エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

生肉(GR)

2008-12-23 05:50:48 | Weblog
先日生肉を食べに行ってきた。
健康管理委員からは控えるように、と言われているのだが。
理由は食中毒と寄生虫。
過去に隊員が食べて何回か下痢になっていて、リスクが高いからだ。
まああまり細かい理由は説明しなくてもなんとなく理解してもらえるだろう。


ただ、うまい…
寿司は危険だからやめろって言われてやめられますか?
カツ丼目の前に出されて断れますか?

この日はエチオピア人の友達に誘われて昼飯を生肉に招待してもらった。
これはもう仕事帰りに上司に飲みに誘われて断れないのと同じことである。
「なんだ、連れないな!」
である。
初めて出会った人に勧められたら断れるかもしれないが、仲の良い友達に勧められて断るのはやはり気が悪い。彼らとしても気が悪いだろう。
それにこの国は何を食べても当たるときは当たる。
ヒ○トンホテルでも…といううわさ。
まあこうして言い訳だけで数行使ってる自分を見ると後ろめたいのであろう。

気になる結果は…(食中毒の)
ムヌムチグレヤレム(無問題)
気のせいか次の日おならが少しかぐわしかったくらい。
決して良いにおいではないのは説明不要であろうが。
実は以前にも生肉は食べたことがあり、全く問題がなかった。
そしてこの日に食べたこの店は誰も一度も当たったことが無い店ということで有名らしい。
それを聞いてエチオピア人自体も恐れていることが分かってしまったが。
実際に肉は新鮮で、脂が少なく硬いことがほとんどのエチオピア産牛肉としては異例の柔らかさを誇っていた。
味はまあ日本で皆さんが買ってきた肉を生で食していただければ分かることなのだが、おいしい。
語彙に乏しいのでこれで勘弁してください。
まあそんなに詳細に記述したところで所詮は文章ですから。
どうしても気になる方は肉屋で牛肉を買ってきて食べてください。
エチオピアで大丈夫なのだから日本では大丈夫、なはず。
責任は取りません。
ちなみに僕を含むこちらに住む日本人のお腹は普通の日本人とは既に耐力が違うとは思いますが。

肉は一番上の写真にあるように運ばれてきて、こちらの主食インジェラと、パンが一緒に出てくる。
肉はナイフで自分が食べる分を切って、インジェラ、またはパンで肉をつまんで手前にある辛いタレに付けて食べる。
香辛料の入ったソースで、香りはわさびみたいだった。
日本人同士で来る時はエバラ黄金のタレを忘れずにもって行く。


肉はこのようにして吊るされていて、その場で必要分を切り刻んでいく。
持ち帰りように切り売りもしている。
大体が持ち帰り用の肉屋さんと食事所がセットになっているところが多い。


一緒に行った友達。
一番右にいるのがマイケルで、エチオピア人建築家。
彼をとして他の二人とも友達に。
一番左のメコネンはしきりに日本人の女の子を紹介してくれ、と笑いながら迫ってくる。
国籍を特定して要求してくる人には紹介できないね。
ちなみに彼の車は数多く入ってきている日本からの輸入車で、前オーナーの痕跡として「釣恋人(つれんど)」というステッカーが貼られている。
彼は多分わざと残しているのだが、意味は分かっていない。
釣りが恋人の彼に大事な友達は紹介できまい。


生肉を食べることはリスクはあるが、死ぬわけじゃあない。
こういったことを繰り返していかないと何も広がっていかないのである。
ちなみに食中毒になると動けないくらいに腹痛がし、高熱が出る。(体験済み)

思う(DP1)

2008-12-19 05:45:55 | Weblog
「昔はここら辺一体砂利道でね、空き地があってそこで子供達が遊んでたりしたのよ。」
とか、
「昔は・・・だったんだけど今はすっかり変わっちゃったね」
というのを子供の頃から今に至るまで良く聞く。
子供の頃は自分の居なかった時代の変化について思いを馳せていたが、自分が生きてみてそれが脈々と続いていることを感じた。

最近夕方5時から家の周りを散歩に出ることにしている。

始まりはこの道

ここは毎日が快晴、そして赤道にも近いので、散歩を同じ時間に始めると毎日同じ風景が見られると言っても過言ではないかもしれない。
道は石畳、と言って我々がイメージするものとは程遠い石畳があり、その先に砂利道の大通りが広がっている。
家を出てからずっと砂利道を歩いている。
あえて選んでいると言うよりかは、心のままに歩いていくと自然と砂利道を選んでしまう。

歩いていると子供達が道端で遊ぶ風景、下校途中の子供達、スックと呼ばれる100m置きくらいに点在する駄菓子屋のような日用品屋さん、そこに溜まって何するでもなく時間を過ごす人々、男同士で小学生のように取っ組み合ってじゃれ合う人たち、羊達を連れた羊飼い、すれ違いざまにエチオピア流のとてもとても長いあいさつを交わしたり。
とても表情が豊かなのである。
…と思ってほほえましく見てるとたまに「チャイナ!」と言われたりもするが…

日本も少し昔はこうだったのではないか、と思う。
僕はそれらが失われつつある時代に生まれて、今は体験としてほとんどそれを知らない。
でもかつての日本はこうだったのではないか。
そう思いたいだけなのかもしれない。
親の世代はその過渡期を生きてきているはずだと思うので、両親がエチオピアに来た際には是非散歩に連れ出して意見を聞きたい。

彼らは全く信じないだろうが、今彼らが手にしているそういった豊かさを失うことは発展とともにいとも簡単なのではないだろうか?
かつての日本だって(僕が想像しているとおりであれば)そういった情緒や風情が発展とともに消え去ってしまうなんて思いもしなかったであろう。
もしかすると今現在でも我々日本人がまだ辛うじて持っていて、後からなくしたことを悔やむであろう情緒や風情があるのかもしれないが。
そしてそのエチオピアを見てエチオピアを憂うと同時にそれらを失ってしまった日本を憂う。
日本はもう取り戻せないのだろうか?
どうやったら取り戻せるのであろうか?
そして何を本当に失ってしまったのだろうか?
エチオピアを散歩しながらそんなことばかりを考えている。



比較的大きなとおりもメイン通りから外れるとこのように砂利道になっている


男同士が二人で歩いている後姿を見るとなんだか凄く楽しそうで、かわいくて、ほほえましいのである。
たいていがキャッキャ言いながら笑い話をしている。
この国は男同士で手を繋いで歩いたりもする。


家の前の道。
例に漏れず砂利道で良いのだが、大通りからタクシーで来ると10ブル(約100円)多く請求される。


少し歩くとこんなブリキで出来た小屋が沢山ある。
ちなみにこの中は機織(はたおり)小屋。伝統布を織っている、多分。
一回訪問しようと狙っている。


家の近くの二階にあるカフェからの大通りの眺め。
建物は平均的に依然としてまだ低い。


このように大型ビルが建設ラッシュになっている。
多くは複合ショッピングビルになる。
そしてタクシードライバーは
「アジスアベバはこれからこういうビルが建ち並んで素晴らしい都市になるんだ!」
と言っている。


そしてそのすぐ反対側にはこんなのが広がっていたりする。


そんなこんなを横目にしながらカフェでマキアートを飲みながら本を読み、家路に着く。

陽射し(DP1)

2008-12-12 21:47:56 | Weblog
車も日差しを避ける。
まあ中に居るのは人間だからなんだけど。

アジスでも数少ない信号待ちで、車たちが日光を避けている様子。


陽射しが凄い。半端じゃない。
日向に居たら干からびるってのは、ほんとだと思う。
気温は恐らく昼で20度ちょっと、夜で12~3度。
車も日向を避ける。

車内は暑いが、室内はとても過ごしやすく涼しい。
この国の住宅にエアコンは皆無である。

Photo: Cars are avoiding the sunshine.

先生不在(DP1)

2008-12-12 21:45:03 | Weblog
先週先々週と隣のクラスの先生が来ておらず、気になっていた。
隣のクラスは先生の中では一番話していたムクルという先生のクラスで、僕と同じ「建築デザイン製図」という最終的に一軒家をデザインして製図・模型製作するという授業を行っていた。
授業の科目が同じと言うこと、人生で先生は初めてなので色々と分からないことを聞いたり、うちの大学の教え方について語ったりと、割とコミュニケーションを取っていた。
その彼がここ二週間ほど学校に顔を見せていなかった。
「ムクルは?」
と生徒に聞くと、ただ
「来てない」
とか、
「病気らしい」
とか。
今週の頭に学校が急に休みになったことによって、学科長と久々にゆっくりと話をする機会があった。
最近はどうかとか、ここはこうでいいのかとか、感じたことなどを色々と話した。
その中で彼の口からはムクル、そしてもう一人仲の良かった先生が辞めた、と聞かされた。
「じゃあ生徒達は?」
と聞くと、先生が居ないんだ、と。
でもそれは知らされずに生徒達は毎日学校へ来ている。
ムクルももう一人の先生も25、6歳で歳も近く、一緒にコーヒーを飲みに行ったりして色々話をしたりと、良い関係だった、と思う。
二人の人間性もとてもよく、教え方についての話や、分からないことを二人から聞いたりしていた。
それが二週間ぱったりと来なくなって、授業の途中で居なくなってしまったのである。
居なくなった理由は二人とももっと良い仕事を見つけて辞めてしまった、とのこと。
先生の給料は15000円ほどで、副業をしている先生が多い。そして副業が転じて本業となり辞めていくのだろう。
これは他の学科で聞いてはいたが、いざ自分の科に起きてみるとそれがいかに身勝手であるかがよくわかる。

そこで同じ科目を教えている僕が急遽ピンチヒッターで彼らを受け持つことになった。
生徒達は二週間の遅れどころか、生徒達に聞いてみると先生は課題を出すだけで何も添削は無く、僕の教えているクラスからは既に1ヶ月の遅れが生じていた。
ちなみに授業はあと一ヵ月半。

その話をエチオピア人の友達に話をすると、そんなことはしょっちゅうだと言う。
「たった二週間だろ!?」
と逆に何を驚いているんだ、と言われた。
ただそれは皆がなれているだけの話であって、実害との印象は伴っていない。
実害は深刻である。
僕の授業は四ヶ月をかけて住宅一軒を設計するためにステップを踏んでスキルを上げて来た。
それが一ヶ月遅れていて、しかも彼らが何を教わっていて何を教わっていないのか、しかも彼らの特性も全く分からない。
今のところ2~3週間したら新しい先生が来ると言うが、それはまあ信用しない方が良いだろう。
終わりまで教える気で。

授業の時間は月火は二クラスとも同じ時間で、木曜日だけがずれている。
だから拘束時間の変化はそんなに無いのだが、重なっている分双方のクラスに片足ずつを突っ込む形になり、元々教えていたクラスに影響が出る。

先生が居なくなったのは残念だが、でも反面新しい生徒達との出会い、新たに考えなくてはいけないことが出てきたことは何だかエキサイティングである。
あとは最終提出に二クラスとも間に合わせることが出来れば文句は無い!

Photo: Classroom of drafting department.

おトイレ事情(DP1)

2008-12-11 23:10:36 | Weblog
たまには文化紹介みたいなこともしてみようかと思い、でも直球は苦手なので変化球で。
トイレである。

うちの大学には各階にトイレがあり、一階が生徒用、二回が教員用(教員しか鍵を持っていない)、三回が開かずの間(多分物置として使用)となっている。
これは教員用のトイレで、少し綺麗である。
学生用トイレに入るとまず床が満遍なく濡れている。
それがお掃除した後の水なのか、それとも的を逸れたアレなのかは定かではない…
よく
「なんでそこに立ってんの!?」っていうポジションに生徒の背中が見えて、その向こうに一筋の…
なのでズボンの裾が地面について居たりしたら悲劇である。


これが教員用トイレの全景。
真ん中に見えるのは恐らく過去に男性小便用として設けられたもの。
お互いの息子達を惜しげもなくさらす事になり、相手のおつりまで頂こうという作りである。
日本の中学校でこれを採用したら
「おめぇの○○!○○だなぁ!」
「○○の○○、○が生えてる!」
とかなんとか偉いことである。
恐らく1942年の創建以来の作り。


こちらは変わって大便器。
便器に降りるパイプが上のタンクまで伸びているが、当然水は出ない。
ちなみに小便も上の写真の小便器は使わずに、こちらを使っている。
小便器は物置になっている。時が過ぎれば小便器も汚く感じなくなったりするから不思議なものである。
大便器は日本で言う和式スタイルで、ウンチングスタイルで行う。
おつりは返ってきたことは無いが穴に直球で排泄したときは危険を感じるあの小気味良い音が聞こえるので、穴から避けて排泄している。
終わったあとは紙で拭くわけなのだが、エチオピアのトイレには総じて紙が無い。
自分はトイレットペーパーを携帯しているので問題ないが、現地の人がどうしているのかは謎である。
フォークとかはあまり使わずに手で食事をするエチオピア人。
食事で左手を使うのはタブーとされている。
用足し後の詳細な処理方法はあえて聞かないであやふやにしている…

使用後はもちろん水が流れないので、一番上の写真の洗面器?に置いてある塗料缶を利用したバケツに水道から水を汲んで、手動で流す。この缶も超汚い。そして週に何度かは断水する…

一番上の写真は間違いなく手洗い用ではあるが、同じ形式の男性小便器もある。
来たばかりの頃、隊員がレストランで用を足して手を洗っていたところ、その隣で小便をされたという…
それくらまぎわらしいものがたまにある。

最近出来たレストランとかでは洋式だったりするが、今度は便座が無い。
便座の無い便器の残された4センチ程の淵の上によく足跡が残っているのを目にする…
そしてそこでも紙が無い。

この国はレストランのウェイターの給料が良くても2000円程度で、なのにトイレットペーパーは1ロール45円もする。だから高級品なのだ。
外国人が良く行くようなちょっと高級なレストランやホテルに行かないと完全体のトイレには出会えない。

でも慣れてしまった。
下手な洋式よりもエチオピアン和式の方が気持ちはマシである。
日本の超綺麗なトイレよりもこういうほうがなんだか絵になる気がする。ってことはない!?

Photo1: Tap in restroom of my college.
Photo2: Restroom for teachers.
Photo3: Lavatory for stool.

休みになりました

2008-12-09 21:21:36 | Weblog
昨日はムスリムのお休み、だったので連休。
そして今日は仕事・・・のはずだったのだけれども、朝の9時に休みが決定。
なんじゃそりゃ。
エチオピアには決まった日にちの国民の休日の他、月を見て決めたり星の位置を見て決めたりする休日がある。
だからその周辺になると
「明日休み?どうなの?」
となる。
学校や職場によっては早々休みと決めてしまって、無用な混乱を避けている。

朝に出勤しようと思って家を出ると、大家のガブリエルから
「どこへ行くんだ!?」
と聞かれ、学校だと答えると大家の娘は休みらしい。
嫌な予感がして学科長に電話をかけると今日は在ると思う、とのこと。
仕方なく出発すると、通りを占拠する軍団と三回ほどすれ違った。
学校へ着くと門が閉まっていて、教員のみが出入りできるみたい。
一応僕も教員なので入り、他の先生と話をすると今日はもう帰ったほうが良い、とのこと。
そのうちに学生も入れるようになり、待っていたが、来たのは6人ほど。
ちなみにこの時間に今日は在ると言った学科長は来ていない。
僕はやることがなく所在無さげにしていたら、同僚のテディーが来た。
彼は35歳に見える26歳の青年で、貫禄のある髪型をしている。
西村雅彦(さん)や僕の未来形だ。
彼が先日行われた製図科の展示会の教室を見せてくれた。
作品は以下である。







これを見ているとアジスアベバの将来が思いやられる。
ちなみにこれらは実際に最近たっている新しいビルのデザインをそのまま踏襲している。
つまりはこういった建物が良しとされ、未来の設計に携わる人々も疑うことなく踏襲している。
発展に注視しすぎている途上国は、その辺が盲目である。
日本の高度経済成長期は体験していないが、日本の都市が壊れていく様というのはこういうものだったのではないか、と思う。
アジスアベバを通して日本の都市についてしばしば考える。


ちなみに今日は聞くところによると85個ほどあるエチオピア部族の何かを祝うお祭りだったらしい。
そしてこの日が祝日になったのは今年初、とのこと。
来年もこの日は祝日?と聞くと、多分、だって。
この不安定さが不便でもあり心地よくもある。
いい加減さはそれさえ受け入れられれば居心地の良いものへと変わる。

Photo: Cafe in Mexico square in front of St.Gerges beer factory.

西村雅彦(さん)

2008-12-09 20:31:17 | Weblog
隊員友達で韓国料理屋さんへ行った。
エチオピアには今のところ、今のところ日本料理屋さんはなく、味覚が似ている、のかなんだかよく分からないが、韓国料理屋さんがあるので良く利用している。
ここはいつも韓国人、日本人、そして世界各国の人々が食べていて、食べに行くとほぼ必ず知り合いに合う。
隊員、大使館の人、鹿島で働かれている人、そして韓国版JICAのKOICAの人達。
我々隊員はまあここの国の日本社会ではその中でも一番ペーペーにあたる。
エチオピアではそれでも余りそういった日本社会的な関わりが少ないので、のびのびと生活している。
ただここ韓国料理屋さんではたまに上の方々と出会って、しばしの交流が行われる。

先週にこのお店にまた行き、いつもの席に座ると、隣は8人の日本人が予約してるからここに座ってくれ、と言われた。
僕らは多分上の方々が来られるのだろうと思い、邪魔をしないように、邪魔をしないように、と思い離れにある個室に席を変えた。

その個室でしばらく食べていると、どうやら日本人8名が到着したようで、隊員の一人が様子を伺いに
「なんか撮影がどうとかこうとか言ってた」
と言っていた。何かのロケだろうか?
食べ終わってそろりと様子を見に行くと、その中に一人見覚えのある顔の人が居た。
撮影クルーに囲まれた西村雅彦(さん)である。
隊員の一人が
「すみません!青年海外・・・●●です!お食事中すみません!」
と言って声をかけると、西村(さん)はテレビで見たことのあるような上目遣いで
(なんだ!?)とでも言いたげにこっちを見る。
やばい・・・お休みのところを声かけて嫌がられたのか!!!
と思ったが、しぶしぶな感じで写真を一緒に取ってくれることを承諾した。
写真はプロのカメラマンが一応撮ってくださり、前の日記の写真に至る。

西村さんは意外に気さくで、隣に女の子がいて写真撮る時は、
「さわってもいいかな?」
と君の悪い低い声でささやき、僕が撮影スタッフにアムハラ語を聞かれて答えていると、
「自慢してんじゃねぇよ!」
と言って掴み掛かってきてくれた。
最後は
「頑張ろうぜ!」
って言って入り口まで顔を出して送ってくれた。
「頑張れよ!」
じゃないところが好感が持てたなぁ。

Photo: Me, my freinds and Japanese famous actor.

古畑任三郎(IXY)

2008-12-06 07:55:19 | Weblog
皆様ご無沙汰しております。
元気に生きております。
エチオピアに来て早5ヶ月、とかなんとか言ってる間にたぶん直ぐに半年。
とかなんとか言ってるうちに一年、とかなんとか言ってるうちに・・・
って感じで。

活動は順調に進んでいて、あと一月半で学期末。
といっても僕の学科は建築製図の学科なので、生徒は期末に向けて図面をひいて、もう少ししたら模型を作り始める。

教えていて思うのが、生徒達が大学生に見えない、ということ。
クラスで奇声は発するわ、席を立って好き勝手してるわ、音楽は聴いてるわ、電話してるわ。
最初の頃は課題を出して一日完結で終わったら帰ってよいって言うものだったので、全員集中してやってたんだけど、最近はプロジェクトワークと言って授業に来てただ図面を書いて、僕が個人個人回っていく、というもの。
そしてその中で気がついたことをまとめて授業の最初にレクチャーはするものの、8:30開始の授業にまず全員揃わないし、猶予を与えて8:45までは遅刻扱いにしないと言って、一分でもそれを過ぎたら遅刻扱いに。
そしたら
「ティーチャー一分しか遅れてないじゃないか!酷いよ!」
正解は16分の遅れである。
補足をしておくと、8:30に来ている先生は僕だけである。
あとは僕が言ったことを理解してくれて来てくれてる可愛い生徒達だけ。
僕の使っている教室の鍵は学科長がもっているのだが、彼もまた・・・
なのでいつも掃除のおばちゃんに無理を言って開けてもらっている。
もちろん自分用の鍵を欲しいので頼んでいるのだが、早二週間・・・

他の国の友達の話を聞いているとこのアフリカンタイムはアフリカ全国共通。
そして何故アフリカだけがこんなにルーズになってしまったのかを考えてしまう。
理由はまあいくつか考えられるけど、それはまた別の機会に・・・

生徒の言い訳、珍言シリーズ
「ティーチャー、午後の授業がテストだから帰っても良いかい?」
もちろんだめ
「ティーチャー、家に道具全部忘れてきたから帰っても良いかい?」
問いただすものの、何もすることが無いので帰らせる。欠席扱い
「ティーチャー、お腹が空いたからもう帰っても良いかい?」
もちろんだめ

もっともっとあったはずだけど忘れてしまった。
ちなみにお腹が空いたから・・・はポピュラーである。

生徒に細かく問いただしたいのだが、そういった生徒は英語の通じないのが大半なので、なかなか骨が折れる。
最初は友好を深めるために優しく接していたが、最近はたまに厳しく行っている。
最初に友好を深めたせいもあって、本気で怒ると割と言う事を聞いてくれる。

先生の言うことなんて聞いたことのないぼくは、今になって先生の気持ちを痛いほど分かる。

Photo: Me and other volunteers.