<ニュースレターNo.14> 2段目
だから、問題点は何一つ曖昧のままであってはならないということだ。昔の人は、子どもたちに、津波が来たら高いところへ逃げろと、しっかり伝えてきた。しかし今の防潮堤からは(親から子に)しっかり伝える事が出てこない(市民が自分で)考える事は何一つ出てこない。市民にとっては負の存在感だけで共感も芯もなく意識をただ混乱させる存在である。孫や子に残してはならない。
<解説>
うまいものから先きに食べろ!
宮古市田老地区では昔から親が子にこのように言って聞かせたといわれている。「おかずは美味しいものから先きに食べろ」と。津波が来るからというのである。子どもたちはそれに従ってきた。鍬ヶ崎地区にも似たような話が幾つかあった。親は、流しにご飯粒を流すと、津波の時足が動かず、逃げれなくなる、と言っていた。子どもは、海に向かって小便すると、津波の時、波に追いつかれる、と信じてきた。子どもたちは日常的にものを大事にして、海を敬い、親のいう事を聞いてきた。
津波てんでんこ
有名になった「津波てんでんこ」、すなわち待たず遅れずてんでんこに(ばらばらに)高台に逃げろ、という事である。鍬ヶ崎や田老の子どもたちは、もちろん、その意味を知っている。釜石市鵜住居の中学生や小学生もその意味を知っていて劇的な避難行動をとって全員助かった。石巻の大川小学校の生徒や先生はその意味を知っていたかどうか、一部の生徒しか実行できなかった。鵜住居の学校ではそのような教育が事前に学校で行なわれていたというように聞く、大川小学校では現場で先生方が迷ったようだ。
迷ったらアウト
岩手県や宮城、福島ではマスコミが震災の教訓を長く特集してきた。今でもつづいている。誰もが語り、誰もが聞いた教訓の言葉は「一途に」「高台へ」といった単純な言葉であった。命に関する限りそこが分かれ目である事は誰もが認識したはずである。有事の時ものを取りに戻ったり、遠い場所を目指すのは危険なのである。人間はとっさに行動出来ない動物だ。迷わないための日頃の訓練、日頃の(子ども等との)コンセンサスがなによりも大事な事である。教育を含めて津波地帯では訓練もコンセンサスもむずかしい事ではない。
防潮堤は指針なきのっぺらぼう
先きに書いたように「防潮堤からは(親から子に)しっかり伝える事がでてこない(市民が自分で)考える事も何一つでてこない」。防潮堤はすでに迷いの存在、人の役には立たないのだ。人はそれを遠巻きに生活するであろう。海も津波も知らない学者と中央官僚の設計した(方向を示す指針のない)のっぺらぼうの建造物である。
親「おかずは、おいしいものから先に食べようね」
こども「…防潮堤があるからだいじょう…」
親「そうではないでしょう。津波が来たら食べるのを止めてすぐに逃げなきゃならないでしょう」
こども「……」
── 防潮堤をはさんで、昔とちがった、曖昧な、どっちつかずの会話である。親はいつまでも親ではない。こどもはいつまでもこどもではない。…
地域の人々の一致した考えが大事になる。
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[関連記事] 大津波直面体験を彼女はこのように語った。 2011.6.8
避難に話題が移った時彼女は自分の体験をこのように語った。「訓練どおり逃げっけ」「訓練どおり逃げらさっけ」と、津波から間一髪ぎりぎり逃げて助かった鍬ヶ崎の知り合いの女性は目を輝かせて自分の様子を語ってくれた。地震と同時に逃げる支度をした。その辺の貴重品をポケットに突っ込んで…旦那さんのウデをつかんで熊野神社(鍬小だったか?=筆者)に向かった。車のことがちらっと頭に浮かんだが、徒歩で走った。
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