勃ちあがった象の白い涙の物語

ロックンロールにゃ老だけど死ぬにはチョイと若すぎる

新型コロナ終焉後の社会

2020-04-05 22:43:53 | Weblog
(本文と写真との間には、何の関係もありませんし、何の意味もありません)

今、社会は大きな変換を迎えようとしている。
言うまでもなく、世界的に大流行している、この新型コロナのことである。
歴史的に見ても、世界的に大流行した病を、人類は、今まで何度か経験してきた。
そして、その流行が収まった後の社会は、少なからず、それまでの社会とは異なるものになってきたように思う。
もちろん、過去のそれに比べて、現在は社会のシステムは発達しているし、完成度の高いものにはなっているのだろうから、単純に、過去がそうだったからといって、これからの社会に当てはめて考えようとするのは、いささか、短絡過ぎるとも思うのだが、少なくとも、ここしばらくの、この新型コロナのために振り回されている社会の動きは、私個人の人生の中では、初めての経験である。
今までは、なんだかんだ言って、日曜日が終われば、仕事や学校に行って、そこで、あまり変わり映えのしない一週間を過ごし、その合間合間には、それぞれのささやかな趣味や娯楽に時間を費やし、何年かたてば、就職や入学、結婚などといったイベントで、それまでの生活が一変されることがあったとはいえ、そのほとんどは、あまり変わり映えのしない日々を送っていたし、それが当たり前の世の中で、その前提に立って、物事を考えたり行動してきたりした。
それが、この新型コロナの影響で、学校は、日曜が終わっても休みのままであり、しかも、その休みがいつまで続くかわからない状況であり、それまで、当たり前に勤めていた仕事もなくなってしまったりしているわけで、何より、人々の集まりやイベントの中止や自粛で、それまでの「みんな仲良くしましょう、人々の和を大切にしましょう」的な、一見不変とさえ思えるような道徳ですら否定されているようなこの感じは、ちょっと今までにはなかったことだし、この状況が長引けば、生活はもちろん、価値観や道徳観といったものまで変化してしまうんじゃないか、とさえ思っている。

個人的には、そういうものはあると信じてはいるのだが、神や仏といった、我々人間の考えや行動を超越したものが存在して、その存在が、我々のどうしても手の届かないところで、この世界を変えようとしているとするならば、ひょっとすると、今はその時なのではなかろうかと思う。