8月15日、お盆・・・姫にあるお寺『海林寺』で地域の盆踊りがありました。
1部の踊りが終わって、休憩しているところです。
海林寺は成就寺と同じ臨済宗、成就寺は東福寺派ですが、こちらは妙心寺派の禅寺です。串本にある無量寺も臨済宗・東福寺派のお寺、こんな片田舎に武士に奨励された禅の寺がかたまってあるなんて、ちょっと不思議です。
ボツボツと人が集まり始めています。でも知らない人ばかり。
フラッシュを焚かないとこの通り。
暗くて幻想的でさえあります。
一応は櫓も組まれて・・・大阪のように櫓の上で河内音頭の生演奏をするわけではありません。
踊りが始まりました。
今時レコードをかけるわけもありませんし、CDかな?でも『串本節』や『炭鉱節』のCDなんか発売されてるのかなぁ?
私は唯一この炭坑節しか踊れません。
おっと最後に氷川きよしの『ズンドコ節』、こちらは大阪では有り得ませんね。
『ズンドコ節』といえば私の時代ではドリフなんですよネ。
しかし、姫地区の盆踊りを見に行かず、岩淵地区の盆踊りに行ってたら、幼馴染に会えたかも知れません。
来年は懐かしい岩淵地区に行ってみようかな。
1部の踊りが終わって、休憩しているところです。
海林寺は成就寺と同じ臨済宗、成就寺は東福寺派ですが、こちらは妙心寺派の禅寺です。串本にある無量寺も臨済宗・東福寺派のお寺、こんな片田舎に武士に奨励された禅の寺がかたまってあるなんて、ちょっと不思議です。
ボツボツと人が集まり始めています。でも知らない人ばかり。
フラッシュを焚かないとこの通り。
暗くて幻想的でさえあります。
一応は櫓も組まれて・・・大阪のように櫓の上で河内音頭の生演奏をするわけではありません。
踊りが始まりました。
今時レコードをかけるわけもありませんし、CDかな?でも『串本節』や『炭鉱節』のCDなんか発売されてるのかなぁ?
私は唯一この炭坑節しか踊れません。
おっと最後に氷川きよしの『ズンドコ節』、こちらは大阪では有り得ませんね。
『ズンドコ節』といえば私の時代ではドリフなんですよネ。
しかし、姫地区の盆踊りを見に行かず、岩淵地区の盆踊りに行ってたら、幼馴染に会えたかも知れません。
来年は懐かしい岩淵地区に行ってみようかな。
久しく盆踊りを見てもいなかったので、他所の土地の盆踊りを見に行った感覚で見ました。
なんで、炭坑節が盆踊りになるのか?ポピュラーなのか?練習したようでズンドコ節はみんな上手です。
踊りの嫌いな私は、人のを見ながら踊るのでビミョーにずれ、ロボットが踊っているようになります。
後の方の動画は最初ClipLifeに入れたのですが、後で自分で見てみたら時間が長すぎたのか表示されていませんでした。
あせってYouTubeに登録してやり直したのです。
YouTubeは英語で書かれているので苦労しました。
実は私はSouthernよりTUBEの方が好みでありまして、私がクロスロードを運転している間はずっとTUBEの曲を流していたのです。
『あー夏休み』はこれから休みに入る頃はピッタリの歌でした。
9月に入りました。3日には足に入ってる金属板を取り去る再手術です。
秋休みに入る15日までに抜糸できるのか心配しています。
金属板をとって、またあちこち歩き回ってくださいよくれぐれも無理はしないように。
きょうまた古座川にこげを連れて行ってきました。カヌーが(正しくはカヌーを積んだタクシーが)上流に何回も走って行きました、最後の休日かカヌーの人気は恐るべしです。
私は長いこと歌を聴いてないようです。サザンもチューブも聴けば聴くけど・・って感じです。チューブとユーチューブをもじったわけですね。チューブも「さよならイエスタデイ」でしたか、遠い昔を思い出したことがありました。学生時代は 長渕くんと甲斐バンド、さだまさし・・・いまはBGMで流して聴くような
デパペペが好きです・・・CDは持ってませんが。
まぁ、有事(無事ではなかった)手術は終わり、プレートは外すことができました。
とにかく明日のBlogをお楽しみに・・・ご覧下さい。
ところで、ちのとさんの学生時代は上記の方々でしたか?私もよく存じておるのですが、私が若かった頃はそうそう岡林信康、高石ともや、高田渡・・・から吉田拓郎、かぐや姫、チューリップ等と流れが変わっていった時代でした。
デパペペって知らんなぁ。
クロスロードのHDDに入れたのですが、『さよならイエスタデイ』の別バージョンがありまして、春畑道哉のリードギターがエレキじゃなくてガットギターなんですネ。これが素晴らしい出来映えでとっても乗れるのですが、あんまり乗ると運転危ないです。
いわゆる【四畳半フォーク】?暗い暗いイメージです誰だかチューリップのアップリケとか、カレーライスの唄?高石ともやは 走る人になってませんでした、最近。
吉田拓郎、チューリップは好きです。かぐや姫は伊勢正三?字は忘れたけど好きです。このあたりはフォークですね、私の時代はニューミュージックと呼ばれていました。
カレーライスは遠藤賢二だったかな?『アングラ』という世界で、他にあがた森魚や加川良なども範疇に入ると思うのです。
それ以前から活躍していた岡林や高石はバリバリの反戦フォークでした。ご指摘の『チューリップのアップリケ』は差別を告発した歌です。60年代後半から70年安保に向けてよく歌われた『友よ』は岡林の作品です。今は演歌調の歌を作ったりして(全く知らないでしょうが、五木ひろしが『春を運ぶな雪の海』という歌を唄っています)百姓して細々と暮らしているようです。
高石はいろんな道を歩んで(走って)いった男ですが、作曲の中には作詩家・谷川俊太郎の詩に曲を付けたものもあります。彼も山奥で百姓をやってるんではないでしょうか。
拓郎も岡林もボブ・ディランを意識してフォーク界に入ってきますが、70年を越えて行く先がそれぞれ違ってきました。
拓郎は『結婚しようよ』でニューミュージックの世界に勇躍して乗り込み、彼の地位は未だに揺らいでいません。
岡林は落ちたというのか、そちらの道を選んだというのか本当のことは判りませんが、所謂資本主義の世界には着いていけなかったんだろうと思います。ダイエーからタイガースへ移籍し活躍している投手・下柳の風貌は岡林を連想させます。
少し詳しくなりすぎたかな・・・?
それでももう少し述べさせていただくと、『歌は世に連れ、世は歌に連れ』とは誰かのキャッチフレーズでしたが、当にその通りで戦後の混乱期が未だ残っていた70年以前は、若者達が歌う反戦フォークのように世の中に訴える歌が多かったのに、それ以降は支配者が企む世の中の流れに完全に飲み込まれていったように私は思っているのです。
思想面でもそうですが、経済面でも反戦フォークが報酬を求めるものではなかったのに対し、拓郎たちが目指したのは金儲けのためのミュージックでした。
こういうことが解っていながら何もしないのが、拙者『ぼんくら』の所以であります。