ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

研修

2006-07-13 22:59:39 | 大阪にて
先週の月曜から天満の研修センターに閉じ込められています。

今日でこの研修センターでの講義は終わったのですが、最後に一波乱がありました。
最後の講義は午前中いっぱい使って、『企業のコンプライアンス』についてでありました。

『コンプライアンス』とは法令の遵守とでも言うべきものでしょうか。

我が社は4年前から50歳になった労働者に、退職するか・我が社に残るかの選択を迫るようになりました。

退職すれば勿論退職金が出るので、50歳定年制と言う訳です。ただ2~3割賃金カットになるけど65歳まで同じ仕事を続ける事が出来るという「結構な条件」が付いているのでした。
これは平均寿命が高くなっている現代社会で、財政難の政府が年金問題と絡めて提案してきた『定年年齢の引き上げ』と一対になった『定年の定めの廃止』を都合よく勝手に解釈したものと私は考えています。

そして、退職しない社員に対しては、とんでもない所に配転して『ホラ、言うことを聞かへんかったらこないなるねんでぇ』とでも言いたげに広域配転を進めてきたのでした。
正しくは「言うことを聞く・聞かない」んじゃ無くて、「どっちかを選びなさい」でしょ。だのに会社にしてみれば「言うことを聞くんか・聞けへんのか」だったんです。
でも会社としてそんな風に考えていることなど、大っぴらに言えるわけがありませんよね。
言ってないから、そんなこと誰も言ってないと言うわけです。
やっていても、言ってないからそんな意図はないと言うわけです。

これは法律違反の何者でもありません。一つは50歳を定年年齢にしてしまったこと、一つは自分の言うことを聞かない奴には平等という扱いはしないということ。

その煽りで名古屋に単身赴任になったうちの一人は私でした。
私はどっちかを選んだつもりだったのに、「言うことを聞かない」者に対する『みせしめ』を受けたのでした。

『コンプライアンス』という言葉に象徴される、法令を遵守するするということは、法令を守っていればそれでいいということで使ってしまっていいのでしょうか?
もっと積極的にその意義を推進するという期待が込められているような気がするのです。

ところが我が社は、『コンプライアンス』という言葉を使いながら、あたかも遵法者の先端を行くような顔をして、実は「言うことを聞かない奴」を叩きのめす・・・そんな民主主義のかけらも無いことを平気で実行しているのです。

その実態を知っている人たちの前で、我が社が『コンプライアンス』の主導者であるようなことを講義で言えば、「チョット待て!」と意見が出るのは当たり前なのです。

          

実は具体的には、上記のことが発端ではなかったのです。
少し難しいことなのですが、ここまで読んでいただけたのなら、この後も是非読んでいただきたいのです。

我が社はこの7月を以って、新しく組織再編を行いました。
そして従来の仕事を全てグループ会社に委託してしまいました。
私たちが行ってきたキメの細かい営業の仕事は、この後どの部署もやらないでしょう。

というわけで、7月から私たちには新しい仕事が待ち受けていたのです。
それが『調査営業』という新しい言葉で表される仕事だったのです。

ここで『遵法』の問題が出てくるのです。
お客さんの家を訪問して行う営業の仕事は、法律上、伺ったときにその主旨を述べなければなりません。
例えば「○○○のご提案に伺いました」「○○○のアンケート調査に伺いました」とかです。
まぁ、今回はどちらも言いなさいなのですが・・・

ところが会社は、今回はアンケート調査が主で、その集計によって新しい『ビジネスモデル』を策定すると説明しています。つまり営業が主ではないのです。
調査が主です。話のなりゆきでお客様から積極的に問われたら、営業に入ってもいいですよと、言いました。

なのに今日の『コンプライアンス』の講義を進める講師は、「今日は○○○のご説明と、皆様のご意見・ご要望をお伺いに参りました」と言いなさいと強制します。つまり営業に来たことを主に言い、アンケートは従に言えと教えるのです。
だけど、することはアンケートが主ですよと。


言い訳はこうです。「先に○○○の説明にあがりましたと言っても、アンケートに答えてくれようと思ってくれる人ならば(説明を聞いてもいいよと思ってるほどの人だから)より正確な答を提供してくれるのだ」「その結集が新しいビジネスモデルに繋がるのだ」と。

アンケートを取るのが主なら、「本日はアンケートを集めに来ました。○○○のご説明に伺いました」と言えばいいじゃないですか。まぁ、どっちが先でもいいようなものですが・・・何故そんなに固執するのか??

講義を受けている者は、何を意図しているのかよく理解できません。
私もよく理解できませんでした。

ここで、私たちを騙した手法が今回も使われるんやないやろか?と、皆さんは疑ったのです。

だけど、今回は資本家VS労働者という対立した関係ではありません。
明らかに騙そうとしている相手はお客様なのです。

いや、やはり騙そうとしている相手は我等労働者なのか・・・?

かれこれ2時間、PCの前に座って考えていますが、だんだん解らなくなってきました。
また気分を一新して考えてみなければと思います。



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