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2011.6.1~、大津波、宮古市、鍬ヶ崎、蛸の浜、浄土ヶ浜、復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。

福島原発の次は浜岡原発事故か? ~福島事故を忘れたように再稼働を急ぐ浜岡原子力発電所~

2011年07月28日 | 福島原発事故

 

浜岡原発の18メートル高の津波防波壁が計画されている。いったん運転を停止している原発がこのような幼稚な工事計画で再び運転できるのか?




どのような形の壁になるのだろうか?おそらく世界の珍百景にはいるほどこっけいな異様な壁になっているにちがいない。マグニチュード9.0の津波を想定して、その高さに決めたと語っているがこの人たちはマグニチュードということを津波の高さでしか想定することが出来なくて、壁の高さで何とかなると考えている。いかにも幼稚である。高さは波の直撃する面を広げてかえってもろくなるはずである。その壁は津波の直撃を腹に受けて粉砕されるだろう。否、その前に、地震によって倒壊するのでは?または、亀裂がはいって波の破壊力を呼び込むのでは?。マグニチュード9.0を数えた東日本大震災の津波の教訓から、防波壁、防波堤、防潮堤など(コンクリート)の壁の発想では原発は守れないことが分かりつつあるというのに…。唐突な発表に驚かされた。

浜岡原発の立地環境からは、壁ではなく、津波を避け、津波をいなす発想もいろいろ取り沙汰されているようである(?)。原発を搭載した戦艦大和の形を模して、太平洋に向けて波をかき分けて突き進む船のへさきのように、津波を左右に流し去って力の直撃を避ける方法(1)。又、現在の立地の両脇に流れる川を貯水池にたとえて、津波として押寄せる水量を充分に浚渫し、充分に川面を拡幅した両河川(貯水池)に進んで誘導する工夫(2)。…これらは、いずれも当ブログ管理者の思いつきで書いたものであるが発想コンテストのまねごとである。古い発想を引きずっている発想であれ、それすら未だに不活発であるようであるので…。いずれにしても余りにも無段階、無前提的な浜岡原発からの発表であった。

 

 

マグニチュード9.0の地震に誘発された津波とはどういうものであるのか?
そして、どういうものであったのか?


釜石港ではかって市民を二分してその建設の賛否が争われ、ごく近年完成してその高さがギネスブックにも登録された高さ63mの超級釜石湾防波堤が破壊された。防波堤を越えて襲って来た波浪は釜石市街地に押寄せその被害を大きくした。宮古市の田老地区では二重の構造、高さ10メートル、上辺の幅3メートル、総延長2.4キロ、まるで万里の長城のようだと言われた防潮堤の一部が破壊され、波浪は全ての防潮堤をのり越えて街並を一掃した。…マグニチュード9.0の津波は、おそらく世界最強であったはずの防潮堤や防波堤をやすやすと無惨に打ち砕いたのである。福岡県出身の昔の大臣のように「俺九州の人間だから、東北が何市がどこの県とか分からんのよ」などと言わずに、日本の中部地区の人々も、宮古市や釜石市を訪れてそのあたりを充分に学習してほしい。どんな防波壁が良いのかを学習するのではなく、防波壁がいかに無力かを学習するためである。

で、マグニチュード9.0の津波とはどういうものか?釜石市や宮古市のことは少し書いたが、正しくは東北の太平洋岸の全部の津波被害のことである。人的な、物損的な被害の全貌がマグニチュード9.0の津波ということである。それを科学的に調べることである。現在徐々に被害の状況も分かってきていると思われているが科学的な調べとして、又、自然現象としての津波、災害復興のための十分な根拠づけの関連で、どのくらい分かってきたと言えるのか?おそらく極く表面の事しか分かってきていない。マグニチュード9.0の謎解きは今始まったばかりである。しかし、現在分かっている範囲でも、18メートルの防波壁が原子力発電所をマグニチュード9.0の津波から守るという結論には至っていないことは明らかである。計画は拙速で内容は余りにもひどすぎる。

そもそも浜岡の人は津波は海水が増して陸地を襲うという風に考えているようであるがそれは強く常識はずれというものである。高潮や大潮、大波と違って水かさが増すだけでなく津波は海水に形を借りた「力のかたまり」である。震源地での地殻変動の高いポテンシャルエネルギーを保持したまま長い距離を猛スピードで進む。陸地にぶつかって水量のエネルギー、速度のエネルギー、高さのエネルギーを一気に放出する。高い場所からバケツの水を一気にぶつけられたのと同じ衝撃である。30センチで人が倒れ、2mで家が倒れるといわれている。今度のマグニチュード9.0の津波については、しかしながら、その程度の知識、理解をはるかに超えたものであった。マグニチュード8レベルの津波の現象をはるかに越え,人類に根底的な発想の転換を迫っていると言っても過言ではないであろう。東北沿岸の防波堤、防潮堤は明治・昭和の三陸大津波(いずれもM8レベル)をマキシマムと考えて設計建設されて、今回ことごとく破壊され期待された効果のほどは債務不履行されつくした。今度また18メートルについて、福島原発の波高15メートルから「余裕を見て一歩踏み込んだ数字になった」(浜岡原子力総合事務所水谷所長)と言うがそれだけのことなのか?子どもだましな!と言いたい。今回の津波の圧倒的水量と速度と高さのエネルギーは63mの高さも、強固な長城も、子どもが浜辺でつくる砂の波よけも…人間の造る構築物をみな等しく亡いものにした─という反省が見えない。





有効性の根拠の全くない(少なくとも、薄弱な)浜岡の防波壁構想はなぜ、今、発表されたのか?学習能力の低い中部日本浜岡とそのぐるりの住民が東北の惨事に真に目覚める前に、一気呵成にぶち上げる必要があったのかもしれない。



浜岡の巨大な防波壁は津波から原子力発電所を守るという目的より、むしろ世論に向けたパフォーマンスとして構想されたものである。原発再稼働が真の目的で、そのために、少々短絡的であると知っていながら、なんらかのアクション(工事)を急いでいるのである。このパフォーマンスはもちろん地元市長、周辺首長、知事、原子力安全委員会、中央政府にまず向いている。そこを説得すれば、世論はうしろからついてくるという巧妙な戦略のもとに事を急いでいるのだ。しばらく死に体であった原発ムラをこうして再動員して、最短で再稼働にこぎ着けようという戦略である。原発ムラでは、安全性や、科学的道理、歴史的惨事には本当のところ無関心であるようである。マグニチュード9.0の地震はもう1000年来ないであろう、と考えている。巨大な防波壁は外目にはまるで浜岡原発を守っているように見えるだろう,と考えている。極端なことを言えば彼ら原発ムラの住人たちは原発が再運転すればさえいいのである。そうすれば分け前はそれぞれに配分されるのがムラの大きなおきてなのであるからである。国も県も市も、外郭団体も、学者も、協力会社も、マスコミも、それなりにメリットがあるのは運転されていればこそである。だから水谷所長の安全への説明がいかにズサンで、根拠薄弱なものであってもその説明は彼らの耳に心地よいはずである。メリットの一例が、立地自治体に対しては交付金、燃料税のほか電力会社からの直接の寄付や地域の雇用。選挙応援や地域への大小の恩恵。だからこの計画のズサンさは知っているがやめられないのだ…(1)先例被災地の訪問・調査に不熱心であること(2)マグニチュード9.0対応が古い発想のままのコンクリート工事頼みであること─懲りないのです(3)原発プラントを津波から守るという根拠が(高さの積み上げだけで)幼稚なこと。したがって原発の安全性は担保されていない。─これらのことは当事者たちは全員、細部にわたって知っているのである。しかし…という生ぬるい楽しみが待っている。

市民の安全への反省がこれっぽっちもなく、ただに自分たちの経済的メリットや立場だけを追う原発ムラとコンクリート村の複合もたれ合いのシンボルである。18メートル高の無用の壁は、建つ前に倒れるべきである。







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