goo blog サービス終了のお知らせ 

肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『武士の一分』、観ました。

2006-12-03 21:23:52 | 映画(は行)






監督:山田洋次
出演:木村拓哉, 檀れい

 『武士の一分』、映画館で観ました。
三村新之丞は、最愛の妻・加世とつましく暮らす下級武士。見果てぬ夢を
語りながらも笑いの絶えない新之丞の平和な日々は、藩主の毒見役を務めて
失明した日から暗転する……。
 きっとこの映画で、最初に評価が分かれるとしたら、それは主人公・木村
拓哉のキャスティングではあるまいか。スマートで今風のお顔立ちをした彼が、
果たして“(江戸)時代劇の空気”の中に溶け込めるのか否か。うん、確かに
出で立ちや風貌など、微妙な部分もあるんだけど、“少年”のような悪戯っぽさ、
“男”としての深さ・優しさ、“人間”としての弱さまで、“キムタクらしい”
役作りで、彼なりに作品をよく理解していると思った。一方、その妻役の
壇れいには、長らく忘れかけていた“日本女性としての心”みたいなもの…、
控え目だが“芯の強さ”を感じてしまう。そして、その彼女が情事の後の髪の
ほつれを直す仕草の“エロティズム”は、観ているオイラの理性を狂わせる(笑)。
単なる露出に頼らず、女性の“内なる色気”を描き出すあたり…、老いてなお
健在、山田洋次の演出、さすが。
 さて、映画は、若い主人公の侍が不慮の事故から盲目となり、すべて失って
しまう過程で、武士として…、人間として…、最後に守るべきは何なのかを
問いている。それは(主人公)自身の誇りのためじゃない、穢(けが)された
“妻への愛”のため…。彼は“圧倒的不利な果たし合い”に挑んでいくわけだ。
ただ、オイラとしては、主人公の、その気持ちが分からないではないけれど、
それで本当に妻が喜んだかどうかを考えたとき、彼の決断に100%の共感は
出来なかった。彼女は、どんなに惨めでも夫に生きていて欲しいと願ったはず。
それに、死んでいくことが“武士道”じゃない。例えば、『たそがれ清兵衛』の
時みたく、藩主の命に背けずに、心ならずも戦わねばならないならいざ知らず、
今作での果たし合いは、あくまでも“主人公の意思”だからね。
 それにしても、この映画しかり、かつてのチャン・イーモウ『至福のとき』
しかり、どうして盲目の主人公(あるいはヒロイン)が登場すると、決まって
ラストはチャップリンの『街の灯(1931年製作)』になってしまうんだろう。
改めて、チャップリンの凄さを感じると同時に、そうか‥、あの照れ臭いほどに
人情味溢れる山田洋次作品の原点は、チャップリンだったんだね。意外にも、
今回の映画を観て、一番感動してしまったのは、その事実だったりして‥(笑)。


楽天市場ランキング・売れ筋DVD邦画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVD洋画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVDアジア映画トップ30

楽天市場ランキング・売れ筋DVDアニメトップ30

Amazon.co.jp 外国映画トップ100
Amazon.co.jp 日本映画トップ100
Amazon.co.jp アニメトップ100

DMM.com DVD通販CD予約販売




最新の画像もっと見る