ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

追悼 4・25

2007-04-25 05:30:02 | 大阪にて
一昨年の4月25日に起こったJR福知山線の脱線事故現場です。

写真は3月中旬、担当地域の尾浜町からJR尼崎駅へ歩いて帰ると、中央卸売市場の南側を通るのですが、道が狭く工事もあり車がひっきりなしに通るので、北側を大きく迂回していたらこの踏切に出会いました。

     

当時私は神戸で働いていて、このニュースをJR神戸駅前の食堂で昼食を摂りながら見ていました。
尼崎からいつも神戸線だったので、福知山線の事故現場がどんな所か知りませんでした。

       

こうして見るとそんなに急なカーブには見えません。

       

反対方向はこんな具合ですから確かにかなり減速が必要なようです。
線路の上を白く横断しているのは名神高速道路です。

その下まで行かないうちに衝突したマンションは見えなくなります。

     

踏切内から事故現場を見たら・・・ものすごく曲がっています。
この事故で第2・第3の加重事故にならなかったのは、事故後すぐにこの踏切から緊急通報された主婦がおられたからだそうです。

こんなことを思うのも変かも知れませんが、仮にここを曲がりきれたとしても、そのスピードで走れば、この先500m位で約90度以上鋭角に曲がり東海道線に合流する地点がすぐそこにあるのです。

     

この坂を登りきった所から大きな円を描いて90度以上左に曲がっていきます。
そこに突っ込んでいたら・・・列車の乗員・乗客も福知山線も東海道線も無茶苦茶になってたんだろうと想像してしまいます。

この事故の原因はJRのダイヤにあると指摘しているNHK教育TVの番組がありましたが、そのダイヤは全く反省された様子はありません。

       

東海道線と福知山線と東西線の上り・下りが相互に待ち時間無しで乗り換えられるようになっているので、予定通りに発着しないと乗客に迷惑がかかる・・・朝などは走る人もいてとても危ないのです。

なんでもかんでも“早く”“強く”“負けるな”と言う社会がもっともの原因なのかも知れません。

       

お花をお供えに行くことも必要かと・・・偶然にも尼崎に働きに来てるのだから・・・思います。


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2 コメント

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追悼 (ちのと)
2007-04-25 09:36:30
多くの犠牲者と心の傷を残し、それでもJRの体質はいっこうに変わらないそういう報道をめにするたびに
あの事故はなんだったんだろうと思います。

4月に長男を兵庫県に送り出した後だったので ものすごく怖かった・・線が違うから乗ってはいないだろうという気持ちもあったけど、乗り合わせていた人たちのことが他人事のようには思えなかった。

当時取りざたされた日勤教育という 運転とは関係ない草刈りやら清掃は、運転の練習とかに替わったんでしょうか?田舎にいれば 一時間に一本の電車で我慢しているんだから、一分二分遅くても 10分待てば次の電車がやってくるんだから そんな気持ちにみんながなればいいんだけど・・と思います。
そうですね (ぼんくら)
2007-04-25 10:19:00

10分待てば・・・それでいいという気持ち、その余裕があれば、個人的にもセカセカしなくなると思うのですが、実はこれは国家的な課題だと思うのです。

JRがダイヤをいじってもその基本的な考え方を変えようとしないのは、個人の幸福より企業の利益を優先するからです。

それが日本という国の考え方なんですね。
そしてそういう考え方の議員を選んでいるのが、他でもない私たちなのです。

2割強の得票でほとんどの議席を占めてしまう小選挙区制を導入したのは、その導入でほとんどの議席を失った社会党の村山富市内閣総理大臣でした。
アホも甚だしい。それまでは社会党にも一抹の期待を抱いていた時期もありましたが、そこから変わっていった民主党は自民党と同じ穴のムジナです。

JRは今でも事故の原因が自分たちであるとは考えてないでしょう・・・つまり国全体としてそういう方向に向かっているのに、JRがそれを無視したダイヤは作れませんと。

今日はアルカイックホールという会館で献花が行われるらしく、JR尼崎駅は朝から記帳やバスの手配の係りの人が沢山おられました。

事故現場にも献花する場所が設けられているのですが、沢山の人が来られるのでしょうね、わざわざ阪神の尼崎駅の近くで催されます。
雨が降っているのが、酷な気がします。

事故で亡くなられた方々やそのご遺族、そして今でもその事故の後遺症で苦しんでおられる方々に、お悔やみとお見舞いを申し上げます。

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