山形の森 保守醒論

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検定教科書・採択審議の闇が見えてくる!。

2011-12-06 12:16:31 | Weblog
沖縄県八重山地区教科書問題を、はじめとする検定教科書・採択審議の闇。
産経新聞「採択の危機」から教委事務局が主導し、中立的立場で採択にあたる教育委員の判断を形骸化し、教育委員の推薦にも拘らず、地区協議会で覆されたり、事務局主導で教委の意向(採択権)が反映されない事情が見えてきた。
石川県加賀市教育委員会での採択審議の過程で、教育長と教育委員長が「採択委の考えを総合的に判断して学校現場に説明できる教科書を」と述べ、意見が教育委員側と対立したとする内容は、『日教組(教育現場)の意向を忖度する』と思われる行為が罷り通っていることを表わしている。
保守地盤とされる北陸・石川県でさえ、このような有様であるから他地域では、さらに(事務局主導の)深入りした採択審議が行われているだろうことは想像できる。
そもそも教科書採択に、これほど左翼勢力が強く絡んでくるのかは、共産主義者による戦後の暴力革命からの転換策として、教育による革命思想戦略が根底にある。
朝鮮戦争勃発(1950.6)により、米は吉田首相に再軍備を要求してきた。
北朝鮮(ソ中)の社会主義勢力と連携する日教組は、連合軍の後方支援ともなる再軍備に反対し、(日教組潜入の共産党員は、1951.1第18中委で)「教え子を再び戦場に送るな」のスローガンを採択、(再軍備反対の)反戦運動を展開していく。
日本共産党は4全協(1951.2)で武装闘争方針を決定、ゲリラによる後方撹乱作戦を繰り広げる。
このような中で行われた第25回総選挙(1952.10)で、国民の支持を失った暴力共産党は議席0(全滅)の惨敗を喫する。
方針転換を迫られた共産党は、レーニン著書『国家と革命』(1917.共産主義者のテキスト)に習って、「青少年をして祖国の前途に絶望せしめる事が、革命精神養成の最良の道である」から、教育革命路線に転換した。
昭和27年(1952)、日本共産党の志賀義雄(国際派)は、「何も武装闘争(革命)などする必要はない。共産党が作った教科書で、社会主義革命を信奉する日教組の教師が、みっちり反日教育を施せば、30~40年後にはその青少年が日本の支配者となり指導者となる。教育で共産革命は達成できる(青少年に対し祖国の前途に対する希望の燈を奪い、祖国蔑視、祖国呪詛の精神を扶植することが、革命への近道だ)」と力説している。
教科書検定・採択制度で教科書支配をすることは、その前提で教育革命の基本戦略にある。
日教組は共産党から社会党(1961.2)、民主党(1996.9)と転移増殖を重ねてきている。
共産党員の縛りを離れた共産主義者は、特亜諸国工作機関と内通して反日活動を続けて来ている。
沖縄に見られる反日統一戦線は、共産・社民はもとより、中核・革マル、在日などの過激派勢力をも抱合した形態を見せている。
志賀義雄が目論んだ通りに、戦後60余年を経た今日の日本政治は、日教組教育で赤化汚染された民主党政治家に政権奪取され国家崩落過程にある。
教育革命に勤しむ癌細胞(日教組)と宥和し続ければ、手遅れの事態となる。
日本共産党は、(1950.6)朝鮮戦争勃発の経緯について、1988.9に「北(朝鮮)からの計画的侵略」と認めるまで、38年間も虚偽(南(米韓)からの侵略)を通してきたものである。

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