阪神電車尼崎駅南に寺町がありましたが、そこよりもう少し南に下ると尼信博物館があります。
尼信とは尼崎信用金庫の略称で、なんと90店舗もあるそうです。
2001年に創業80周年事業として、この博物館を造ったとか。
ここの3階で今『市民から寄せられた文化財』という展示会が開催されています。
市民が私有で保存していたものなので傷み具合がひどく、かなり修復の時間を要してからの展示になっているようです。
洛中洛外図と称された大きな屏風です。
こんな大きなものが個人宅に保管されていたなんて、私どものような貧乏人の家ではとてもとても・・・さっさと売り払って、酒代になっていたかも知れません。
右端に伏見城や東福寺・東寺などを描き、左端は聚楽第で、その間を行幸の行列が描かれている描写は、100点を越える現存する洛中洛外図では他に所在が確認されていない貴重なものだそうです。
上は勝海舟が尼崎の初代市長・桜井忠剛に贈った書です。
忠剛の姉が海舟の長男と結婚した縁もあったようです。
勝海舟はなかなか達筆やなぁ。
刀剣の展示は上のように横から見るようになっているのが一般的ですが、下のように刃先から刃の部分を見れるようになっているのは珍しいとは思いませんか。
真上から見ると、TVの時代劇で使っているものと比べて、峰の部分はかなり肉厚です。
この屏風は朝鮮通信使駿州行列図とあり、左上に富士山が描かれています。
手前の巻物は朝鮮通信使引船の図、この絵巻は尼崎藩が通信使を警護した船団を記録として残し、次回の来日に備えるために描かせたものの下書きらしい。
尚、この展覧会は3月11日(日)までです。
尼信とは尼崎信用金庫の略称で、なんと90店舗もあるそうです。
2001年に創業80周年事業として、この博物館を造ったとか。
ここの3階で今『市民から寄せられた文化財』という展示会が開催されています。
市民が私有で保存していたものなので傷み具合がひどく、かなり修復の時間を要してからの展示になっているようです。
洛中洛外図と称された大きな屏風です。
こんな大きなものが個人宅に保管されていたなんて、私どものような貧乏人の家ではとてもとても・・・さっさと売り払って、酒代になっていたかも知れません。
右端に伏見城や東福寺・東寺などを描き、左端は聚楽第で、その間を行幸の行列が描かれている描写は、100点を越える現存する洛中洛外図では他に所在が確認されていない貴重なものだそうです。
上は勝海舟が尼崎の初代市長・桜井忠剛に贈った書です。
忠剛の姉が海舟の長男と結婚した縁もあったようです。
勝海舟はなかなか達筆やなぁ。
刀剣の展示は上のように横から見るようになっているのが一般的ですが、下のように刃先から刃の部分を見れるようになっているのは珍しいとは思いませんか。
真上から見ると、TVの時代劇で使っているものと比べて、峰の部分はかなり肉厚です。
この屏風は朝鮮通信使駿州行列図とあり、左上に富士山が描かれています。
手前の巻物は朝鮮通信使引船の図、この絵巻は尼崎藩が通信使を警護した船団を記録として残し、次回の来日に備えるために描かせたものの下書きらしい。
尚、この展覧会は3月11日(日)までです。
勝海舟の書のことが書かれていますが、僭越ながら補足を。
桜井忠剛は尼崎藩主の一族で、維新後は画業を志していました。修行時代は氷川の勝海舟家にお世話になり、同じく勝家に寄寓していた洋行帰りの画家、川村清雄に師事していました。ここからも勝との縁が考えられます。
桜井はその後画家として生きて行きますが、おそらく旧藩主の縁者ということからか尼崎町長、市長に就任します。就任後は公務多忙になったのでほとんど絵は描かなくなったので画家としての業績は半ば忘れられた存在になっております。
好いものをみせていただきました。。
通りすがりさんへ、勝と桜井の深い関係を教えていただきありがとうございます。私は別段、桜井忠剛のことを知りたくてこの博物館へ行ったのではないので、その辺りの同期にはご容赦を。
nekoさんへ、この記事が今年のものだったら観に行けたのですがね、もう6年も前のことですから・・・この市民が持っていたという修復された美術品は、展示した後どのようになったのでしょうね。たまにはこうして展示されているかも知れません。
ぼんくらさんすごいですね。。歩かれたhistoryは宝ですね
おかげで見せて頂く機会があり喜んでいます。