宮古市の津波遺産は、破壊され、また巨大な越流を許して地区内で220人を超える犠牲者を出してしまった田老の防潮堤が第一である。先きに宮古市が募集していて先月で締め切った「津波遺産」への応募は0(ゼロ)、防潮堤はおろか、他の被災構築物の応募もなかったという。いやしい考えでそのようなことをするからそういう結果になるのである。ただの俗化企画に反発して0(ゼロ)にした市民感情の方が正しいといえる。
世界の災害遺産 田老の問題の防潮堤遺構は田老地区だけ宮古市だけの津波遺構ではない。世界的な地震頻発期の地球規模の津波襲撃候補地から注目される貴重な災害遺構となっている。南海トラフを中心とした西日本太平洋の研究と観測からは、東海、東南海、南海地方のマグニチュード9.0クラスの大地震が予想され、確信されてきている。「30年以内」の観測さえある。少なくとも、同地方のほか関東地方など全国に大型津波防災の市民的気運が高まっている事は事実である。ここで短絡的な話で恐縮だが、西部日本から、全国から、世界から今後どのくらいの現地見学者が田老の被災状況、防災状況を聞きに訪れるのか予想もつかない。
見学者の受入れ 田老地区を中心にした地元のブログにて、外部からの見学者の接待、対応の問題で少しだがブログ炎上した事があった。もちろん災害跡地は依然として生活の場である。またこの災害で犠牲になった人、その親族も多い。訪れる人も目的のはっきりしない興味本位の人もある事は事実であろう。役場、NPO、各種組織や個人など受入れる側の体制、また説明する人、説明する事、等々はっきりしない事もある。そのようなことでブログ上での地元の意見のぶっつけ合いであったように思う。意見の出し合いやブログ炎上はわるい事ではない。節度とマナーと自重…、しかし、結論的にはあらゆる見学者を受入れる事は大事であり必然である、と、しなければならない。田老の義務でもあるとおもう。
あるがままが第一、取り繕う事だけはやめてもらいたい。
防潮堤の遺構とはなんであるのか?
残された残骸の事である。
壊れた第一線堤を修復して、4.7mかさ上げして14.7mにしようという動きがある。高さをつくっても前の強度から強くなるわけではなく、ただ外目の体裁(てーさい)をととのえようとする考えのように見える。よく言って、先人の遺業の形を後代に残そうという考えのようである。しかし、田老の人は、もうそのような修理・修復が津波に対して効果があるとは信じていない。そしてそのような修復の必要性はただ土木業者とつるんだ政治家や官僚のニーズだという事も知るにいたっている。釜石湾口防波堤の修復のように…
亡くなった津波犠牲者にとってみれば、残骸は一日でも早くなくしてほしいのではないか?…。あれほど信頼していた防潮堤が崩れたがために命を失ったのである。恨みこそすれ愛着はない。残された第二線堤なども、出来れば田老の海岸から全て撤去してほしい。残された人は安全な高台に住み、番屋や街なかで働く人は地震や海の兆候があればすぐ山に避難するようにしてほしい、と。日頃の注意や教育や訓練で、田老の人が津波で命を落とすことはもうなくなるだろう。コンクリートの構造物で人間の命が守られることはないのだよ。──と嘆き、涙を流す姿があるような気がする。 合掌
防潮堤の遺構とは、こうして、今次東日本大震災のすさまじさの象徴であると同時に、後世にその存在意義を問いかける災害遺産である。現実問題としては防潮堤は地域の多くの命を守れなかった。建て替えるのではなく、また壊してなくするのでもなく、ていねいな最小限の修理の後、現在の姿のままで、まず、後世の戒めとしての建造物として残し、有用性を発揮するべきである。
残された残骸とは、まさしく天の采配によって、人間世界に、その(自然の)真正の力を印したものである。全世界の人に見てもらいたい。危険なものはもちろん撤去するべきであるが、出来るだけ、あるがままの残骸を残してほしい。
残された残骸、遺構はまた、人間の知恵が自然の猛威に最大限対抗できた効果的なコアの遺構として残ったともいえる。そのかぎりで、今後とも本来の目的に沿った防災建造物として、残して役立ってもらいたいという思いもある。
※遺構の現状変更は逐一地域住民と協議する事、コンセンサスをとる事が不可欠。住民の方もその準備に入るべきだ。
市役所津波襲来の映像からも見て取れる様にビデオカメラを回す暇があったら、今自分が何をすべきか判断する能力も無いからでしょう。
市長のお膝元宮古市総務企画部企画課は無能集団をアピールしたかったのでしょう。
お会いした人たちは、「防潮提?を高くしてもだめ! 今回だって、大丈夫といってそこに見に行って…
あと、津波が見えないから避難しなかった。いくら高くしても駄目!」と話されています。
津波がきたら、高台避難場所に行ける手段を徹底した方がよいと思います。
ryogarian RT @KTR220: 雪の田老で思ったこと.町から海が見えれば避難はもっと迅速に行えたよね,きっと.やはり「海が見えない」ことは危険を認知できなくしてしまうよなあ.たとえチリ地震津波で被害が少なかったとしても,それを越えれば被害は激甚に..現在の防潮堤議論はこのことをちゃんと考えておきたい.やはり.
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2012.2月頃<やっぱすっ。田老町だべ~なぁ~!>ブログより
防潮堤の上に「監視カメラ」を設置し、地震警報と同時に、この津波監視映像を地域の人の携帯電話に送信するシステムを開発する。たぶん「地域災害通信警報システム」として実現可能だと思う。
すこしでも「人の命」を守るシステムを構築することが必要です。
職業だけの事ではありません。防潮堤があってもなくてもです、そこに生まれ、そこに住む人たちにとって海の景観は自分自身と同じものなのです。海は自分のアイデンティティ。海が見えれば安心し、潮風が変われば季節を感じ、食卓に文句をつぶやけばそれは魚やわかめの事なのです。海が荒れようと津波が来ようと、海に恐怖し海を恨むことがあっても海から離れられない。私が子どものころは終日砂浜で遊び岸壁で船を見て育ちました。
最近は家も建ち、ビルも建ち、交通や情報社会で、それほどでないと思いますが、それでも若い人が「海が見える」という意味はそのようなことなのです。
物理的な、生理的な「見える」とは違います。物理的にカメラで海を写してもただの景色です。目があるから生理的に海は見えますが、それが正しい観察につながるわけではありません。監視カメラで(ただならぬ)気配は写せません。いつもと違う奇妙な波の流れや速さは写らないのです。もちろん海鳥の動きや鳴き声も写りません。私はこのブログで書いた事を再度読んでほしいと思います。「世界一の名の下に(田老の防潮堤は)長い時間をかけて住民の海の自然に対する五感を退化させてきたのではないか…」と書きました<「防潮堤」は効果がなかったこと。これからも期待できないこと>。また、今次海辺で助かった人はみなテレビやラジオで言っているではありませんか「経験した事のない揺れ、音、海」と。
防潮堤の上の津波監視警報システムば、防潮堤と同じで、人の命は救えないと思います。遅すぎます。監視システムは震源地に近いほど有効だと思います。
ゼネコンと政治家と官僚がつるんでの、口当たりのいい話には耳を貸せないのです。
コンクリートの防波堤など無い方がいいのです。
報道でしか分からないのですが、「田老の津波被害の歴史を踏まえて、今回国交省と岩手県が設定した再建防潮堤高さは、「X字」の海側の「逆への字」を高さ14.7mとし、陸側「への字」は10.5mのままの「二線防御」にするという。」
すでに「崩壊した防潮堤」を14.7mにして「高い頻度の津波」には対応できるとして復旧するみたいですね。
それは、どうしてきまったのでしょうか。そこになにか「こうしたほうがよいというアイデア」なり、試行錯誤が十分にあったのでしょうか。
私は「津波監視警報システム」があった方が良いと思いますが、可能かどうかは難しですが、コーケやんさんのいう「住民の海の自然に対する五感」を、すこしでもデータ化することは可能だと思うし、いろいろな試行錯誤のなかで技術の進化があると思います。
そのように「アイデアを出し合う」ことが必要であり、「防潮堤の上の津波監視警報システムは、防潮堤と同じで、人の命は救えないと思います。」といっても「新しく開発された人間の五感を可視化することのできる津波監視警報システム」というように、思考を深化していくことのなかで、新しい「視点」が生まれてくるのです。それができず地域住民、行政、被災者含めて「思考停止」していることが問題だと思うのです。そのような「人のアイデア」をもっと大事にする社会が日本にないのは残念です。
だから「思考停止」した人たちが集まって「原子力村」や「復興検討会」と評する「談合村」、「金欲しさの原発推進村」ができてしまうのです。