宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

構造物の役目は、人の命ではない?

2012年03月11日 | どうなる避難対策

 

今次震災の宮古市の復興の背骨をつくる復興計画検討委員会は
2011年7月から5回にわたって議論を行い、
昨年10月31日に[基本計画]を策定した。
その最後の検討委員会で次のような発言があった。



(委員長)東北大学名誉教授の首藤先生から、都市基盤づくりの中でも特に津波防災の観点からコメントを頂戴したいと思います。よろしくお願いします。

(首藤総合アドバイザー)私はエンジニアとして、ものを作ることが専門です。しかし、津波対策の構造物というものは、人の命を100パーセント守るものではないということが1983年に明確になっております。構造物の役目は、人の命を100パーセント守るものではなく、資産の目減りを減らすという位置付けです。




私はこのやりとりを議事録で読んでその意外さにびっくりした。えっとわが目を疑ったのである。防潮堤は津波防災,津波防御の切り札として今次復興計画では岩手県庁の指示のもとに宮古湾西沿岸一帯に10.4mの壁をはりめぐらすようになっている。それは、しかし、人の命を守る目的の構造物ではなく、たんに資産の目減りを減らすという目的での位置づけだったという。私の頭も混乱した。岩手県や宮古市は10.4m(田老は14.7m)の防潮堤で市民の命が守られるとしているのではなかったのか?

少なくとも、100%に限りなく近く、人の命が守られると公言しているのではなかったか?そして、住民の方も、運が悪くて100%を切っても極(ごく)わずかで、岩手県や宮古市は99.99%命を守ってくれるはずだと、まだ大半の住民がそう信じてきているのである。鍬ヶ崎の大半の人は地区まちづくり計画のあの黄色の住宅ゾーンをだまされて承認したということになる。

「津波対策の構造物(=防潮堤)は人の命を100%守るものではないということが(1983年に)明確になった」「防潮堤の役目は、人の命を100%守るものではなく、資産の目減りを減らすという事」。とは、ほとんど想定外の爆弾発言ではなかろうか?!

1983年は日本海中部沖地震、津波が発生した年である。学者として分析や解説に首藤先生は活躍したようであるが、構造物の役目がどう明確になったのかはまだよく分からない。しかし防潮堤の目的が人の命でなく、財産を守る事だという事を言いたいのはよく分かった。また、100%云々には意味はないようである。いいたいことは防潮堤が人の命には関係しないという事のようである。


人命救助のための防潮堤と公言している宮古市を初めとする推進主体の岩手県県土整備部などではこの事をどう説明するのか? この発言で防潮堤の津波防災への無効性が再びはっきりし、復興計画の中での防潮堤の存在意義があやふやなものになった。

復興基本計画や、地区復興まちづくり会の信頼も揺らぐのではないか?



この発言は第五回宮古市東日本大震災復興計画検討委員会(最終回 2011.10.28)の席上で飛び出したものである。最終回「基本計画のまとめ」で事務局から最終案が報告された後、植田眞弘委員長にうながされて総括的にコメントした(津波防災アドバイザー)首藤伸夫東北大学大学院工学研究科災害制御研究センター名誉教授の発言であった。ここに引用した冒頭の発言が、ことば尻をとらえた悪意の引用でない事は、つづいて次のように続けている事で分かるはずだ。

(1)命を守るためには高いところに住み、いざとなったら避難する事が基本。一万年に一度の津波が明日起らない保証はない(2)大きな構造物ほど海岸では沈み具合が違うなどの不具合が出る(3)耐用千年の構造物をつくる時は国の補助が出るが千年の維持管理は地元の責任(4)大きな構築物の安心感で、孫の代で津波から逃げ遅れる。ハードの維持と世代維持のシステムを同時に作らなければならない(5)気仙沼では県が決めた高さはいらないと言っている、目の前に7mの防潮堤があると観光客が誰も来なくなるからという理由だ。地形上すぐ避難できるからそういう選択もある(6)構造物は住民が安全面、逆作用面、生活面からよくよく考えて主体的に決めなけれは長続きしない(7)高所移転は通勤が非常に楽になるように考えなければ下に住むようになる。インドネシアでは7年目に目立つようになった。昭和21年の南海地震津波では昭和50年頃は上と下で職住分離であったが、それから30年後に訪れた時はみんな下で立派な建物になっていた。(8)構造物だけではなく、人間の気持ちをどのようにつないでいくかを考えた復興が必要です。 ── 以上。

実際の言葉はこの10倍以上にていねいであるがさすがアドバイザーというべき内容である。全て同感である。冒頭の発言をふくめて私自身まったく納得した。宅地造成や堤防もふくめて構造物をつくるという事がどんなに大変なことであるのかがよく分かる。岩手県や宮古市はあやしげなシミュレーションを振りかざして市民の本当の意見を聞こうとしていない。

●首藤氏は下世話的の事を多く言っているが、注意深く防潮堤の事には言及していない。(立場?)。はっきり言っていないが、私と同じように、自身の経験から防潮堤の有効性、必要性には否定的である。反対と言ってもいいのでは?冒頭の発言は本心のようだ。

●本人の立場からでなく客観的に首藤氏の発言を通して聞いてみると防潮堤は、全く科学的、技術的根拠のない、効果も必要もない、政治と土木業者が「つくるためにつくる」文字通りの無用の長物であることがわかる。ひどいはなしである。
 
人の命を守るものでないのになぜ防潮堤をつくるのか? 怖いものを見たくないためのコンクリートのカーテンなのか? 津波被災者は家や財産の損害は第二義的に思っているのに…。第一義的に津波が恐ろしいのは人の命を奪うからだ。自分と家族、近所,同郷の知り合い、集落の人の命が助かれば、家が壊れようが、流されようが、車や船や店や工場や事務所がどうなっても、冷静でいられる。笑うことだってできるのだ。

「家はまだ建でればいい。人は帰(けえ)って来ねえ。」(幻燈会の夜)

 

 

 

 

 

 

コメント (7)
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