金曜日の経済史の授業で、鬼頭さんから「経済史を半学期間学んできていい事があったか」と聞かれて、「すぐに役立つものは学問ではない」なんて言いました。
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僕は、世の中は「偶然」の積み重なりで出来ているんだと思います。
「偶然」の中にはいいものも悪いものもあります。
ただ、「偶然」が起こる確率が人によって違うのだと思います。
何が起こるかは分からないけど、とりあえずチャレンジする人には偶然が起こります。
だから、たくさんチャレンジする人はいい事も悪い事もたくさん経験していると思います。
そして、悪い事が起こったら追求するのをやめて、いい事が起こったら自分の財産にすればいいのです。
勉強してこんな事が分かるようになったとか、部活頑張ったら新しい発見があったとか。
そういうものをいかに蓄積できるかが、「成功」と「失敗」を分けるのかな…なんて思います。
つまり、偶然を自分から起こしに行って、色々体験してみる事が大切なのです。
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学問をやる時も、「~だからこの分野をやるといい」ってのは、半分は合ってるかもしれないけど、半分はウソだと思います。
これは、ある種のインセンティブが必要な人にはいいでしょう。
でも、結果として得られる物は、分からないし、意外だからこそ面白いのではないでしょうか?
「こうなって、あぁなって、こんな感じで進むだろう~」というのが目に見えてると、つまらないし、やり甲斐も無いですよね。
積み上げて色々学んでいく課程で、色んな発見があるからこそ、何かを深く追求する事が大切なんだと思います。
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さて、これは学問だけではない、という事はすでに書いたとおりです。
よく、「百聞は一見にしかず」という言葉を聞くけど、個人的には一見よりも百聞の方が、将来役に立つと思う。
一見だけだと、一瞬の感覚だし、なかなか自分に深く根付かないのではないでしょうか?
逆に、百聞を知り、自分でも調べて、「自分の中で仮説を立てて想像しては新しい情報によって棄却されて、また新しい仮説を立てる」という作業をすると、楽しいだろうし、その作業の中で色んな偶然に出会えて、将来役に立つと思います。
これは、個人的な想像ですが、「百聞は一見にしかず」という言葉を考えた人は、色んな事を聞き、考え、想像し、色々な過程を経た上で、やっとの思いで本物が見れた時の感動をいい表したのではないかと思います。
一回見ただけで、同じ感動が味わえるとは思えません。
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本物に触れる事、本物を見る事。
これはもちろん大事。
いくら考えて、想像してみても、本物を見た時の「イメージの正確さ」には敵わない。
でも、色々調べて、考えて、想像する過程がなければダメだと思う。
だから、「本物に触れる事」というのは、本物について考える事という過程があっての事だというのを忘れてはならないと思う。
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現代人は理論を教わって終わりな所があるけど、自分は本物を見て終わっちゃう事が多いので、戒めとして書いてみました。
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僕は、世の中は「偶然」の積み重なりで出来ているんだと思います。
「偶然」の中にはいいものも悪いものもあります。
ただ、「偶然」が起こる確率が人によって違うのだと思います。
何が起こるかは分からないけど、とりあえずチャレンジする人には偶然が起こります。
だから、たくさんチャレンジする人はいい事も悪い事もたくさん経験していると思います。
そして、悪い事が起こったら追求するのをやめて、いい事が起こったら自分の財産にすればいいのです。
勉強してこんな事が分かるようになったとか、部活頑張ったら新しい発見があったとか。
そういうものをいかに蓄積できるかが、「成功」と「失敗」を分けるのかな…なんて思います。
つまり、偶然を自分から起こしに行って、色々体験してみる事が大切なのです。
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学問をやる時も、「~だからこの分野をやるといい」ってのは、半分は合ってるかもしれないけど、半分はウソだと思います。
これは、ある種のインセンティブが必要な人にはいいでしょう。
でも、結果として得られる物は、分からないし、意外だからこそ面白いのではないでしょうか?
「こうなって、あぁなって、こんな感じで進むだろう~」というのが目に見えてると、つまらないし、やり甲斐も無いですよね。
積み上げて色々学んでいく課程で、色んな発見があるからこそ、何かを深く追求する事が大切なんだと思います。
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さて、これは学問だけではない、という事はすでに書いたとおりです。
よく、「百聞は一見にしかず」という言葉を聞くけど、個人的には一見よりも百聞の方が、将来役に立つと思う。
一見だけだと、一瞬の感覚だし、なかなか自分に深く根付かないのではないでしょうか?
逆に、百聞を知り、自分でも調べて、「自分の中で仮説を立てて想像しては新しい情報によって棄却されて、また新しい仮説を立てる」という作業をすると、楽しいだろうし、その作業の中で色んな偶然に出会えて、将来役に立つと思います。
これは、個人的な想像ですが、「百聞は一見にしかず」という言葉を考えた人は、色んな事を聞き、考え、想像し、色々な過程を経た上で、やっとの思いで本物が見れた時の感動をいい表したのではないかと思います。
一回見ただけで、同じ感動が味わえるとは思えません。
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本物に触れる事、本物を見る事。
これはもちろん大事。
いくら考えて、想像してみても、本物を見た時の「イメージの正確さ」には敵わない。
でも、色々調べて、考えて、想像する過程がなければダメだと思う。
だから、「本物に触れる事」というのは、本物について考える事という過程があっての事だというのを忘れてはならないと思う。
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現代人は理論を教わって終わりな所があるけど、自分は本物を見て終わっちゃう事が多いので、戒めとして書いてみました。