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2011.6.1~、大津波、宮古市、鍬ヶ崎、蛸の浜、浄土ヶ浜、復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。

田老「第一防潮堤」の今(5)

2013年07月25日 | どうなる田老

 

許されない「第一防潮堤」の破壊

世界的津波遺産の破壊公共工事で本体の弱体化

 

田老「第一防潮堤」の今

ブログ<被災地ガイド岩手県宮古市田老地区を案内する男の想い日記>128第一防潮堤の中身(2013.7.22)より




田老「第一防潮堤」の昨日  (ほぼ同じ位置からの撮影)  

ブログ<風に吹かれるままに、ギターの音に乗って> 
ニュースの核心:宮古・田老地区の津波防潮堤頂部のブロック「鎮魂の墓標」の可能性も/岩手(2013.3.19)より

 

 

無惨にも悲しい破壊


まずは無惨な写真であると誰もが思うであろう。あたかも田老の津波災害の歴史が再び切り裂かれて、まるで防潮堤から赤い血がにじみ出るような錯覚を覚える。世に万里の長城といわれ、今次3.11の大津波にもびくともしなかった田老の「第一防潮堤」の痛ましい最後の姿、同時に、今この世からその本当の姿を消し去る最初の破壊工事の悲しい実態である。長城の天頂に隊列を組んでいたコンクリートブロックは蹴落とされ、海を見に駆け上った天頂の道は強力カッターでそぎ取られ、重機によって厚いコンクリートの海側の本体壁ははぎ取られて…。3.11津波でさえ無傷だったというのに…

ついに赤土や大小の礫石がむき出しになった瞬間である。

天頂のブロックの高さ(4~50センチ)からたった2~30センチのかさ上げのために全体を壊しにかかった。そして本体を弱体化するつもり…。愚(おろ)かすぎる

 

 

公共工事で弱体化するだけ 


こうなったら修復は不可能であると誰もが思うであろう。崩れ始めている本体の礫石や土砂はもう詰め戻す事はできない。鉄筋の切断があれば、そのつなぎ直しは束ねても溶接しても形ばかりのものでもとの鉄筋の強度にはもどらない。最大の問題は、コンクリートにコンクリートをつなげる事はできないという事である。横から貼(はり)付けても、上に重ねても、コンクリートの本来の強度、結合力、粘りというものは発揮されない。ブロックやパネルの噛み合わせを工夫しても、鉄筋など他の素材で補強しても、もはや弱体化するだけである。津波に対してはおろか、波浪に対して、潮風に対して、雨雪に対して、寒暖に対して、このような弥縫(びほう)工法は完成した瞬間から崩壊が始まる、と、一般的な事で、素人の目にも分かる事だ。体躯にメスを入れるくらいなら作り直した方がいいはずなのである。

外観だけでなく、構造の面からも田老の万里の長城は消滅する。その弱体化によって役に立たない防潮堤になるだけである。かさ上げの設計図はひた隠しに隠している。合意形成も情報公開もないものは無効だ。

 

誠実だった昔の工事 


一方で、この写真から、後の祭りとはいえ、人は「第一防潮堤」築城当時の工法をかいま見て驚くことだろう。私は前に「荒波に耐え抜いた希有な雄姿に田老の先人たちのやむにやまれぬ魂魄(たましい)、そして津波防災の誠実な最強工事の合理性をのぞき見るべきものなのです」前ページと書いた。まことにその通りで、この土砂、礫石の締まり具合、天板との隙間(の無さ)、壁面のコンクリートの壁の厚さ、その均一性など、写真撮影のうまさとともに、津波をみすえた厳しい工法・ていねいな工事の誠実さが伝わってくる。敢えてこのような破壊の現場に立ち会わなくても、この防潮堤が津波によく耐えて生き残った事から、この昔の工事の実態は万人がわかっていたはずであった。念押ししておくが、壊して確かめる事ではない、生き残った事でその強靭さは分かる。その分かり方がよかったのだ…

 釜石湾口防波堤に代表される今次津波で崩壊した防波堤、防潮堤など公共工事は、田老第二防潮堤を含めて、設計や工事に問題があったと見なければならない。もちろん、別の問題もあるかもしれないが土砂を薄皮で包んだような意味のない防潮堤、貧弱な厚さ・高さの防波堤、薄いしつらえのケーソン岸壁・埠頭など、田老「第一防潮堤」の強さ、誠実さ、東北沿岸一帯でため息が出る程の際立った対比を見せていた。近くの崩壊施設の見学を心からお勧めする。比較すべき健在施設の余韻がこうして残っているうちの方がよい。残念ながら本物の田老「第一防潮堤」をうかがい見る期間はこの夏で終わるであろうから


確かに田老地区民、宮古市民の記憶は一回切れている
(第一防潮堤破壊の背景) 


 第二防潮堤が計画された昭和35年当時、日本が高度成長から、いわゆるバブル経済期に向かう、その頃に、本当の防災の精神が途切れて、偽りの防災宣言都市に変化したものと思われる。経済成長に呼応してその変化は急激に、後戻りできないまま現在に至った。 昭和8年の三陸大津波を契機に地域が一致団結して将来の津波に備えた関口松太郎村長時代というか、関口村長を知っている世代そのものが希薄になる中で、本物の防災精神(本物の合意形成=世界的遺産)も田老住民の記憶の中で一回切れてしまったと見なければならない。イージーゴーイングな第二防潮堤、第三防潮堤、公共工事に変わったのである。時間軸の変転の中で工事内容もコンセプトも180度変わってしまった。イージーゴーイングな弱い防潮堤、効果のない防潮堤、不正な防潮堤がみさかいなく沿岸一帯に投入されてきた。地域住民のイージーゴーイング化も不思議ではない。根本的な記憶の覚醒が必要だ。

近い将来、南海トラフ震災を前に我が国に第3次防潮堤建設ブームが到来するが、安易な公共工事は絶対やめるべきだ。田老「第一防潮堤」を、耐え抜いた3.11津波遺産としてそのまま残すのではなく、思考停止の公共工事仕様に変えてしまった愚かな意味を深刻に深刻に考えてほしい。

 

公共工事ではない本当の防災工事とは
(第一防潮堤破壊の背景) 


「本当の防災の精神が途切れて」と書いたが本当の防災の精神とは何か?
 
「合意形成」という事です。

地域住民の一致団結した合意である。合意をもって防災に立ち上がる事である。行政は問題提起を地域住民に「投げかける」事、役人は住民の合意を「取りまとめる」能力を持つ事、その技術をみがくこと。住民は「自分の問題だ」と真剣に議論に参加すること。
立法府の役割は? という声も聞こえるが災害有事にそのような区別立ては不要であろう。議会ももちろん同じ方向である。

公共工事にはそれがない。だから結果的に防災の役に立たないのである。公共工事の、工事のための工事、予算主義、思考停止、という事はどこにも地域住民との合意形成がないという事である。防潮堤の津波に対する有効性とは、住民の合意形成の進み方次第である。着工の時期や工期や予算は関係ない事だ。合意形成のためなら工事の遅れや予算返上も当然「OK」なことだ。形だけ竣工しても意味はない。その事は今次災害での防潮堤など防災施設の死屍累々で既に分かっている事だ。

 

「合意形成」ということの故意の誤解…
(第一防潮堤破壊の背景) 


自治体の首長や役人の本当の仕事とはそのように地区住民との合意形成の事につきるのだが、事態は変な方向での合意形成に走っている。いわゆる業者、業界との官×業=合意形成を第一と考えているようなことである。何回も何回も、マテに(ていねいに)、行き過ぎた合意形成が行われている。合意形成という事の典型的な意趣がえ。…この事態でも住民の方からの行き過ぎ警告がなければならない事である。



 

  

業界との会合
ブログ<いわけん(=岩手県建設業協会)ブログ> 宮古支部アーカイブ より


 被災住民や地域住民との合意形成だけでなく建設業者との合意形成も必要だという意見もあるがそんな見え透いた意見などは根本的に必要ない。その合意形成とは業と業、業と官、の仕事の予約配分であり利益の予約配分の談合なのである。岩手県における過去の業×業、業×官の談合事件の傷はまだ直っていない。実務には、本来、首長や高級職員が顔を出す場面はない。係長や担当職員クラスが実務に当たらないでどうするのか? 事件にならないまでも長く利益先取り、利益配分の談合慣行の染み付いたこの関係性では、未だ技術革新や斬新的アイディア、若手育成プログラムというものが(必要)なく、例えば今次災害でも官にも、業にも新しい防災・復興技術と言われるものは出てきていない。その前向きな兆しさえも見る事はない。100年変化がないように見える。いま現在も、官も業も、ただ資材不足、労働力不足を逆手に取って利益の選別にだけに動いているように見える。住民の本当の意向というものは考えられていない


なにがなんでも住民との合意形成が先行するような行政原則にしなければ、このような技術や業界の問題も改善しない。

 



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