『亡国のイージス』、映画館で観ました。
海上自衛隊のイージス艦「いそかぜ」の宮津副長は某国工作員のヨンファと
結託、艦長を殺害し訓練中の艦を乗っ取る。彼らは一リットルで東京を
壊滅させる毒ガス兵器「GUSOH(グソー)」の照準を首都圏に合わせたと
日本政府を脅し、要求を突きつける‥‥。
“平和の価値”について…、“この国の在り方”について…、深く考え
させられる作品だった。ボクたちは、「日本」という平和な国に生まれ、
他の国が羨むほどの豊かさの中で育った。映画は、戦後60年の平和が
もたらした日本(特に今の若者)の堕落を引き合いにして、「この国の
未来は、今のままで良いのか」と鋭く問い掛けている。ここに登場する
北朝鮮人ヨンファは遠く母国で苦しむ人民のためにテロリストとなり、
それに手を貸す日本人・宮津は、政府の隠ぺいを暴くために造反となった。
これは単に“善”のヒーローと“悪”のテロリストの攻防を描いただけの
アクション・エンターテイメントではない。日本と北朝鮮、それぞれの
複雑な諸事情を絡めながら、自国を愛するがこそ戦わねばならない男たちの
哀しいドラマなのだ。
さて、ボクがこの映画を観て感じたことは、今ボクたちが手にしている
“平和の素晴らしさ”。しかし一方で、その平和が“当たり前”になり過ぎて、
この恵まれた環境への“感謝の気持ち”が薄らいできてるんじゃないかってこと。
今も世界の何処かでは銃弾が飛び交い、今日食べるパンさえもなく、飢えに
苦しんでいる国をあるというのに‥(涙)。イラク戦争にしても…、同時多発
テロにしても…、島国である我ら日本からしてみれば、所詮は“対岸の火事”、、
別世界の出来事のように感じられる。「平和とは…、戦争と戦争に狭間に
ひっそりとその隙間を埋めるように成り立っているもの…」と言った男の台詞、、
もしかしたら、ボクたちはそんな“つかの間の幻想”に浸っているだけかも
しれないね。
それから、注目となる真田広之、寺尾聰、中井貴一、佐藤浩市の競演だが、
それぞれに味のある演技で存在感を見せつける。特に、寺尾聰と佐藤浩市の
演技は安心して観ていられた。ひとつ注文をつけるとすれば、北朝鮮人
テロリスト扮する中井貴一か。勿論、それは中井の演技力を疑問視しているの
ではなく、彼ほどの滑舌の良い役者さんにそのまま日本語を喋らせれば、
当然朝鮮人には見えなくなるってこと。いっそ中井の台詞をすべて朝鮮語に
さしかえるとか、朝鮮訛りの日本語にするべきだったように感じた。
彼ほどの実力なら、それくらいの高いハードルをクリアしてこそ、やっと
評価されるレベルの役者だと思うんだけどなぁ。
移転、ご苦労様です。これからも、よろしくお願いします。
確かに、中井貴一に朝鮮語、もしくは訛りを入れたら、面白かったかもしれませんね。