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「水俣」を子どもたちに伝えるネットワークのブログです

避難生活者の証言に浮かび上がる「水俣」の意味

2016-01-24 10:04:24 | 会員レポート
1月23日、どんより冬曇りの土曜日の午後、
シバタさんの証言を聴きに行ってきました!






たまには、アップデートなことを書きます。
(昨年度中の出前の報告が2件残っているうちに、今年の出前も1件終了。
イベントも次々と入ってきておりますが…)



  信じられないようなホントのはなし

証言を聴かなくてはいけない、と思うのは、自分の想像力のなかではあり得ないと思う事実に触れることができるからです。
信じられないけれど、事実だと受け入れることで、自分の考えを組み直す。
そのことが大切だと思うからです。

たとえば――
水俣病の発生原因がチッソ自身の手(正確には、チッソに雇われていたお医者さんの手)によって、わかってから9年間、患者発生が水俣保健所に届けられてから12年間も放置されていたこと。
わたし、文字で読んで公害認定の「1968年」の文字が誤植だと思って、あるいは、原因のアセトアルデヒド工程の操業停止年度が「1968年5月」という文字が信じられなくて、何度も何度も確かめ、複数の記述を確かめました。
だって、あり得ないでしょ。人が死んでいってるのに、放置、って。

事実。そう確かめて、社会を、周りを見る目が変わりました。



同じように――。
請戸の浜で、津波に車のなかに閉じ込められたひとがクラクションで生存を伝えているのに、原発事故の放射能のために救助に行けなかったことを信じられませんでした。

初めてそのことを聞いたときの女性の証言を、「まさか」と信じませんでした。
ツイキャスで聴いて、興奮気味に語る女性の甲高い声のリアルを受け止められなかったんです。
それが、映画『日本と原発』のなかで語られていたので、あぁホントなのか、と事実として受け止め始めました。



マイクを持つのは、このまちに自主避難されてときどき出前授業にも同行してくださる鹿目さん。
鹿目さんからのご縁で浪江町のシバタさん(テーブルの前)の証言を聴く会が持たれました。



そして、このまちの、自転車で行けるところにある公民館でシバタさんの証言のなかで、当然の事実として触れられて、ようやく、その事実がもたらす悲惨と心の痛みに胸が締め付けられる思いがしました。
救いを求めるクラクションの音が聞こえてきました。
クラクションを鳴らしながら、捨てられていくいのちの苦しみに思いを馳せました。自分だったら、と。

その思いのなかで、事実を受け入れ、社会を見る眼を変える努力が始まります。
本当に遅くてごめんなさい。
5年たって、ようやく、原発避難者をひとりのままにさせてはならない、わたしができる努力の端緒につきました。





  壊されたのは、健康だけではない


シバタさんの失くしたもの。
先祖が開拓した土地。ローンの残る家。誇りある職場。山ブルベリーの手づくりのジャム。豊富に撮れたキノコ。そのキノコでつくる炊き込みご飯。息子の愛車。老親の生きがいと健康。ふるさとの祭り。


そうだよ。水俣病事件が奪ったものは、健康な身体だけではない、って。
暮らしが奪われ、地域が奪われ、培ってきた文化が奪われ、積み重ねられてきたひとりひとりの歴史が奪われた、って。


昨年実施された国政調査の結果を伝える新聞報道。浪江町の「0」が読める。


もっと知らなければ。
わたしたちこそがそのことを知ろうとしなければ。

シバタさんのお嬢さんが「放射能」と呼ばれて2年間も学校に行けなくなるようなことを起こさせないために。
怖くて、迷うなら、さらに事実を知ろうとしなければ。
そして、教えてくれるのは、先駆けて当事者となったシバタさんたち。

たまたま病院入院加療中のお父様を迎えにいくと、放射能が入るからと、玄関の自動扉すら開けてくれずに家族を追い返した病院。
そのくせ、もう大丈夫と判断されて、体育館の床に寝かされままの父親を捜しに捜して見つけたこと。

原発受入れの大熊町・双葉町に対し、ずっと原発受入れを拒んできた浪江町の住人をバスは乗せようとしてくれなかったこと。
説明会の会場でも、浪江町の住人の質問を受け入れようとしなかったこと。
「いつ帰れるか?」の質問に「う~ん、100年以上かな…」とつぶやくように答えた環境省の役人が隣の役人からあわてるように止められたこと。

ひとつひとつのエピソードに大切に耳を傾けなければ。



  「国はなにもしてくれないからね」のオバサンの声


シバタさんが「国はなにもしてくれない」と何度も何度も繰り返すたび、オバサンの声が耳によみがえりました。

川崎に住んでいた水俣病患者の大村トミエさん。
トミエさんには、「水俣」を伝える出前にしばしば付き合っていただきました。
(トミエさんの証言映像みられます。→こちら

トミエさんに「子どもたちにいちばん伝えたいことを言って」と水を向けると、こう言われたのでした。
「国は、な~んもしてくれないよ」って。


今年1月9,10日の水俣病事件研究交流集会に参加して改めて考えたこと――。
高岡滋医師の水俣病の症状における「こむらがえり」の指摘。
「こむらがえり」は自己認識できる症状として有意であるのに、本人申告による事柄は取り上げられないこと。

本人の言うことは、聞かないのです。
本人にしか言えないことは、制度のまえにシャット・アウトなのです。

この国はそういうことを当然とするシステムによって成り立っている。

わたしたちは、そういうシステムを良しとしてきたのです。
国もシステムも、わたしたちがつくるものなのだから。



シバタさんの証言によって「水俣」の意味が底から湧きあがってくるような思いに打たれました。


(報告:首都圏窓口 田嶋いづみ)
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