2016年5月27日、オバマ大統領が広島を訪問し、そこで式辞が読み上げられました。この記事は、英語の原文と報道各社が公表した日本語訳を比較し、直訳は誤訳だということを書いたものです。
この記事の目次
・原文、私訳、原文の輪郭
・英文Cの解釈
修辞疑問文
代名詞の解釈
・英文D、Eの解釈
性別表現は直訳しない
数詞も直訳できない
・羊の皮をかぶった名詞
~原文、私訳、原文の輪郭~
Remarks by President Obama at Hiroshima Peace Memorial
A) Seventy-one years ago, on a bright, cloudless morning, death fell from the sky and the world was changed.
B) A flash of light and a wall of fire destroyed a city and demonstrated that mankind possessed the means to destroy itself.
C) Why do we come to this place, to Hiroshima?
D) We come to ponder a terrible force unleashed in a not so distant past.
E) We come to mourn the dead, including over 100,000 in Japanese men, women and children; thousands of Koreans; a dozen Americans held prisoner.
私訳 『オバマ大統領広島訪問式辞』
A) 71年前のある朝。雲一つない青空に一発の爆弾が落され、広島は死の街へと一変したのです。
B) まぶしく光った次の瞬間、街は燃えあがり焼け野原となりました。この爆弾は人類を滅ぼす力を見せつけたのです。
C) 本日ここ広島で、ご列席の皆様方とお会いすることができました。
D') 核兵器廃絶に向けた願い、また、犠牲となった方々を悼む心は、私も皆様方も同じであります。
E') 10万人を超える日本人が命を落とし、そこには子どもも含まれています。数多くの朝鮮半島出身者、そして12人のアメリカ人捕虜も犠牲になりました。これは遠い過去の出来事ではありません。
原文の輪郭については『直訳は誤訳-1』で検討しました。以下がその要点です。
・オバマ大統領は礼儀正しさ、日本文化への敬意を持って式辞を読んだ。
・式辞の文体は、子どもにも理解できる優しい英語で書かれている。
・忌避の規則によって『原子爆弾』を言い換えている箇所がある。明確な訳出をする。
・人称代名詞weは『オバマ大統領と参列者』という意味で使われている。
以下、細部の検討に入ります。
~英文Cの解釈~
C) Why do we come to this place, to Hiroshima?
D) We come to ponder a terrible force unleashed in a not so distant past.
E) We come to mourn the dead, including over 100,000 in Japanese men, women and children; thousands of Koreans; a dozen Americans held prisoner.
C~Eの文はQ&A形式になっていて、これは日本人でも理解できる易しい英語にしようという大統領の配慮によるものです。C~Eの英文は、英語ネイティブ10歳の子どもでも分かる非常に易しい言い回しになっています。またC~Eはwe come toが3回使われています。こうした繰り返し表現は英語では幼稚な表現になるので、通常こうした繰り返し表現を大人は使いません。これも、日本人に理解できる易しい英語で表現しようという大統領の配慮によるものです。C~Eは特別に分かりやすい英語の言い回しで書かれています。原文解釈というものは『英語の疑問文を、日本語の疑問文に直訳すること』が重要なのではありません。『原文の意図を理解すること』が重要なのです。日本の英語教育は、ここがスッポリ抜け落ちています。
~修辞疑問文~
翻訳(通訳)というのは、微に入り細に入り文法解釈を施すことが正しい翻訳法だと、ほとんどの人は思っているようですが、原文解釈をするのにガチガチの文法解釈をおこなうと、必ず誤訳になります。理由はシンプルです、人間が考案した文法解釈は不完全だからです。
例を挙げると『A no more~than B~』という英文に対し、日本ではクジラ構文という形で翻訳するよう教えています。ところで、長い歴史のなか使われてきた英語の修辞表現が、長い間使われてきた日本語の係り結び表現と完全に一致する、そんなことがあるでしょうか?『クジラ構文が日本語訳で成り立たないのは、クジラが魚でないのと同じです???』こんなおかしな日本語、日本語ネイティブは作りません。クジラ構文は、英語の修辞表現と日本語の掛かり結びは完全に一致する、という幻想に過ぎないのです。詳しくは『オバマ大統領就任演説 クジラ構文が当てはまらない』で書かせていただきました。興味のある方はお読みください。
文法知識が必要な場合もありますが、何でもかんでも文法に頼って外国語を理解するというやり方はお勧めしません。しかし、文法上の説明をしないと納得できない方が多いと思うので、文法のお話しもさせていただきます。
英語で疑問文で表される文というのは、いくつかに分類することができます。
・WH疑問文
・yes,no疑問文
・平叙疑問文
・修辞疑問文
・その他
修辞疑問文の中に『hypophora 自問表現』という形があります。
例文
“What made me take this trip to Africa? There is no quick explanation. Things got worse and worse and worse and pretty soon they were too complicated.”
直訳
何が私をアフリカへ旅をさせたのか?。早い説明はない。物事が悪化し、そして悪化し、そして悪化し、そしてかなり直ぐに、彼らは余りにも複雑だった。
What made me take this trip to Africa?は、自問表現にあたります。これは、誰かに疑問を投げかけて、返事を求めているのではありません。本人に何か言いたいことがあるのですが、話しの切り口として配置された修辞表現になっています。形式上は確かに疑問文ですが、これをそのまま疑問文で訳出する必要はありません。比喩や修辞表現は直訳できない場合がほとんどです。文脈が分からないので意味を確定できませんが、次のような訳出ができます。
私訳
アフリカを旅することになったのは、話しをすれば長くなるんだがね、何をやっても裏目に出て、悪循環の繰り返し。終いには八方ふさがりになったってところかな。
私訳のように自問表現は、平叙文として訳出する、そういうテクニックがあります。学校では『英語の疑問文⇒日本語の疑問文』このように直訳することを教えますが、基本的にどのような言語であっても直訳はできません。英文Cは自問表現なので、疑問文に直訳してはダメです。
C) Why do we come to this place, to Hiroshima?
イメージ図
~代名詞の解釈~
報道各社はweを『私たち、われわれ』と代名詞のまま直訳し『私たちはなぜここ広島に来るのでしょうか』といった訳文にしています。これを日本人が読んだ場合『日本中、いや世界中の人が広島を訪れます。どうして人々は広島に来るのでしょう』という意味に理解しますが、原文は違う意図で書かれています。
weは『オバマ大統領と参列者』という意味で使われています。weを使うことで、『かつて敵国として戦った日本とアメリカですが、一緒に核兵器廃絶について考えましょう。一緒に犠牲者に哀悼の意を捧げましょう』と、連帯感を表しています。たかがwe、されどweです。
イメージ図から分かる通り『we come to this place, to Hiroshima』は、『私は広島に来ました。そしてご列席の皆様も広島に来ました。私たちはいま同じ場所にいます』という意味を表しています。直訳文は、原文が持つ意図を表現することができません。
以上をまとめると、次のようになります。
・英文は形式上疑問文ですが、平叙文として訳出する。
・子どもにも分かるような、やさしいことば使いにする。
・weには『オバマ大統領と式場の皆様』という意味がある。
私訳
C) 本日ここ広島で、ご列席の皆様方とお会いすることができました。
追記
Why do we come to this place, to Hiroshima?
英文Cを見ると、英語の動詞(do we come)は、現在形になっていますが、これを日本語にする場合、過去形で翻訳しなければなりません。もし現在形で日本語を作ると、次のようになります。
誤訳 本日ここ広島で、ご列席の皆様方とお会いすることができます。
英語(外国語)で現在時制で表現された文は、日本語に翻訳する場合、過去形で表現されることもあります。外国語と日本語の時制概念は根本的に異なるからです。学校では『外国語の現在時制⇒日本語の現在時制』と直訳することを教えますが、これは誤訳の元です。言語には恣意性があるのです。
~英文D、Eの解釈~
D) We come to ponder a terrible force unleashed in a not so distant past.
E) We come to mourn the dead, including over 100,000 in Japanese men, women and children; thousands of Koreans; a dozen Americans held prisoner.
イメージ画像
報道各社とも『a terrible force unleashed』を、『解き放たれた恐ろしい力』と直訳していますが、これでは意味が分かりません。これだと読者に『原子爆弾を作る技術が世界中に広まった』という意味に誤解させます。ご丁寧に一語一語直訳するから誤訳になるのです。『直訳は誤訳-1』で書かせていただきましたが、これは忌避の規則で『核兵器』を修辞的に言い換えた表現です。
続いて、動詞を直訳すると次のような訳文になります。『We come to ponder a terrible force unleashed』は『(核兵器に)思いをはせるために訪れる』『(核兵器を)深く考えるためにここにやってきました』。これもおかしな日本語です。『核兵器に思いをはせる』というのは『核兵器が恋しい』という意味でしょうか?『核兵器を深く考える』というのは『核兵器の研究を深める』という意味でしょうか?直訳するとおかしな日本語訳になります。
2009年4月オバマ大統領はプラハで核軍縮に取り組むことを演説し、同年秋ノーベル平和賞を受賞します。A~Eの英文には書かれていませんが、大統領は『核兵器廃絶、核兵器のない世界を目指す』ことを後述しています。広島で読まれた式辞も核兵器廃絶を訴える内容です。『ponder a terrible force unleashed』はハイコンテクストで『核兵器廃絶について考える』という意味になっています。原文がハイコンテクストになっていることを理解できるかどうかがポイントです。報道各社の訳文を見ると、これを理解しているものは、ひとつもありません。
『we=オバマ大統領と式場の皆様』という意味です。『We come to ponder a terrible force unleashed』は、『私は、核兵器廃絶の思いを持ち広島に来ました。式場の皆様も、核兵器廃絶の思いを持ち広島に来ました。私たちは同じ思いを持ちここに来たのです』と言い換える事ができます。
報道各社は『D) 私たちはそう遠くない過去に解き放たれた恐ろしい力に思いをはせるために訪れるのです』と直訳しています。理解しにくい不快な文になったのは、『in a not so distant past』をDの訳文に入れてるからです。
私訳1 不快な日本語
D) そう遠くない過去に解き放たれた核兵器への深い考え、また、犠牲となった方々を悼む心は、私も皆様方も同じであります。
E) 10万人を超える日本人が命を落とし・・・12人のアメリカ人捕虜も犠牲になりました。
英文D、Eは、一つのまとまりとして考えることができます。D、Eで『We come to~』が繰り返されています。同じ主語、同じ動詞、同じ時制です。本来、一文で表現できたのですが、分かりやすい言い回しにするため二文に分けたのです。『in a not so distant past』を、Eの訳文に移動させます。
私訳2
D') 核兵器廃絶に向けた願い、また、犠牲となった方々を悼む心は、私も皆様方も同じであります。
E') 10万人を超える日本人が命を落とし・・・12人のアメリカ人捕虜も犠牲になりました。これは遠い過去の出来事ではありません。
『in a not so distant past』を移動させないと、日本語として成り立つ訳文になりません。英文D、Eは、同じ主語、同じ動詞、同じ時制なので、こうしたテクニックを使うことができます。
以上をまとめると、次のようになります。
・『a terrible force unleashed』は原子爆弾、核兵器を言い換えた表現。
・『ponder a terrible force unleashed』はハイコンテクスト表現で『核兵器廃絶について考える』という意味。
・『we=オバマ大統領と式場の皆様』という意味。
・『in a not so distant past』はEの訳文に移動する。
私訳
D') 核兵器廃絶に向けた願い、また、犠牲となった方々を悼む心は、私も皆様方も同じであります。
~性別表現は直訳しない~
報道各社は『Japanese men, women and children』を、『日本の男性、女性、子どもたち』と直訳しました。こうした直訳は誤りです。英語では『人』のことを、わざわざ『男性+女性』と分けて表現する場合が多々あります。
例文1
choose a password he or she will not be able to guess.
直訳1
カレまたはカノジョに想像できないであろう、パスワードを選んでください。
直訳では意味が分かりません。he or sheは、『第三者、不特定の誰か』を意味することばです。次のように訳出しないと日本語になりません。
私訳1
パスワードは、他人に解読されにくいものにすること。
『he or she=人』『men and women=人』という意味です。これは辞書に載ってる定義です。報道各社は『Japanese men, women and children』を、『日本の男性、女性、子どもたち』と直訳していますが、基礎的な英単語が翻訳できていないということになります。日本語ネイティブティであれば、普通次のような書き方をします。『シリアでの内戦が始まって以降、これまでに29万人以上が死亡している。このうちの1万5000人は子どもだ』 AFP通信 シリア内戦の記事より引用
『Japanese men, women and children』は『10万人を超える日本人が命を落とし、そこには子どもも含まれています』と訳出するべきです。これが日本語ネイティブが使う日本語です。
~数詞も直訳できない~
報道各社は『thousands of Koreans』を次のように訳出しています。
朝日新聞 何千人もの朝鮮人
産経新聞 何千人もの朝鮮半島出身者
日経新聞 数千人の朝鮮半島出身の人々
読売新聞 多くの朝鮮半島出身者
東京新聞 多くの朝鮮半島出身者
中日新聞 多くの朝鮮半島出身者
中国新聞 多くの朝鮮半島出身者
毎日新聞 多数の朝鮮半島出身者
英語と日本語では位取りにも違いがあります。日本語には、一十百千万・・・万の位がありますが、英語に万の位はありません。日本語の『二万』は、『twenty thousand 二十「千」』、『二十万』は『two hundred thousand 二百「千」』と表現します。
英語の『thousands of~』は、千~九十九万という幅広い数値を意味します。
広島で犠牲になった朝鮮人は、1~4万人であろうと言われています※。大統領はこうした下調べをして式辞を書いたはずです。1~4万人を英語で表すと『thousands of~』となります。
※ 韓国人・朝鮮人被爆者問題と新聞報道 広島大学文書館 石田雅春助教授
『thousands of~』を『数千、何千』と直訳すると、二千~九千という意味になり『1~4万人』というデータと違ってしまいます。これでは誤訳です。『thousands of~』は、『数多くの~』と翻訳せざるを得ないのです。
余談になりますが、『tens of thousands of』という表現方法があります。これは『二万人~九万人』という意味になります。しかし、何か理屈っぽい言い回しで普通の会話では使われません。
以上をまとめると、次のようになります。
・『Japanese men, women』は、『日本人』と訳出する。
・『thousands of~』は、『数多くの~』と訳出する。
・『in a not so distant past』を、Eの訳文に持ってくる。
私訳
E') 10万人を超える日本人が命を落とし、そこには子どもも含まれています。数多くの朝鮮半島出身者、そして12人のアメリカ人捕虜も犠牲になりました。これは遠い過去の出来事ではありません。
オバマ大統領の式辞は易しい英語で書かれたものですが、プロの翻訳者でも多くの間違いをおかしていることが、お分かりになったことでしょう。報道各社は、意味不明な日本語の訳文を公表しましたが、これではプロの仕事とはいえません。学校の単語詰め込み教育と文法主義が、直訳英語を生み出す元凶です。言語には恣意性があるという理解が、第二言語習得における本当の土台になるのです。
私訳 『オバマ大統領広島訪問式辞』
A) 71年前のある朝。雲一つない青空に一発の爆弾が落され、広島は死の街へと一変したのです。
B) まぶしく光った次の瞬間、街は燃えあがり焼け野原となりました。この爆弾は人類を滅ぼす力を見せつけたのです。
C) 本日ここ広島で、ご列席の皆様方とお会いすることができました。
D') 核兵器廃絶に向けた願い、また、犠牲となった方々を悼む心は、私も皆様方も同じであります。
E') 10万人を超える日本人が命を落とし、そこには子どもも含まれています。数多くの朝鮮半島出身者、そして12人のアメリカ人捕虜も犠牲になりました。これは遠い過去の出来事ではありません。
~羊の皮をかぶった名詞~
次の英語は、A~Eで使われたものです。『death、world、A flash of light、a wall of fire、we、a terrible force 、the means to destroy、men,women、thousands』これらは全て名詞で、しかも中学校で教わる易しいレベルのものですが、どの報道機関もこの名詞で解釈を間違っていました。通訳、翻訳で一番難儀するのは名詞の解釈になります。『えっ、動詞のほうが難しいんじゃないの?』と思われるかも知れませんが、動詞、形容詞、副詞についても、翻訳をするとラベル(代表的な定義)から外れた意味になりますが、まだ原形を留めるほうです。ところが名詞を翻訳すると、元のラベルからは想像つかないくらい離れた意味になることがあります。名詞の解釈が一番厄介です。直訳をすると、間違いなく名詞の餌食になります。直訳は誤訳です。
エペソ2:14~16 リビングバイブル
14.キリストこそ、私たちの平和の道です。この方は、私たちユダヤ人とあなたがた外国人とを一つの家族とし、両者を隔てていた壁を打ちこわして、平和をつくり出してくださいました。
15.ご自分の死によって、互いの激しい敵意を除いてくださったのです。その敵意の原因は、ユダヤ人を特別扱いし、外国人をのけ者にするユダヤ教のさまざまな戒律でした。その律法制度自体を無効にするために、キリストは死んでくださったのです。そして、互いに対立していた二つのものを融合させ、新しい一つの体をつくり上げて、平和を実現されました。
16.両者が神と和解し、同じ体のそれぞれの器官になったので、互いの怒りは消え去りました。こうして互いの反目は、十字架によって終わりを告げたのです。