エチオピアエチオピア

代田橋からこんにちは

懐かしさ(E-410)

2010-03-29 04:13:47 | Weblog
パソコン作業をした後に家の洗面所で手を洗っていた。
ふと、あと約二ヵ月半後、この洗面台で手を洗うことは一生無いんだな、と思った。
ちょっと錆びた排水溝、汚れの目立つ真っ白な陶器、パイプから水がたまに漏れて水浸しになる床、タイルの手触り、ドアを閉める音。
すると今までエチオピアで過ごしてきたありとあらゆる時間が頭の中に駆け巡った。
ほとんど全てが何てことの無い、そして何の記憶であるかはっきりと分からない断片的なシーン。
誰かと家で喋っている記憶、仲の良いエチオピア人友達の笑顔、仲の良い大家の顔、家の前の砂利道、スックのおばちゃん、強い日差し、田舎の風景、道行く人、街角、喫茶店、ほんとにありとあらゆるいつどこでの記憶か、それともここで過ごしてきた全ての時間から自分が想像で作り出した、当たり前だった全ての風景か。

全てが懐かしく思えた。
正直この国が大好きであるかと問われると良く分からない。
よく分からないと言う事は大好き、ではないのだろうと認識している。
でも好きである。真ん中より好き寄り、ということだろう。
そんな国で過ごしてきたなんてことの無い全てが愛しく思えて仕方が無い。
そして同時にあと二ヵ月半で、今までそんな風に振り返ったことのないこの二年間が一気に過去のものとしてこの国に置いて行かれてしまうのではないかと感じてしまっている。
置いてきてしまうのであろうか?恐らくそんな事はない。
そんな事はないと分かってはいるけれども、帰る、という行為と同時にそれらを置いてきてしまうのではないかと恐れてしまっている。
恐れてしまっているのか?その言葉もしっくりとは来ない。
それとも自分がこの国に、いやこの二年間の記憶に置いていかれると感じているのかもしれない。
自分の選択で二ヵ月半後に帰ると言うよりも、時間が来たからはい終わりですよ、と誰かに言われているみたいに。

でもそれらは紛れもなく30年生きてきている自分の人生の一部であり、蓄積されていくはずである。
なのに今は考えれば考えるほど自分とこの時間が切り離されてしまう気がしてならない。
絶えることなく連続するはずの時間が今はひとつの塊となって後ろを着いて来ている。
どうか離れないで着いて来てくれよ!

質(E-410)

2010-03-25 04:06:14 | Weblog

雨量の低下と電力需要の増大により去年は停電が続いた。
今年は新ダム建設が終わり、そして雨量もあったために停電は無いか、と思っていたら新ダムに問題発生。また定期的な停電生活に。
電気がないときは電気がなくてできることをする。
パソコンを使わない仕事を溜めておいて。
パソコンのファンの音のしない中紙に向かって仕事をする、これがなんだか心地よかったりする。
よくよく考えればパソコンなんて使わないで仕事する歴史のほうが長かったんだし、パソコンなんてなくっても何だって出来てたはずなんだなぁ~、と思ったり。
今やアフリカでさえパソコンの有無はかなり違う。
紙に仕事するように仕事できるパソコン、無いかなぁ~。
そういう進化の仕方ってしないもんかね?

距離(E-410)

2010-03-21 05:42:36 | Weblog

エチオピアで学んだこと、持って帰りたいことは何か、ともし問われたならば、人と人との距離、と答えるだろう。
エチオピアはほんとうに人と人の距離が近い。
知らない人同士はバスで隣に座っただけで会話してるし、小学生がバスに乗ってきたら席を詰めて座らせてあげて、危なくないように自然に肩を抱いててあげたり。
時には知らない子が知らない人の膝の上に座ってたりする。
若い女性は気にせずおっちゃんの隣にきつきつで座るし、おっちゃんも別に喜んだ顔をするわけでもなく普通に座っている。
僕はやっぱり隣に綺麗な女性が来たらそりゃ嬉しくなってしまうのだが、それはひた隠しに平静を装っている。
さておき、それを同じ日本でもししたとしたらかなり不自然だろう。
でもなんで日本はそんなに人と距離をとる様になってしまったんだろうか?と思う。
まあ元々距離を取る文化である、ということはあるのかもしれないけれどもそれにしても違和感を感じる。
別にスキンシップが重要と言っているのではない。
スキンシップに現れているエチオピア人の他人同士の心と心の距離の話である。
なぜこれをもって帰りたいのか、それは単純に居心地が良いからである。
何か人間の始原的在り方に関係しているのではないかと思っている。
日本に帰った隊員からよく聞く話が、皆が自分に無関心なのが本当に寂しい、と。
まあそんなことはまだ良く分からないけれども、日本に帰ったら自分だけでもそういった距離感で人と接していければよいな、と思うのである。
みなさんひとつよろしくお願いいたします。

神々の(E-410)

2010-03-18 05:30:00 | Weblog

ブログの為に写真を撮るのは好きではない。
でも撮っちゃった。まあいいや。
三部作といえる小説を一気に読み終わった。
読みたい小説があるときは我慢ができないので時間があれば読んでしまう。
でももう残りのページが少なくなってくるとクライマックスが楽しみなのと同時に、もう終わってしまうのか・・・
と思うのは誰しも同じであろう。

今活動があと三ヶ月丁度くらいである。
帰ることに憂えては居ない。むしろ楽しみである。
小説は読み終わると楽しかったときを思って憂えてしまうが、でも面白い小説は尽きる事はないだろう。
この三ヶ月だって一緒だ。帰ったらまた新しい小説の様なものが待っているはずだ。
残り少ないページを一気に駆け抜けてやろう!と思っている。
Photo: The book

訪問(GR)

2010-03-11 02:52:02 | Weblog

機会があって幼稚園を見学に行ってきた。
これは私立の幼稚園で、行った事はないが話しに聞く公立の幼稚園とは全く違う設備なのだろう。
私立は授業を全部英語でやり、保母さんは全員英語ペラペラ。
公立は英語を話せない人が英語の授業を担当(一応授業としてあるらしい)
私立は本や遊ぶ道具がきちっとある
公立は恐らくそんなお金は無い。
私立を出た生徒はそのまま私立の小学校へ行き、私立の高校まで進み、大学へ入る。
校内では休み時間も含めて英語で喋ることが義務付けられているので、エチオピア人同士で英語で話しながら帰る生徒を沢山見る。
公立は高校生で問題なくコミュニケーションを取れる生徒は2割ほどらしく、それも親が家で英語で喋るようにしているからということが多いらしい。

よく日本人は何故英語を話せないのか、と聞かれるが、日本は英語の必要性が薄いからだろう。
エチオピアはほぼ全ての学術的な文献は英語に頼るしかなく、高等教育に進もうとすると自ずと英語が必要になってくる。
テストも全て英語で行われるため、英語が苦手な生徒はいくら科学的に優れた頭があっても勉強についていけなくなる。

大学へ行けなかった生徒は短大、もしくは高校卒業と同時に社会へ出発する。
大学へ行った生徒はその後安定した仕事に就き、行けなかった生徒は中々仕事を見つけられない。

ここまで書いて何が言いたいのか自分でもはっきりとはしていないが、なんだかなぁ、と思う状況がエチオピアにはある。
他のアフリカ諸国も然りなのではないかと勝手に想像している。

公立から大学へ這い上がってきた生徒には頑張れ、とエールを送ってあげたくなる。

そして自分は日本に生まれたからここまで這い上がってこられたのだな、と思う。
ろくに勉強もせず運良く大学に入れ、大した大学ではなかったが社会に出たら出身大学は余り関係ない(と思っている)世界に入れ、今はなんとかやれている。
これがエチオピアに生まれていたら高校すらいけたかどうか怪しい気がする。

何が言いたいんだろう、特に無いが、そんな感じである。

Photo: The classroom of the kindergarten.