にゃんちくる!

だいたいまんまと猫

1月1日 / 豚キムチ

2015年01月29日 | まんま

・豚キムチ*
・鶏の照り焼きサラダ*
・ツナと大根のマヨ和え
・しじみの味噌汁

お正月のごはんです。
新年早々少しパンチのあるものが食べたくなった。

豚キムチ

辛いキムチでビールを呑みながら。
さらに、お正月にかこつけて日本酒もたくさん呑んだので、しじみ汁も飲んどいた。

お正月用に鶏の照り焼きをたくさん作って実家に届けたんだが、自分ちにも少し。

サラダ仕立てにした。


ちよの介護のこと

2015年01月23日 | にゃんち
ちよさんの病気は癌だったので、あらゆるケアが必要になった。
それがちよさんにとってよかったのかどうかはわからないが、
飼い主であるわたしがいかに快適にケアできるかってことでもある。

まず工夫が必要になったのはごはんで、
口の中が腫れていたので、舐めて食べられる柔らかいフードが必要になってきた。
すでにペーストやスープになっているフードも売っているけど
やっぱりそれはちょっと割高になってくるし、しかもちよさんはそういったフードをあまり好まなかった。
で、私はちよの好みのフードをプロセッサーにかけてペーストにして与えたのだが
これはよく食べてくれた。

うちにプロセッサーがあって本当によかったと思った。

洗いやすいし便利。毎日のように使った。
人間用のお料理にももっと活用しようと思った。

顔の腫瘍が大きくなってきて、掻いて血だらけになるのを防ぐためにエリザベスカラーを着けた。
ネットで探して注文したけど、緊急性があった最初はクリアファイルを切って手作りした。

大急ぎで作ったので、マスキングテープびりびりでかっこわるい。

でも、キルティングの布を首回りに着けてあたりを柔らかくしたり不器用なりに頑張ってこさえたのだよ。
で、結構これでカラーに慣れてくれたので、その後届いたカラーにはすぐに慣れてくれた。

軽くて可愛いカラーがあったの。

カラーにしてはちょっと高いなと思ったけど
プラスチックの硬いのだと、長く使うにはしんどそうだったから、軽くて着け心地の良さそうなこれにした。
これはよく作ってあって、値段に似合ってると使っててわかった。
ピンクとブルーを買って、汚れたら洗って、2枚を交互に使った。

ただ、サイズを調整するマジックテープが3本着けてあって、
使わないところのマジックテープのギザギザが直に傷に当たりそうで、
最初はテープを貼ってカバー(下の画像ではテープを貼って対応してる)していたけど
結局使わないサイズのマジックテープを縫い付けてある糸をチマチマ切って取り外した。
専用のマジックテープ部分のカバーも売っていたので使ってみたけど、
これも結局いちいち洗ったりするのが面倒になってきて、取り外したほうがよっぽど使いやすくなった。

これが小さなパラボラアンテナみたいで可愛かったし、よく似合ってたよ。

しまいにはちよさんの体の一部のように感じて、実は未だに棄てられない。
汚れてはいるんだけど、なにかの時に役立つかもしれないから、とか色々自分に言い訳して保管してる。

エリザベスカラーを着けると、食事やお水をとるのに多少不便が出てくるので
お皿やお水入れはある程度高さと安定が必要。
ちよはごはんはわたしがスプーンで直接食べさせていたので使わなかったのだが、お水入れは色々使って考えた。
器の幅が広いとカラーがお水に浸かってしまって濡れるので幅が狭い器がいいのだが、
それだと結果的に小さな器になるので首を下げて飲むのが辛そうだった。
なので、高さもあったほうがいいので、100均で買った寸胴の(底とふちの幅が一緒のやつ)マグカップが活躍した。
100均のマグカップは重いので、安定感があって役に立った。

腫瘍が自壊して膿が出るようになるとかなりな悪臭が出る。
これがもうわたしの食欲がなくなるほどの匂いで、これには精神的にも参ってしまった。
病院で相談したが、癌の化膿は飲み薬が効かないので外部を洗浄したり消毒するしか方法がないと言われた。
病院ではヨーチンで消毒する方法を教えてもらった。

それでも、なんとかならないものかと考えたのだが、
ふと、わたしの祖母が晩年床ずれを起こした時に介護施設の方が「床ずれ部分を緑茶で洗浄をする」というのを思い出した。
祖母の褥瘡とちよの化膿の匂いがよく似ていたからだ。
カテキンの殺菌効果で匂いも抑えられるし、普通にお湯で洗浄するより効果的なんだと聞いたのだ。

緑茶洗浄のお茶はなんでもいいんだけど、2番煎じのお茶でもいいそうなので人間が飲んだ後のお茶っ葉でもいいみたい。
カテキンを抽出するには80度以上で15分ほど煮出す必要があるそうだ。
わたしは家で眠らせて消費期限が切れてしまった緑茶があったので、それをグツグツにて洗浄用の緑茶を作った。
使う時は少し温めてスプレーボトルに詰め替えてから患部にシュッシュとあてて洗浄した。
ごはんの後は必ずそれで洗浄した。

それと、色々調べて購入してみた消臭剤がある。

レビューの評判もよかったので、すがる気持ちで買ってみた。

ごはんの後、まずは緑茶でフードのベタベタや膿を洗い流し、仕上げに『きえ~る』をスプレーした。
どっちか一方だけより、この合わせ技の方がより悪臭に効果があったように思う。

そして最後にヨーチンを患部に塗った。
塗るときは球状になった綿が使いやすかった。

ピンセットでもってぬりぬりと、お医者さん気分で。
化膿臭は完全には消臭できなかったけど、これらのケアである程度は抑えられた。

物言わぬ猫、これらのケアがちよさんにとっては苦痛だったかもしれない。
それでも、ケアする側が快適でないと心が折れてしまうのだ。
「ごめんな、ごめんな」と言いながらケアした。

幸い、ちよは亡くなる直前まで歩けていた。
エリザベスカラーのせいでトイレに奥まで入れずにしょっちゅう場外におしっこしちゃっていたけど
それはペットシーツを敷いておけば問題なかった。
わたしはいずれちよは寝たきりになって、下の世話も必要になってくるだろうなーと覚悟はしていたんだけど
ちよは最後までトイレは自分した。
ご飯も強制給餌になるだろうと思っていたが、前日まで食べてくれていたし
ちよは小さいのにガッツのある猫だった。

今思うと、わたしはちよに救われてばかりだったな。


ちよのごはんのこと

2015年01月19日 | にゃんち
ちよさんは、亡くなる前日までごはんを食べていました。
食欲が落ちることもあったけど、よく食べてくれたと思います。

口の中も腫れていたので、いつかは食べられなくなる日がくると思ってました。
癌宣告を受けて、今後どのようになっていくのか獣医に尋ねたところ
「口の中の腫れが大きくなるといずれ食べられなくなって餓死する」と言われていました。
これにはショックを受けました。
ちよさんグルメなので、食べたいのに食べられない状態になってしまうのは本当に可哀想で嫌でした。

食べられるうちはなんでも好きなものを食べさせてやりたいと思い、
それまではロイヤルカナンの療法食のドライを食べていましたが
口の中も腫れていたことから、ごはんは色々とあげたし工夫もしました。

ドライフードが食べられるうちは、おやつ用のカリカリもあげました。
ちよはこれが大好きだった。

ちょびっとずつ小分けしてあるタイプだから、少ししか食べないちよさんに与えやすかったです。
でも、粒が結構大き目だから、腫れてきた口では食べられなくなってきたので
ミルミキサーで粉末にしてウエットフードのふりかけにしてあげたらすごく喜んで食べてくれました。

主食はパウチのウエットフードでした。
食欲はあったけど、食べる量は少なかったので、総合栄養食を選ぶようにしていました。

カルカンが一番好きで、中でもまぐろが好きでした。
同じ総合栄養食の『猫元気』も食べていたけど、カルカンの方が美味しいらしいです。
口の中の腫れがひどくなってきた頃は、この15歳用の細かいフレークでも飲み込み辛くなってきていたので
これに水を少し足してプロセッサーにかけてドロドロにして与えました。

キャットフードの中には、すでに老齢や病中の猫のためにペーストになっているものもありましたが
ちよはカルカンをドロドロにしたものを一番よく食べてくれました。

ちよは便通は良い猫でしたが、闘病中はたまに便が出にくくなる事がありました。
うちにはイーダという便秘気味の猫がいて、
イーダが食べている療法食が便秘猫用の『ロイヤルカナン消化器サポート可溶性繊維』。
そのフードをふやかしてカルカンと共にプロセッサーにかけてドロドロにしたものを与えると
味もよかったのかちよはよく食べてくれました。そして便通も元通りになりました。

比較的よく食べていたちよさんですが、ひどく食欲が落ちた時期もありました。
そんなときはこれで対応しました。

高栄養の特別療法食。
味も美味しいみたいで食欲が復活しました。

こんなのも舐めさせたりもしましたが

合わなかったのか下痢してしまい、しかもまずかったみたいですごく嫌がられました。

硬いおやつが食べられなくなったちよが気に入っていたおやつが
いなばのチャオちゅ~る

特にこのかつおが大好きでした。(他にもまぐろ味とかあってそれもよく食べてたよ)
トロトロペーストで少しずつなのでとても与えやすく、落ち気味の食欲も戻るのでこれには助けられました。
亡くなる当日、もう食べるのを拒否していたけど、これをほんのちょっと舐めました。
ちよの最期の食事でした。

餓死するかもと言われていたちよですが、最期まで食べてくれました。
これは本当によかったです。
ちよさんがあれこれと食べるのが好きな猫だったというのも幸いだったのかもしれません。

もしや、ちよさんがイーダみたいなあまり好物のない猫だったとしたら、
ここまで食べさせてあげることはできなかったかもしれません。
(イーダはウエットも食べないしおやつも食べ物として認識しないのです。)

猫さんには、あまり雑多なものはたくさん与えない方がいいのですが
なにか好物がひとつでもあれば、いざという時に食欲を復活させたりするのに役立ちます。
常用するのはおすすめしませんが、たまにはおやつとして何かあげてみて好物をみつけるのもいいですよ。

まんまモグモグ

ごはん美味しかった?






12月23日 / さつま芋の混ぜご飯

2015年01月19日 | まんま

・さつま芋の混ぜご飯*
・切干大根*
・サラダ
・スープ*

さつま芋と挽肉を少し濃い目に甘辛く炒めたらご飯に混ぜ混ぜ

仕上げに粗びき胡椒をふって炊きこみではできない味わい。

切干大根

ごぼうをたくさん入れたら、大根の存在感がなくなってしまった。

スープとサラダ

スープはロール白菜を煮込んだもののあまり。
そして千切りサラダは続く。




ちよの病気のこと

2015年01月17日 | にゃんち
ちよの病気は悪性の癌でした。
何の癌であるかは検査していないから不明だけど、
わたしなりに調べたら扁平上皮癌ではないかと推測する。

最初に気がついたのは、4月末に右のほほあたりがなんかモコっとしてるなと。
さわってみたらなにかぐりぐりしたしこりがある。
もう一発で悪いものだという気がした。胸がざわざわして嫌な予感しかしなかった。
そして病院で診てもらったら嫌な予感的中だったのだ。

これは右ほほが大きくなってた頃。

腫れてて顔の形のバランスが悪い。

口の中も右下顎の奥がずいぶん腫れていた。
たまにドライフードの粒がその腫れたところに当たって出血していた。

4月末から9月くらいまでこの状態で、目立って腫瘍は大きくならないし、
たまに出血するも食欲もありドライフードも食べれていたが
出血が可愛そうなのでやわらかいフードに変えた。

夏を越すと、頬だけでなく、首まわりにも小さなしこりがたくさんでき始めてきた。
右下顎の唇にもぽこっとしこりができた。

10月になると、このしこりが一気に爆発する。
みるみると腫瘍が増殖増大。
耳の中にも腫瘍ができて、しきりに痒がるようになる。
痒いので後ろ足でひっかいて腫瘍が壊れてボタボタと血が流れてしまう。
傷ができて痛いのか顔を振るので血がそこらじゅうに飛び散った。
毎日血をダラダラと流すようになり、家が血だらけになるし、見てると悲惨でつらい。
掻くのをやめさせることはできないのでエリザベスカラーを使用するようにした。

カラーのおかげで大出血することはなくなったけど、
腫瘍は勝手に大きくなって勝手に壊れて(自壊)出血し、そして化膿した。

11月には、右の顔はすっかり腫瘍に覆われて、右目もつり上がってしまった。
口も大きく開かなくなった。あくびもできなくなった。
血と膿にまみれて毛もすっかり汚れてしまった。
鼻も腫れて詰まっていたので常に口で呼吸し、舌も出したまま。
異様にのどが渇くのか、水ばかり飲む。
癌に栄養を取られてしまうのか、食欲はあった。
ドライを食べたがったが、口の中が腫れて飲み込めないので
ウエットフードをさらにプロセッサーにかけてドロドロにしたものを食べさせた。

12月には、頬についに穴が開いた。
自壊した腫瘍に穴があき、口の中に通じていて、化膿して膿がドロドロと出てきて止まらない。
この膿が悪臭を放ち、可愛いちよなのに、臭くて近寄れないほど。
病院で診てもらうも、腫瘍には血が通っていないので化膿止めの薬を飲ませても効かないとのこと。
外部をヨーチンで消毒するしかすべがなかった。
後はわたしなりにネットで探したペット用のバイオ消臭剤と緑茶で洗浄した。
幸いだったのは、神経が通ってなかったのか腫瘍にヨーチンを塗ってもあまり痛がらなかった。
これで悪臭は少し軽減されたけど、ちよの顔半分は茶色に染まった。

12月末頃には、右目が閉じなくなった。
顔の右側がほとんど腫瘍なので、いつも左側の顔を下にして寝ていたちよだけど
右目が開いてるので起きてるように見えた。
実際、あんまり眠れなかったのかもしれない。
食欲はあまり落ちなかった。
一度一切食べない日があったのだけど、あれは頬に穴が開くときだったのかもしれない。
激痛だったんだろう。
自壊が一段落して食欲が戻ったように思う。
よく食べていた。でも、どんどん痩せていった。

1月は、年が明けた午前1時頃、突如として徘徊をはじめた。
ウロウロして、ドアを開けろとガリガリと引っかく。夜中ずっと。
目つきがおかしくて、癌に脳神経がやられたのかと思った。
それか、もう無意味だからとやめた甲状腺の薬が完全に体の中から消えて
甲状腺機能亢進症の症状である興奮状態になったのかも、とも考えた。
次の日からは、少し落ち着いて夜は寝ていたが、昼間は意味もなくウロウロしていた。

そして、亡くなる前日は、落ち着きが全くなかった。
お水を飲みたがるのに飲めない感じで、水を入れていたマグカップをひっくり返す。
ごはんはよく食べたのでなんだったのかはよくわからない。

亡くなる当日も、朝からウロウロ。
ただ、いつもと違ったのはごはんを全く受け付けなくなった。
美味しそうな匂いのするおやつを口元に出したらチョロっとなめてそっぽを向く。
水を飲まそうとしてもそっぽを向く。
おかしいなと思っていたら、北側の部屋にヨロヨロと歩いて行き、疲れて横になっていた。
あまり深追いせずにそっとしておいたら、またヨロヨロと戻ってきて横になるという具合。
気になったので、ペット用のポカリスウェットを無理やりシリンジで飲ませたが、嫌がった。
また北側の部屋にヨロヨロと行き横になるも少し様子がおかしくて
わたしはなんとなく終わりが近いなと思ったのだが、それでも早くて2~3日後か1週間くらいかと思った。

だけど、14時ぐらいには、呼吸がおかしくなった。
深い呼吸と浅い呼吸を繰り返すようになり、小刻みな痙攣も起き始めた。
手足をパタパタと駆け足するように動かす。たまにのけぞる。
もう終わりがくると思った。
呼吸が深い呼吸だけになり、呼吸の間隔も長くなってきて
わたしはいよいよだと思ってちよを膝の上に乗せたのだ。
そして、小さく伸びをしたかと思うと、瞳孔が開いた。
これが最期。
午後5時だった。
おかしいと思ってからあっという間だった。

これがちよの大まかな病状である。
細かいことを書くと大変なので、ざっとまとめて。

今後は、使った薬やサプリ、介護用品について書いていこうと思います。
なにか知りたい事があれば、わかることならお応えしますのでコメント欄かTwitterからどうぞ。





12月22日 / 白菜と挽肉の重ね煮

2015年01月17日 | まんま

・白菜と挽肉の重ね煮
・ソーセージとピーマンのソテー
・サラダ

実家用にロール白菜を大量に作ったのだけど
しまいに白菜が足りなくなり、白菜の中の方の小さい葉しかなくなってしまった。
それでは巻き巻きできない。
仕方ないので、自分ち用にはその小さい葉と具を重ねてミルフィーユ状にして煮ました。

巻いてないだけなので、美味しさにはかわりないし。

ソーセージ食べたかった。

ピーマンと一緒にオリーブオイルでソテー。

千切りサラダ

レタス食べたい。

ちよを送って思うこと

2015年01月16日 | にゃんち
動物を飼うとき、最期まで責任もって飼うのは当たり前なこと。
いつかはお別れがくる。

わたしは生まれながらの猫飼いなので、今まで何匹も看取ってきた。
猫を飼い始めたらまずそれを念頭に置き、死別に対しての覚悟は持っているつもり。
その生涯をいかに幸せなものにしてやるかが大事。

わたしはちよに苦しい思いをさせてしまった。
死別の悲しみよりも、苦しい思いをさせてしまったことがつらい。

病気になってしまうのをコントロールできるとは思っていない。
なってしまったものはしかたない。
その苦しみを少しでもなくしてやれるなら、できることはなんでもしてやればいい。

でも、ちよの病気はそれすらも許してくれなかった。
治療を諦めたぶん、緩和をしてやりたいのに
言葉がわからないからどうしてやれば楽なのかわからないし
その痛みや苦しみがどんなものなのかも理解できないし
わたしが良かれと思ってすることがちよを苦しめていたかもしれない。
献身的な介護に見えても、それは結局はわたしのエゴでしかない。
この辺の事は考えても考えても、悩んでも悩んでもしかたないんだけどもね・・・。


『闘病中、ちよは苦しんでいた。』

どう言われようと、それが現実。
わたしの中では変わらない事実。
きれいごと言って気持ちをすり替えることはしないつもり。
ずっと心に引っ掛けたまま生きていく。
ずっとずっと「ちよ、ごめんな。」て思いながら生きていく。

ちよは、最期、そうしたかったかどうかはわからないけど
わたしの膝の上で息を引き取った。
わたしがそうしたかったから。
飼い猫をお膝の上で抱きしめて看取るだなんて、猫飼い冥利に尽きる。
わたしは幸せだったな。

わたしはちよに苦しい思いをさせたのに
ちよはわたしに幸せな気持ちを残していった。
感謝しかない。



こんな飼い主でよかったら、またおいで。



*この記事にはコメントは不要です。よろしくお願いします。



ご報告

2015年01月12日 | にゃんち
新年あけましての更新です。
みなさまにご報告があります。


1月10日午後5時、ちよが永眠いたしました。16歳6か月の生涯でした。

実は、4月末から闘病していました。
おそらくではありますが、病名は扁平上皮癌。
おそらくなのはちゃんとした検査はしてないからです。
(症状からみて扁平上皮癌ではないかと)
右下顎に腫れを見つけてから獣医に見せたところ、
悪性のものに間違いはなく、わざわざ麻酔かけて何の癌であるかの検査するのは意味がないとのことでした。
癌そのものの治療は切除しかなかったのですが、
ちよさんが高齢であることと甲状腺の病気もあって麻酔は危険。
頑張って手術して腫瘍を取り除いてもすぐに再発してしまうとのことで積極的な治療は諦めました。


癌宣告を受けてからのTwitter上での情緒不安定な発言の数々は大方このせいです。
なかなか現実を飲み込めずにあがいていました。
そして、どんどん悪化する症状に絶望して世の中を呪って生きておりました。

このような約半年にわたる闘病記は後々少しずつ書こうと思います。
気持ちを整理するため、病気や介護についての記録として
こんな呪いの日々でも、もしかしたら役に立つこともあるかもしれないので。


ちよは、最期、わたしのお膝の上で逝きました。
抱っこされるのはあんまり好きじゃなかったけど、お膝にはよく来ていたので
いよいよ呼吸の回数が少なくなってきた時、お膝に乗せました。
ちよはしばらくすると小さく伸びをして静かに息を引き取りました。
とても穏やかな最期だったと思います。

生前、私のお膝に乗るちよさん

亡くなる前日もヨロヨロでもお膝にきてたんだよ。


昨日荼毘にふしました。
白いちよは骨になっても白かったです。
人見知りで怖がりのちよさんなので合同供養はやめて、お骨は持って帰りました。
しばらくは手元で供養します。


みなさま、
長い間、ちよさんを愛でてくれてありがとうございました。