあるでしょう。

伝え続けることの大事さを、今年ほど強く感じたことはありません。


 最後に

恵泉の学生のみなさん、真剣な表情で目をまっすぐにして話を聞いてくださってありがとうございました。

なかでも、貴女。清々しい表情で顔をまっすぐに向けてくださった貴女から、眼を離すことができませんでした。話すことは拙くても、貴女にまっすぐと応えたい、そう願って話しつづけるかっこうになりました。

あまり、見つめ返しては、気詰まりではないかと、向きを変えたりしてみましたが、貴女は、全くそんなことを気になさるそぶりも見せずに、向き合ってくださっていました。

そんな瞳に出会うと、勇気をもらいます。

貴女に感謝を捧げて報告を終えます。ありがとう。

第6回「グローブ日本 生徒の集い」

2010-12-24 19:09:21 | 出前レポート
パネルシアターを披露して出前
~ 小学生から高校生まで異年齢の子どもたちと ~


2010年12月19日 9:00~10:45AM 
国立オリンピック記念青少年総合センター


第6回「グローブ日本 生徒の集い」3日目
環境学習体験プログラム:『水俣』を通して私たちの生き方を考える



 GLOBEプログラムへ出前授業


GLOBE (Global Learning and Observations to Benefit the Environment)は、学校を基礎とした国際的な環境教育のプログラムです。※

もともとは、アメリカのゴア副大統領によって提唱されたものらしいのですが、その内容については、今回初めて知るところでした。

小学校から高等学校までの全国20校(第6期)が指定されており、中央センターが東京学芸大学教育学部附属環境教育実践施設内に置かれているそうです。

今回、何回か出前させていただいている埼玉大学の安藤先生からつながって、学芸大の原子先生から「生徒の集い」への出前授業のお誘いをいただきました。


私たちは、環境問題を自分の生き方を問うという課題だと捉えています。それも、市民の立場で、くらしのなかからのアプローチとして。

そんな私たちが、どうGLOBEに出前できるか不安がよぎりましたが、その側面こそ期待する内容と、原子先生が言ってくださったのを支えとさせていただきました。


 パネルシアター、もたついてゴメンナサイ!


小学生から高校生まで、地域も、北海道、岐阜、滋賀、埼玉と年齢も地域も異なる子どもたちがひとつの教室に集まってくれました。

異年齢であることも、地域が異なることにも、不安はありませんでした。これまでも、大学生にも小学生にも伝えてきて、それを鷲づかみする力を疑ったことなど、一度もなかったからです。

「水俣」の「   」は、いつでも、どこでも、を表しているのですしね。


この日は、原子先生からのリクエストもあって、パネルシアターを導入として演じさせていただきました。

演目は『みなまた あまなつものがたり』。 水俣で起きたことを、あまなつをひとつの視点としてまとめた私たちの手づくり作品です。

当日、ボランティアとして参加されていた学生さんに朗読をお願いして演じたのですが、充分な準備ができず、ポイントも忘れていて、パネルに置いていくのに遅かったり、早かったり・・・。とても、上手に、という訳にはいきませんでした。でも、海の幸のオブジェは、それなりに印象に残ってくれたみたい。(だと、いいのですが・・・)



「パネルシアターを見たい」と言ってくださった原子先生のおかげで、久々にパネルを取り出し、演じる機会となりました。素材として面白いし、活用できそうと、ボランティアの竹下さんにも言ってもらえました。

今後の活用や、新しい作品づくりや、絵本化などを取り組みたい、という気持ちも久々にわきおこり、貴重な機会になったと思います。


 知らなかった水俣から、「水俣」へ


小学6年生の参加者二人は、水俣病のことを初めて聞いたみたいでした。中学生の少年も高校生の少女も、4大公害病としての名前として知っているようでした。

私だって、伝えるネットの活動を始めるちょっと前から知ったのですから、不思議はありません。


全員で10人足らずの部屋で写真に囲まれて水俣の事実をだどる時間は、普段の出前とは違い、ゆったりと行うことができたような気がします。

最後の質問タイムで、まだ、救われないでいる被害者のことをどう考えていけばいいか、大きな課題に触れることになりました。

その課題は、あまりに大きく、水俣のことを知り始めた私たちにとっては、胸がふさがるばかりです。被害者の実態もわからないままなのですから。


しかし、子どもたちと「水俣」と向き合うとき、やはり、それは未来に何かできるはずという確信と、人間への信頼という希望がポイントであると思います。

南大野小学校では紹介できなかった宇井純先生の「たったひとつでいい、そういう選択ができるなら、きっと変わるはず」という言葉を、この日忘れずに伝えることができました。

胎児性水俣病の智子さんのメッセージに思いを馳せることも子どもたちとともにできたと思っています。

私は、真剣に聞いてくれていた子どもたちを未来の希望だと思っています。


水俣病資料館にも展示されている桑原史成さんが撮影された
胎児性水俣病の智子さんとお父さんが微笑み合う写真を紹介している場面です。

二人の笑顔が見せてくれる希望を胸に刻みたいですね。



GLOBE (Global Learning and Observations to Benefit the Environment)
環境のための地球学習観測プログラム 詳しくは以下のサイトへ。
http://www.fsifee.u-gakugei.ac.jp/globe/about/index.html


「はやぶさ」浜松へ

2010-12-18 06:35:42 | その他
おかえり「はやぶさ」帰還カプセル特別展示 in 浜松

浜松のモグタンさんが相模原にやってきて、「はやぶさ」をお土産に持ち帰ったのか、12月17日から19日まで、アクトシティ浜松展示イベントホールにて、おかえり「はやぶさ」帰還カプセルの特別展示 i n浜松が開催中です。スゴイ。

18日は9:30~20:00、最終日は17:00まで。入場料は200円です。


同時開催で「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH」ノーカット版(星空解説なし)が浜松科学館で上映されます。これは感動します。お勧めです

各日、11時、13時、15時から。

大人900円、高校生500円、3歳~中学生100円。


いずれも詳細、問い合わせは、浜松科学館のホームページをご覧下さい。

浜松科学館

住所:静岡県浜松市中区北寺島町256番地の3
電話:053-454-0178、ファックス:053-454-0184


 浜松科学館のホームページへ

 
おかえり「はやぶさ」帰還カプセル特別展示 in 浜松 詳細はこちらへ

 
「HAYABUSA -BACK TO THE EARTH」ノーカット版 上映へ

浜松モグタン さがみはらで大活躍

2010-12-15 08:41:16 | その他
浜松モグタン、さがみはらで大活躍
~ プラネタリウム映画『ハヤブサ』音声ガイド付き上映会 ~


2010年12月12日

相模原市立博物館&
JAXA相模原キャンパス


 浜松のモグタンと伝えるネットのえにし


浜松のモグタンは、私たちの大切な友人です。


伝えるネット・浜松窓口は設立当初から、いえ、設立以前の1999年開催<水俣・浜松展>のころから、浜松で視覚障がい者と彼らをサポートしている「NPO法人 六星」のみなさんの支援とアドバイスをいただいてきました。

「水俣」の学びを地域おける「まちづくり」と位置づけるようになったことにも、彼らとの交流が大きな示唆になったと思っています。

<写真展 水俣を見た7人の写真家たち>の豊橋、浜松、さがみはら連続開催活動の中で、バリアフリー展示にたどり着けたのも、彼らとの友情があればこそ、であります。


うん、そうなの。ただの市民が活動していくって、こういう経過のなかで展開していくんだと思う。だから、市民も育っていけるっていうか・・・。

 
浜松のモグタンは視覚障がいというハンディをものともせず、私たちの催しを訪ねてくれるばかりでなく、さがみはらでの『チョコラ!』上映会には、ブレーンとして私たちにアドバイスを与えてくれました。

相模原南市民ホールでの音声ガイド上映会に駆けつけてくれて、私たちが手配したガイドを振り切って帰途についたという武勇伝をもつ青年であります。


 モグタンの熱意がさがみはらに届いた!


モグタンの好奇心、とどまることを知らず、甲府プラネタリウムの高橋真理子さんを訪ねたり、今年の大きな話題を提供した「ハヤブサ」の帰還を描いた全天周映画の音声ガイド付き上映会を自ら企画するという行動力を見せてくれていました。

そしたら、当然、企画はさがみはらにつながります。宇宙航空開発研究機構=JAXAは、相模原市に位置しているからです。しかも、JAXAのお向かいは市立博物館、博物館にはプラネタリウムがあるのです。

いやいや、地元・さがみはら市民である私たちが企画できなかったことを恥じ入るばかり。浜松から音声ガイド上映のための発信機を持参してもらったりして・・・。相模原市の視聴覚ライブラリには、ちゃんとミニFM発信機があったのに、その活用機会も見送ることになってしまって・・・。

逆に、浜松からお誘いいただいて、JAXAに初めて見学にむかったのであります。

浜松のモグタン発信で、JAXA見学と、『ハヤブサ』音声ガイド付き上映会がセット企画として、バリアフリー映画鑑賞推進団体「シティライツ」のメーリングリストに、催し案内が告知されて、当日を迎えたのでした。


写真は「ハヤブサ」を打ち上げたM-V型ロケットのモデル
とそれに触れて見学する参加者のみなさん



ガイドとして参加してくださった静岡大学の秡川友宏先生
秡川先生の持参したハヤブサの模型に触れて確かめる視覚障がいの参加者



 街の中で企画していく市民力を求めて


いやぁ、全天周映画なるものを初体験しました。仰向けで見る姿勢は妙に心地よかったのですが、迫力で迫る地球の映像に船酔いの気分になりつつ見終えました。

音声ガイドは、どちらかというと少なめ。本編のナレーションと混同しそうになるぐらい自然なガイドでありました。


映像の音声ガイドの受け止めは、本当に、千差万別です。いろいろな考え方があり、いろいろなアプローチがあります。

良し悪しは問いたくありません。映画鑑賞をともに生きる人たちとともに、障がいの有無を越えて共有していこうとすることそのものが貴いと思うからです。

「見える」ということが多様に展開していくことは、さまざまな眼を開くものだからです。


だからといって、検証や研鑽が必要ないわけではありません。

そのためにも、多様なアプローチ、企画が必要な気がします。

この街にくらす私たちが、この街の施設を利用しながら、この街でつながっていく企画を考えていきましょう。


それは、浜松のモグタンが教えてくれたことです。


そして・・・。

この日、大活躍だったのは、さがみはらの三人の少女たち。

視覚障がいのみなさんのガイドを、おずおずと、やがて生き生きと取り組んでいる姿は、とてもさわやかな印象を残してくれたのでありました。


 プラネタリウム「ハヤブサ」上映会は 相模原市立博物館へ

 
シティライツさんのホームページへ

 
NPO法人六星さんの活動紹介(浜松NPOネットワークセンターHPより)

相模原市立南大野小学校へ12回目の出前授業

2010-12-10 00:23:37 | 出前レポート
12年目、12回目の出前授業 ~ わが校区の小学校への出前活動 ~


2010年12月8日 3,4校時
相模原市立南大野小学校 5年生3クラス



 活動開始以後に生まれた子どもたち

我が家の子どもたちが通った小学校への出前授業は、私にとって特別なものです。そもそもの活動の発意は、近所で見かける子どもたち、道ですれ違う子どもたちに「水俣」のことを伝えたい―というものだったからです。


末っ子が卒業して3年。もう知っている先生方も数えるほどになった我が子の母校に久々にでかけました。

写真を視聴覚室いっぱいに並べると、子どもたちは3時限前の休み時間から入ってくれました。「20分休みがつぶれちゃってイヤじゃない?」と子どもたちに声をかけると、「水俣の話を聞くのを楽しみにしていたから、そんなことないよ」と、少年の答え。

早めに入ってくれた子どもたちのおかげで、余裕をもって始めることができました。


冒頭、私たちの紹介をしてくれた先生が「この学校に12年前からお話に来てくれている。みんなが生まれる前からですね」と言われました。

なんか、改めて、気づきました。

小学校5年生といえば11歳。目の前にいる子どもたちが生まれる前から、南大野小学校に「水俣」を伝えに来てるんだぁ・・・。


12年間というのは、「水俣」を伝える話のなかで、その長さを子どもたちに感じてもらうようにしている時間の長さです。

幼い姉妹が水俣病を発病して、水俣市保健所に「奇病発生」の届出がなされてから、12年後にならなければ、国は、その被害を「チッソによる公害病」と認定しなかったからです。チッソは、原因を知っていながら廃水を流しつづけ、被害を拡大させました。「沈黙の12年」と言われることもある事実です。

その12年の長さを子どもたちに想像してもらうのです。


私たちの活動暦12年間は、あっという間のように思えます。

この12年間に水俣病被害者に何ができたろうか、と思えば、遅々たるものです。





それでも、目の前にいる子どもたちは、生まれてきて、こんなに眼を丸くさせながら話を聞こうとしてくれる。子どもたちの持っている「いのち」の重さが12年目、12回目のつたない出前授業を支えてくれたのでした。


 水俣から届いた早もぎの甘夏という助っ人

この日の出前授業を支えてくれたいちばんは子どもたちの瞳ですが、そのほか、さまざまな助っ人を得ることができました。


私たちが水俣の事実や人々と出会ったきっかけとなった甘夏の話は、私たちが大事にしているエピソードです。それで、実物の甘夏を見てもらえるように、水俣・ガイヤからこの日のために早もぎの甘夏を送ってもらったのです。

甘夏は、青々とした葉っぱをつけたまま送られてきました。甘夏出荷用のダンボールに入れられて。本来、甘夏は年越しの2月、3月に出荷なのですから、特別の配慮をいただいたわけです。
ガイヤのみなさん、南大野の子どもたちに見てもらえましたよ。ありがとう!


もうひとりの助っ人は、竹下さん。國学院大学での出前をのぞきに来てくれた彼は、その後、水俣に足を運び、この日の出前では、現地「ほっとはうす」で胎児性患者さんたちと出会った感想を披露してくれました。

竹下さんには、2月の写真展活動のなかで生まれた群詩『朽ちない言葉の網』の朗読もしていただきました。竹下さん、ありがとうね。


群詩『朽ちない言葉の網』を朗読する竹下さん(右端)



 認定申請者が減ったかわりの36,317人の数字

この日の子どもたちもとても熱心に話しに聞き入ってくれました。特に、2004年の最高裁判決―被害者救済の遅れの責任を国と県にもあり、とした判決以後、一年一年と現在に近づいていくごとに増えていく水俣病認定申請者の人数の変化に、声を挙げて驚くのでした。

そして、2010年7月31日、ついに水俣病認定申請者が8000人を越えて、その数字が10月31日現在になると5000人台に減少して、子どもたちは、やっとほっとしたかに見えました。


しかし、それは、決して被害者が救われて減ったわけではないことをもうひとつの数字が教えていました。

昨年7月に成立した水俣病被害者救済特別措置法による一時金給付申請者と医療手帳交付申請者の総数は、同じ10月31日現在36,317名にのぼるからです。

特措法が水俣病申請を断念する被害者を生み、遅々として進まない水俣病認定審査よりは、せめて医療費を願うように被害者を追いやっているのです。


事実を知れば、私たちは、差別やイジメをしないですむ・・・・。

そう語りかけて、子どもたちに公式確認以来の事実をいっしょにたどるとき、数字は、いろいろなことを教えてくれるのです。


 子どもたちからの問いかけを抱えて

沈んで考え込む子どもたちへの話しかけは、なおも前向きに生きていく患者さんたちの姿で締めくくります。

竹下さんが「ほっとはうすで胎児性の患者さんと会って、元気をもらった」と付け加えてくださいました。


広島、長崎、水俣病、カネミ油症―日本には、人類初の体験があります。

最後には、つい先日の12月4日に参加した国際水銀シンポジウムのことを話しました。高校生の男の子が「何ができるだろうか」と質問したことを、です。


同じように、南大野小の子どもたちが質問しました。

「ぼくたちは、社会に対してどうしていけばいいのですか?」

「田嶋さんは、水俣の人たちのためにどうしていくつもりですか?」


この問いを抱えるからこそ、私は、「水俣」を伝える出前に出かけます。


私は私のくらしを変えていくことから始めたいと思っています。

たとえば―。

私たちは、2月に「水俣」を伝える写真展をしました。写真展をするなかで、視覚に障がいのある人たちといっしょに写真を見たり、映画を見たりすることを知りました。いろいろな立場の人たちに思いを馳せ、一緒に感じたり考えたりすることが、私ができることではないかと思っています。

水俣病の始まりは、工場で働いている人たちからだったと思います。

働いている人が、これはおかしい、と、感じたとき、そのことを言い出せる社会であったら、そんなことを言い出す人がいて、その言い分に耳を傾ける人がいたのなら、社会は変わっていく、そう思いませんか?


あの時、質問した少年に、宇井純先生がかつて講演のなかで口にし、その葬儀のとき参会者に配られた言葉を教えてあげればよかった・・・・
かわりに、宇井先生の言葉を伝えるスライドを貼っておきます。