すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

ドムラ(続)

2017-08-02 20:00:28 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 話が細切れになるが、このごろ長い文章が書けない。暑いからさらに書けない。このブログは優先順位から言って、家事、健康を維持するための運動、休憩、楽器の練習、の次になるので、なかなか書けない。まあ、仕方がない。一気に書いた方が、自分が考えをまとめるためにはベターなのだが(そのために書いているのだが)。

 フラマンにたどり着いて良かったことのもう一つ大きなことは、左手の手元を見ないで済むことだ。
 楽器を弾くときに弾いている手元を見てはいけない。もちろん初心者は見なければ弾けないが、できるだけ早く、見ないで弾くことに慣れなければならない。
 手元を見なければならないと、楽譜を見ることができないし、アンサンブルの時に指揮者やリーダーの出す合図を見ることもできない。
 ところがドムラでは、これがなかなか難しい。
 ドムラは完全四度に調弦した弦3本なので、手を上下にスライドさせずに小指まで弾ける範囲は、ミからラまでの一オクターブ半弱でしかない。
 マンドリンは完全五度の4弦だから、ソから上のシまでの二オクターブと一音になる。
 この違いは、非常に大きい。

 話がそれるが、ギターやウクレレなど、棹に音程の区切りの横棒(フレット)のある楽器の方が、ヴァイオリンや三味線などそれがない楽器よりは易しい、と思っている人が多いのではないだろうか。
 そんなことはない。
 ヴァイオリンや三味線はどこを押さえても音は出る。音程が外れて耳障りなだけだ。この耳障りは、人によって許容範囲が違う。
 日本民謡(唄)を少しだけ習ったことがあるが、師匠が弾いてくれる伴奏の三味線の音は、西洋音楽になれた耳には、かなり狂って聞こえる。日本民謡ってそういうもの、なのかもしれないが、かなり気になる。不快にさえ感じることも少なくない(だから、やめた)。
 フレットのある楽器では、押さえる位置がずれたら音が割れる。あるいは、音が出ない。
 ドムラでは、1ミリずれたら音は出ない。
(さらに、少しだけ、続く)
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