2月3日にあった退職説明会の会場のマイドーム大阪、デサントなどのバーゲンで何度も来たことがありましたが、普段は御堂筋線の本町駅から歩くのですが、この日は会社からだったので中央線に乗り換えて、堺筋本町で降りたのでした。マイドーム大阪へは堺筋本町駅の方が断然近いのですが、会社が用意した地図の地下鉄出口の案内も間違っていて(この間違いには気が付いていた)、随分階段を上って出た道はあまり通ったことのない道でした。でもだいたい感を働かせれば方向は判るというものです。
本町側から歩くとマイドーム大阪の手前にあるこの三体の銅像がいつも気になっていましたが、いつもは急いでいるし帰りは荷物も多いので、一番手前は五代友厚だということは薄々感じていましたが、立ち寄っている暇は無かったのです。今回はじっくりと見る時間があり、そうなると隅々まで見て回ろうと思ったのでした。
まず銅像を通り越して階段を上ります。目の前にドカーンと現れたガラス張りの建物は、以前来た時には無かったもの、普通のビルとは容姿が違うし、何だろうと思っても祠より向こうへは行けません。
この神社は若宮商工稲荷神社という名前が付いています。商工という名詞が付いているのは、大阪商工会議所(最初の写真)の横にあるからなのでしょう。マイドーム大阪はその大阪商工会議所の中にあります。
商工と名が付いているからなのかよく分かりませんが、この神社の狛犬はどちらも口を開けた阿形なのです。
一般的に神社にある狛犬も(あれば)仁王像も阿形・吽形の二体で一対になっています。この意味は何なのか・・・商売人でない私にはいくら考えても分かりません。
稲荷神社のある高台から堺筋の方向、三体の銅像はこちら側手前から大阪商工会議所10代会頭・稲畑勝太郎、真ん中が7代会頭・土井通夫、一番向こうが五代友厚、それぞれの銅板には戦争最中の物資暢達により軍に没収されたのを再建したことが書かれてており、その人がどういう人であったとか、我々にとって貴重な銅像を没収した軍に対する怒りなどは書かれていません。
五代友厚は天保6年に薩摩で生まれた人ですが、薩英戦争で交渉によってイギリスの捕虜になり、欧州各国を歴訪し日本の遅れを痛感、帰国後は役人として堺事件の調停をしたこともあり、役人を辞任してからは、産業の発展に力を尽くした人でした。この銅像のリレーフには初代の会頭とは書かれていませんでした。
講習が終わって、みんなとは逆の北浜方面へ歩きます。先ほどビックリした建物の正体を確かめるためです。次の角を西へ曲がって歩くと、左側に同じような建物が見えてきます。こう見ると建物の屋上にバケツ型のものが二つ並んでいて、非常に不安定に見えます。
撮る位置が近過ぎて、全体像が撮れませんが、上に載っかってる部分は円柱形ではなくて楕円形になっています。これなら少しは安定的でしょうか。
どうやらこれは日本語で書けば『シティプラザ大阪』というホテルのようです。
ブライダルセミナーでチャペル見学を
したんですが、出来たて(?)のホテルなので
中はとっても綺麗でしたよ(^^)
小さなチャペルだったので
写真に写ってる十字架の部分がチャペル
なのかもしれませんね(^^)
あの小さな壺みたいなのがチャペルなのでしょうか、外観だけだし下から見てるので、どうやってあの壺みたいなところに繋がっていくのか想像できません。
某結婚情報誌の
無料花嫁セミナーに参加したら
ここが会場だったんです☆
チャペルに行くまでに
ホテルの連絡通路みたいな所から
外?(屋根がない道)を
通って少し歩いてからチャペルの入り口扉が
あったような気がします(゜∀゜;)
やはり屋外にあるんですね。どうみても(下からですが)建物に繋がってるようには見えませんもんね。
シティプラザ大阪というホテル、来月の中旬には共産党の志位委員長が経済界と懇談会を開く予定があるんですよ。共産党の委員長が主催なのに場所を貸すなんて、先進的なのか、誰でもいいから借りて欲しいのか、その点はよく分かりませんが、断らなかったところが素晴らしいと思っています。