すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

クリス・シーリーのバッハ

2020-05-25 21:22:15 | 音楽の楽しみー楽器を弾く
 ここのところ、クリス・シーリーの演奏するバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」というCDに嵌まっている。
 クリス・シーリーという名前は聞いたことがない人が多いかもしれないが、アメリカのブルーグラス音楽というジャンルのフラットマンドリン(以下、フラット)の奏者だ。ぼくはブルーグラスに詳しくないが、世界一の奏者だそうだ。
 だからヴァイオリンではなく、バッハをフラットで弾いている。ぼく自身フラットの練習を独学でしているが(ちっとも上手くならないのだが)、こんなに美しい音のする楽器だったなんて、知らなかった。びっくりした。何度も、ロシアのドムラやイタリアのマンドリン(以下、ラウンド)に比べてやや頼りない音色の楽器だな、と感じていた。目が覚める思いがしたた。この発見だけでも、とても嬉しかった。
 このCDをほぼ毎日聴いている。夜寝るときも、枕もとの小型スピーカーで小さい音でかけている。今までは入眠時に聴くのはもっぱらせせらぎの音だったのだが。これはせせらぎの音と同じくらい、あるいはそれ以上に、ゆっくりとくつろいで安心して眠りにつける。やわらかな悲しみの響きが感じられるのが、せせらぎの音よりもいっそうぼくの気にいったのかもしれない。
 こんなに一つの音楽に嵌まったのは、若い頃繰り返し聞いた、ミッシェル・ベロフの演奏するオリヴィエ・メシアンのピアノ曲「幼児イエズスに注ぐ20のまなざし」以来だろう。
 
 さて、ぼくは残念ながら、音楽を聴いて語る言葉を持たない。この演奏のどこがどう素晴らしいかを分析する能力を持たない。だから、心地よい、とか、感動的だ、とかというようなことしか書けない。そういうことを少しだけ書こう。
 (ぼくは、ヴァイオリンという楽器にあまり心を惹かれない。ピアノソナタや協奏曲は聴くけど、ヴァイオリンのそれは聴かない。ヴァイオリンは、過剰に思える。表現力過剰、感情過剰。だからこのバッハも原曲を聴いていない。)

 マンドリンはピックで弾くから持続音が出せない。持続音の代わりにトレモロで弾く、というのが常識だが、ここではトレモロは使われていない(もともと、ブルーグラスではラウンドと違ってトレモロを多用しない。持ち味は速弾きだ)。
 演奏が始まると、いくらかくぐもったような、古風な音色に驚く。ドムラやラウンドのようには完全には澄み切らない、すこしかすれたような音。それがいっそう、古い昔のなつかしい憂いを新しく心に沁み入らせる。そう、これはバッハよりさらに前の、エリザベス朝のイギリスのような音楽だ。ジョン・ダウランドのリュート歌曲に近いかもしれない。
 そういえば、ダウランドのリュート歌曲も、若い頃に嵌まった。シーリーのフラットの演奏はマンドリンではなくリュートの音色を現代に蘇らせたようだ。
 それにしても、ものすごいテクニックだ。CDのタイトルに「超絶のマンドリン」とあるがその通りだ。超高速の左手の動きもすごいし、右手によるダイナミズムのコントロールもすごい。とくに、通奏低音に当たるものを弾きながらの高音のものすごい高速のパッセージ。複数弦を一緒に弾くのは、マンドリンはそもそも複弦だから例えば二つの弦なら一回のストロークで4本の弦を横断しなければならず、弓で同時に音が出せるヴァイオリンよりも場合によっては難しいのではないだろうか。
 持続音が出せない楽器でヴァイオリンのための曲を弾いてしかもそれが感動的でありうるためには、頭を切り替えてまったく別の表現を成立させなければならない。この演奏はそれに見事に成功している。

追記:クリス・シーリーは「パンチ・ブラザーズ」という名の5人組のバンド活動を主にしている。フラットとギターとベースとバンジョーとフィドル(ヴァイオリン)のバンドで、彼はリーダーであり、リードボーカルも担当している。でもそのサウンドは(声も)ぼくには残念ながら全然ピンと来ない。シーリーに興味を持っても、お間違えになりませんように。

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